2016年03月31日

八木山の幼稚園/保育所 「八木山あおば保育園」

★★★


2008年の段階で、
仙台市内には50か所(1分園)の公立保育所と、
68か所の民間保育所がありました。

1997年、仙台市から保育整備計画が提案され、
その中に「保育整備民営化」が盛り込まれていました。


現在に始まったことではありませんが、
その期間、待機児童による問題等も色々と話題に上がり、
昨今では保育士不足・手当て、
さらに保育施設を地域に立地することの難しさなど、
色々と問題が山積しています。


八木山エリアの昭和時代・・
子供がピークだった八木山エリアでは、
かなりギリギリの状態で幼稚園・保育所が運営されていたことも、
思い出されます。


その中で、昭和48年4月。
仙台市の保育施設として開所したのが「八木山保育所」です。

八木山東エリアに立地し、入所定員数が90名。
敷地面積 1489.81m2
建物面積 467.37m2

40年以上の歴史を持つ保育所が、本日、幕を閉じます。

そして、新たな保育機関がスタートします。



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上記に記載した民営化に伴い、
社会福祉法人 青葉福祉会さんが運営、
八木山本町1丁目に移転・新設したのが、

「八木山あおば保育園」 さんです。



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「八木山あおば保育園」

運営・社会福祉法人 青葉福祉会

木造1部鉄筋コンクリート造 2階建て

敷地面積 2080.09u
延床面積  963.20u

(八木山保育所)
敷地面積 1489.81m2
建物面積 467.37m2

事業開始 平成28年4月1日 【入園式】
定員90名 
職員 約40名

保育時間 朝7時15分〜夜8時15分

仙台市太白区八木山本町1-26-1




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社会福祉法人青葉福祉会「八木山あおば保育園」様より、
取材許可を頂きました。

右のカテゴリーに追加させて頂きます。
ご協力ありがとうございました。


さて、平成28年4月1日より事業開始する
「八木山あおば保育園」さん。



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地下鉄エリアの側近でもある「八木山本町1エリア」
に立地されたこともあり、眺望が「最大級の長所の1つ」
といっても良いでしょう。

元は一般住宅の豪邸立地だったこの土地。

傾斜角度のある立地ということもあり、
さらに震災後という事も関係し、
建設当時には仙台市に向けて「地盤調査の正確性」を
問う声が付近住民から多く上がり許可が出ています。




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さらに建設の際の地域住民へ説明会の際、
全国的な問題にもなっている「立地問題」の他、
「住宅地の通行量増加・路上駐車・待機駐車」による
住民反発が多く出た経緯もあることから、
保育園にお子さんを預ける際は、
ほんの少しの時間であっても、
指定駐車場に駐車するようにしてください。



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2階建ての保育園ではありますが、
1階にいても2階にいても、
この眺望が見えるという素晴らしさです。

視程が良い日は、
牡鹿半島や蔵王方面も見ることが出来ます。

撮影日は、あいにく晴れていましたが
視程がバッチリという訳ではなく・・残念でした。



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恐竜山も太平洋も一望できる「八木山あおば保育園」

撮影日は、まだ「園庭の工事を実施中」でしたが、
こんな感じになります。

タイヤの遊具や土管が見えますね。

騒音に配慮し、さらに園庭敷地の関係もあり、
運動会は、他の機関を借りて実施予定だそうです。



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取材班のお気に入りの場所は、「テラス」でした♪

ここに立つだけで、気持ちの良い空間です。




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9_3歳児室[1].jpg




園内に入ります。

一階に「遊戯室」や「調理室」があり、
「0〜1歳児」の保育室が中心の間取りになっています。



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1階2階共に、各部屋が間仕切りになっているのですが、
各フロアは開放することが可能になっており、
そうなるとかなりの広大のスペースを作ることが可能になっています。

インフルエンザ等が流行した際にも、
隔離することも可能になっているなど、
考えられた部屋になっていました。



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エレベーターも完備されています。

取材班、仕事で幼稚園・保育園を撮影しますが、
2階建てでエレベーターを持つ保育施設は
珍しいでしょうか。



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調理室です。

園の定員は90名ですが、
職員さんのご飯も含めると約150名ほどの食事を
こちらでつくることになります。

八木山保育所も調理室がありましたが、
食洗器や冷蔵庫などもビシッと完備されています。



7 2階プレイルーム[1].jpg

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2階に上がると、
絵本エリアやプレイルームがあります。

格子状の吹き抜けになってるスペースが、
絵本のルームです。




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トイレは園児の年齢に合わせた設備になっており、
様々な場所にトイレがあります。
調乳室などもしっかりと用意されています。




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4__1階0歳児室[1].jpg




1階は0歳児・1歳児の保育室、
2階は「2歳児・うさぎ」「3歳児・やぎ」
「4歳児・ぞう」「5歳児・きりん」の
2〜5歳時の各保育室が中心になっています。

「一時保育室・ぱんだ」は、2階にあります。




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4月1日から、
新たな八木山エリアの歴史の1つとしてスタートする
「八木山あおば保育園」さんです。


昔と違い、「八木山の地域内だけの入園」
という時代ではなくなりました。

それこそ「園バス」も必要としない、
地域の中だけの子供たちだけで「いっぱい」
という時代が、確かにありました。


「八木山あおば保育園」さんは、
地下鉄東西線のすぐ近くにあることから、
「地下鉄で・・」という
「これまでなかった新しいパターン」も
多く出てくるかもしれません。


民営化に伴い、
八木山保育所の職員さんがスライドしておらず、
職員さんの大半は
「八木山あおば保育園の新たな職員」さんです。


色々と大変な事は、これから多くなると思いますが、
新たな歴史の1ページを、
八木山エリアで綺麗に咲いて頂けることを願っています。



【取材 取材班K 他】

★★★




posted by 八木山取材班 at 02:57| 宮城 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 八木山の 施設/交通/教育機関等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月24日

八木山 長町越路の由来 パート2

★★★



前回の続きの記事になりますが、
「長町越路」関連を書いていきたいと思います。

正確に言いますと「長町字越路」になります。

そして、結論から言いますと・・
なぜ「長町字越路」という名前になったのか・・
これは様々な資料などを調べても、、
確実なところは、分かりませんでした(>_<)

ただ、推測は出来ましたので、
今回はこの件をご紹介します。



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以前も何度か書いていますが、
「越路山」から「八木山」に変わった変貌を、
少し書かせて頂きます。

明治時代から大正時代にかけて、
当時は荒廃し続けていた「越路山」と呼ばれた山・・
現在の八木山エリア一帯を、
4代目〜5代目の八木久兵衛氏の活躍で買い取ったところから、
現在の八木山ストーリーが始まりました。

大正13年、当時の価格で17万円であったようで、
その面積は100万〜150万坪と呼ばれています。

この時、地元民は「越路山」から「紅久山」と
呼んでいたそうです。

仙台城の南側一帯、長徳寺から動物公園までの一帯とその裏側、
さらに西多賀付近に至る広範囲になります。

大正14年から、現在の長徳寺前に開発工事事務所を建設し
人力だけで向山〜動物公園〜恐竜山〜多賀神社までの
約7キロの路線を作り上げます。

そしてもう1つは八木山球場、八木山遊園地、八木山橋の
3大プロジェクト。

元は亜炭鉱採掘者の野菜畑だった場所に野球場を造ります。
一方で、同じ場所に当時の東北大が運動場を設けようと
試みたようですが、維持が大変だと分かり断念したそうです。

国も断念した事業を、
八木家の私財を投じて作ったのが、八木山球場で、
昭和4年に完成しています。

さらに隣接地には、第1.2遊園地、テニスコート等も
同年に完成しています。

これが現在のベニーランドの基礎と言われていますが、
昭和8年に野球場は廃止されています。

八木山橋は昭和2年に着工し、鉄骨を加工して持ち込み、
現場で組み立てる方式を採用しています。

昭和6年の夏、3人乗った工事用ケーブルカーが突然傾斜し、
1名が谷底に落ち死亡、2人は橋げたに捕まり一命を取止めた・・
という事故がありました。

昭和6年、完成した野球場や八木山橋を宮城県に寄付しましたが、
宮城県側が維持が困難となり昭和7年に返却、
その後昭和9年に仙台市に寄付されて今に至ります。

当時まで「越路山」「紅久山」と色々な呼び方があったようですが、
丁度、上記のものを仙台市に寄付した昭和9年頃から、
八木家の功績が一世を風靡し
「八木山」と呼ばれることになったそうです。

昭和37年に「仙台新産業都市総合公園構想」から、
吊り橋だった八木山橋を永久橋に架け替えられることになり、
現在に至っています。



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そして八木山開発が波に乗っている昭和41年頃、
「新住居表示制」が設定されました。

この頃から、
現在の八木山エリアの「町名」が決まってきています。

まず、向山エリアから見てみます。

↑ クリック

向山という名称は、
仙台市中心部から見て、広瀬川の南向かい側に横たわる
「愛宕山一帯の山々を呼んできた通称名」です。

上記の「新住居表示制」の以前、
この向山地区は広瀬川の回り一帯の丘陵地帯全域を指しています。



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「向山地区」として「新住居表示制」が施行されてからは、
越路・大窪谷地・長町越路・長町茂ヶ崎・宮沢・
八木山香澄町・緑町・松並町・弥生町・萩ヶ丘などの
11の新町が町割されました。



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そして、現在ある広瀬川付近の「越路」という地名。

先日、愛宕大橋の道路通行の「改変」が行われましたが、
上記写真の左側・広瀬川の脇にあたる地域です。


仙台開府当初まで、東北地方の幹線道路は「東海道」で、
東京から仙台に入る人たちは、
熊野堂〜根岸、愛宕山南麓の七曲坂を登り、
現在の越路を越して鹿落坂を下り・・仙台に入っていました。

この登り下りの道があるエリアから「越路」と名付けられていた
という説が有力ですが、鹿落坂付近に鹿が多く、
その鹿が恋をし、恋路とも書いて「越路」となったという説も
あります。



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そして、現在の八木山エリア付近。


長町北(昭48)  

長町・越路(昭57) 

仙台市の住居表示実施状況

↑ 各クリック


「新住居表示制」が入る前は、
東北工大が「長町字越路19番地」でした。

その後、八木山香澄町に変わりました。

「松が丘」のほとんどのエリアは
昔は「長町字根岸」 という名前でした。

恵和町などは「長町字芦の口」ですし、
現在の「大塒」も「長町字大塒」になっています。

桜木町は「長町字越路」ですね。


タイトルにもある「長町越路の由来」ですが、
これは推測のようで、この理由が濃厚だろう・・
という部分が1つあります。

そのヒントが、やはり現在の長町エリアです。

現在の長町地区にあたる「根岸町」。
根岸交差点がある根岸です。

昔はこの付近は「根岸村」と呼ばれていて、
宮沢・木場・新屋敷・鹿除土手・北町などの地域に渡り、
かなり古い村名のひとつが「根岸村」です。

根岸村のもっと昔は「名取郡」に属していた村落で、
経ヶ峰や越路山・愛宕山・大年寺山等の山麓をめぐる地域でした。

根岸村は、山々の根岸地帯を占めていた地方でしたが、
明治22年の町村制実施の際に「茂ヶ崎村」と改称しています。

さらに大正4年に町制を実施して
「茂ヶ崎村」から「長町」と改称されていますが、
その頃はまだ「名取郡」に属していました。

そして昭和3年、長町は仙台市に合併されて
今日に至っています。


これらをまとめてみると・・

やはり「長町越路」の長町は、
前身であった根岸村の中にあった「越路山」ですので、
「長町越路」と付いているのではないかとイメージできます。


昔から「山を越えて下る」という土地柄は
「越路」という名前が付くことが多かったので、
八木山の前が「越路山」と命名されていた由来は、
恐らくここからだと思います。


様々な書物等を確認すると、
広瀬側付近にある「越路」と「長町越路」のつながりは、
あまり関係ないと推測できますが、
正確なところは不明です。

広瀬川の方の「越路」は、
上記に記した「東街道」の時についた名称です。

そして八木山エリアについては、
広瀬川付近の「越路」という地名が付く前に
「越路山」という名前は付いていたようですので、
八木山エリアは、
根岸村からの「長町」が関係し、
さらに越路山からの「長町越路」と推測できます。



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そして・・
最後に、現在でも不明な・・前回書いた「越路公園」

青葉台より八木山側にある小さな公園です。



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越路公園



この青葉台側に「越路公園」という公園があります。

なんで、ここが越路??という疑問です。

さらにもうひとつ・・



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地下鉄東西線駅の上にあるマンション「コープ野村」。

この前にある公園が
「越路二号公園」という名前なんですね。

この第2公園の「越路」は、意味が分かります。
地域名は「越路」ですので。

ただ、この一号公園の越路が、
なぜか青葉台がある「荒巻地区」側にあるんです。

これは推測ですが・・後から造ったコープ野村の公園名を
「越路公園」と申請したときに、すでに存在していて、
思い切りはじかれたために「越路二号公園」としたのでは
と思います。


問題は、なぜ・・越路という名称になったのか・・。

恐らくですが・・
命名した時に、歴史に強い方がいたのでしょう。

この青葉台側も、当時は「越路山」だったはずです。


今回のタイトルで紐解いた「地名の由来」で考えると、
お・・??と思うのですが、
「越路山」から命名されると納得がいきます。

その昔、コープ野村付近に存在した「越路山神社」が
ありますが、
その神社は八木山開発にあたった大正14年に
建造されています。

場所も近いですし、それを考えると・・おかしくはないのでしょうが、
もしそこから取ったのであれば、、
「越路山公園」として頂きたかった気もします・・。

これの真相は、どこにあるのでしょうか・・。



★★★

posted by 八木山取材班 at 03:33| 宮城 ☁| Comment(9) | TrackBack(0) | 八木山放送局NET | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月22日

八木山エネオス 3月25日(金)改装オープンへ {長町越路の由来}

★★★



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今年に入って、ビシッとお休みしていた
「八木山エネオス」さん。

3月25日 朝8時からオープンします。

ほぼ3ヶ月間お休みしていましたが、
フルサービスのまま、いつも通りの姿で戻って参ります。


地下タンクの完全交換があってゴタゴタしたようですが、
天井の修理や給油機の修理も終わっているようです。

給油をする機械は、塗装が入ったようですが、
そのまま使用されているようで、
変わったところで言うと・・・
待合室の喫煙コーナーが廃止され、完全禁煙になったとのことです。



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色々と不便だった方も多いと思いますが、
いつもの姿で戻ってきます。

おそらくリニューアル記念の何らかも
用意されていると思いますので、
ぜひ当日に行ってみて下さい♪



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今日、国土交通省の地価公示が示されました。

宮城県は+1.9%の上昇となり、
昨年の+2.3%から上昇率がやや縮小しています。

今回の上昇率トップが、
地下鉄東西線沿線の若林区六丁の目中町。
1平方メートル当たり9万6300円で、
前の年より12%高くなっています。

太白区の住宅は、
平均+2.8%(前年+2.7%)で上昇傾向継続しています。

その中で、平均を上回り、
昨年・・+9.6%と上昇率が最も高かったのが、
太白区八木山本町1丁目エリア。

今回は+7.0%と、僅かに落ち着きを見せ始めている状況
ではありますが、プラス傾向であることには変わりはなく、
八木山本町、松ヶ丘地域周辺で上昇率が大きいです。

全体的に、地下鉄沿線での「荒井駅周辺」と、
「富谷町エリア」の上昇率・・盛り上げ傾向が、
大きく出ている感じです。

一方で、東日本大震災で崩壊した緑ヶ丘エリア、
昨年の9月11日の豪雨により斜面が崩れた
「太白区羽黒台地区」等の丘陵地の団地では、
取引に当たり災害リスクが考慮されることが多くなっており、
地域内の需要は減少傾向にあるようです。


仙台市は、建築費の上昇により、中古住宅市場が活況し、
新築に比べて割安感のある
人気住宅団地内の中古住宅需要は根強いようです。

全般的に売り希望価格の上昇により、
需要サイドの動きは慎重姿勢に変化してきています。

地下鉄東西線駅周辺で、昨年に比べて上昇率を強めている地点は、
荒井エリアです。

マンション用地はデベロッパーの積極的な用地取得が見られるため
上昇傾向にあり、

古い住宅団地では高齢化に伴い、
中古物件や土地の供給が増える傾向もあって、
震災後続いていた物件不足は次第に解消されつつあるようです。


高齢化が進む八木山エリアでも、
長年あった住宅が売却され、アパートに変化したり、
新築になったりと、色々と変貌しているのは現実でしょうか。



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さて最後に。

このサイトでは頻繁に出ている「八木山」という名前が
付けられる以前の名前・・覚えていますか?

「越路山」と言います。

この名残が残っている地名が、
今現在もあることをご存じでしょうか。

それは、
地下鉄・八木山動物公園駅の裏側付近にあたる全域。
「長町字越路」という住所名がまだ残っています。

東北放送さんがあるギリギリまで、
まだ残っている状態でしょうか。

八木山動物公園や地下鉄は「八木山本町1丁目」なのですが、
「八木山ベニーランド」「コープ野村」等の一部で、
残っています。

ベニーさんの住所は、
仙台市太白区長町越路19-1 となっていますので、
遠方から来た方は、意味不明・・といったところでしょう。

とはいえ、ナビなどを使用する方が大半の世の中・・
住所を確認する方は、現在ではほとんどいないでしょうか。

ベニーさんの住所が「長町越路」となっていることさえ、
知らない方も多い気がします。

戦前戦後、八木山一帯は「大字長町」になっていた時代があり、
その後、現在の桜木町・香澄町などが開発をスタートし、
その頃までの「開発住宅エリアのすべてが長町字越路」という
住所名になっていました。

大年寺山付近などでは「長町字茂ガ崎」などもあり、
長町が付く地名の由来は、「大字長町」となっていた頃の名残です。



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2度クリック 拡大



長町という地名は、
朝鮮学校から東北放送にかけての
「竜の口渓谷の沢を境にして、八木山エリア側の一帯を長町」
と呼びます。

八木山橋の半分から八木山側は「長町」で、
向こう側は「青葉区川内」です。

朝鮮学校は「長町」ですが、
竜の口沢の向こう側は「青葉区荒巻」になります。


しかし、複雑なのは、ここです。

八木山ベニーランドの近く、そしてコープ野村の付近は、
「長町」というエリアの中の「越路」という地名なのです。

「八木山」の中の、[香澄町」「弥生町」・・
みたいな感じです。

ですので、長町のエリアの中で、住宅に近い付近は、
「越路」という地名なので「長町越路」なのです。

複雑ですね(^_^;)

ちなみに、正式住所名は「長町字越路」です。


極端な話ですが、
現在ある本町や松が丘、香澄町や桜木町など・・
この町割りの地名を実施していなかったとしたら・・・
私たちの住む住所は「太白区長町越路」という名前になっている
という事になります。

現在のこの規模の住宅地ですので、
「太白区長町越路2052番地の6」など、
限りなくすごい番地数が出ることになり、
郵便屋さんや宅配便は、パニックになるでしょう。

こういう事もあり、地名割りをしているのですが・・(^_^;)


さらに、以前の取材で気づいていたのですが、
朝鮮学校脇の峠道を通り、抜けた後の「荒巻エリア」に
「越路公園」という小さな公園があります。

現在、あのエリアは全く「越路」に関係していない地域
なのですが、ひょっとすると・・
あの付近まで戦前戦後は「越路」という地名が生きていたか・・
越路山という山が、このあたりまでだったか・・
という想像が出来ます。

どういう理由で、「越路公園」という名前が付いているのか、
気になりますね。

この部分は取材していませんので、分かりかねますが、
いずれ掘り下げていってみようと思います。


さて、話を戻しまして・・
八木山エリアの住宅開発が終わり、住民が住み始めた頃、
現在もある様々な地名に変更されていきましたが、
今でも一部で「長町越路」が残っている状態があります。

子供会などの町内会は、八木山本町1エリアに属します。

これを現在、
住所名を八木山本町に変更する動きが出ています。

考えてみれば、昔は「長町字越路」だった
八木山動物公園など、
いつの間にか「八木山本町」になっている状態もあり、
開発の行われなかった部分などが、
旧地名で残されているのが、今の状態です。


今になって思えば、
「八木山の歴史」を辿る上で「貴重な地名」とも言えるので、
そのままでも良い気がしますが、
これは、その地域で住んでいる方しか分からない部分も
あるでしょうか。


こういうサイトをやっていると・・
特に「残した方が・・」と思ってしまいますね(^_^;)

歴史を紐解く、良いカギになるのが地名になりますので、
後世に残すための「良い情報」になると思うのです。




★★★
posted by 八木山取材班 at 23:57| 宮城 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 八木山放送局NET | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月14日

八木山エリア アパート・マンション事情

★★★



震災から5年が経過し、
間もなく春が訪れるでしょうか。

先週末には中学校の卒業式、そして今週からは
幼稚園、保育所、小学校の卒業式シーズンが到来します。

今年の冬は、大量の雪は1度しか降ることがなく、
どちらかと言えば暖かい冬になったでしょうか。



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サンマリ八木山南店



先日青山店から移転、オープンした
サンマリ八木山南店。

後日掲載致しますが、取材が完了しております。

初日は、かなりの混雑が発生したようですね。
品揃えは、基本的にAコープさんを継承しているようで、
野菜・鮮魚等に力が入れられており、
付近にあるマツキヨさんとの競合を避けるためか、
生活用品を一切外した店内になっていました。




なお、付近情報ですが、
本日より鈎取エリア・名取川にかかる「栗木橋」が、
11月30日まで「補強工事に入るため通行止め」になります。

昭和36年に完成している橋で老朽化しています。
「すれ違いが出来ない橋」で有名ですが、
少しは幅を広げて、両方向可能にするはずです。
そのためにも補強は絶対条件でしょうか。

付近は渋滞するはずですので、ご注意下さい。






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年が明けて3ヶ月が経ち、新年度が近づいています。

新社会人・学生さんの新生活への準備も、
着々と進んでいることでしょうか。

八木山エリアは、東北工大と、
付近にある東北大学・宮城教育大学等があるため、
「学生さん等に好まれる賃貸物件」が数多くあり、
昭和の時代は「学生が溢れる街」でした。

そのエリアは、八木山全域に及び、
子供が多かった頃、昭和後半のピーク時は、
それはそれは・・という盛り上がりの時期がありました。

それがいつしか、少子化が騒がれはじめ、
郊外の街が発展し始めると、
大学生の学生数も減少していった八木山エリア・・
という構図が生まれるようになりました。



廃止間近の路線S719_12月5日まで_20151130[1].jpg




昭和・平成一桁の頃は「バス」はもちろんのこと、
「バイク」を使用して通学していた大学生も多くいましたが、
徐々に減っていくという現象が目立ち始めました。

それに伴いアパート等の「賃貸物件」が底値に当たるほど、
「激安エリア」になっていった経緯があります。

特に、八木山エリアにある多くの賃貸は昭和時代から存在する
物件も多くあるため、時代の変化から・・
新築物件や新しい物件を好む若者には、
敬遠されるようなエリアになっていったことも否めない部分でした。

それに加え、東北大学などを例に取れば、
八幡エリアなどの「平坦地域」が、
八木山エリアと賃貸金額が変わらなくなってきたという現象まで
発生してきたため、冬季のデメリットも含めて
かなり敬遠され始めた八木山エリア・・というものが、
見えていたことも事実でした。



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「学生さんが、八木山エリアに住むメリット」

地下鉄東西線が出来るまでは、
「見つけにくい」という感想が正直なところでした。

上記に記載したように、「価格帯が、他のエリアと同等」
となってくると、勝ち所を探すことが難しくなります。

しかし、地下鉄東西線で風向きが変わってきているようです。

先週の河北新報さんに掲載されていましたが、
東北大学生さんが八木山への関心が高く、
今年の合格者の1割が八木山に決めたという、
これまでにない現象が発生したようです。


これは、上記の昭和の時代からある「低価格アパート物件」が、
現在でも低価格のまま推移している部分が多い点が1つ。

そして何より、地下鉄東西線の沿線上に、八木山があるという
影響が何より大きいのでしょう。

ただ、ここに来て
「八木山エリアの賃貸値上げ」も発生しているという現実もあり、
平均で5千円〜1万円の値上げ幅でアップしている物件も
数多く見られるようです。

しかしながら、学生アルバイトの関係も考えると、
地下鉄沿線にある仙台駅付近のアルバイトを
間違いなくターゲットにするはずです。

となれば、仙台駅から東部エリア・
宮城野通・連坊小路などの地域も、
賃貸ターゲットに入るはずなので、
「低価格が魅力」であった八木山エリアの賃貸経営者さんは、
単純に値上げをしてしまうと、泣きを見る場合もあるかと思います。

東部地域・地下鉄東西線沿線も、
3万円台からの賃貸は、ゾロゾロあります。



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東北大学の学生さんからすると、
賃貸としての八木山の魅力・・
「低価格」の他に「なにがあるか?」まで考えられてしまうと
東部エリアと比べて、
デメリットの方が多い現実は、否めません。

例えば「松が丘エリア」の賃貸を探すと、
駅から約1キロ離れており、しかも「登坂」です。
現在、付近にはコンビニもありません。

八木山ならではの「眺望」というメリットで賃貸を探すと、
八木山動物公園駅に近づかなければならず、そうなると
賃貸料も一気に跳ね上がります。




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沿線上にある川内エリアは、
ワンルーム約4万〜6万円の幅のようですが、
なにより「平ら」という部分において、
八木山エリアにないメリットがあります。

八木山エリアの1キロより、
平らなエリアの1キロの方が楽でしょう。

そして何より、
自転車を使って仙台市中心部へ行ける距離・・
というものも大きいでしょうか。



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これが、宮城野・連坊小路と比べてしまうと、
賃貸金額の低価格帯が、八木山エリアと同等です。

仙台駅を通過するため、アルバイトなどを考えると、
住みやすい立地になるでしょうか。

ここも自転車・徒歩でも、仙台駅に行けるため、
八木山と比べてしまうと、メリットが多いでしょうか。



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学生と一般社会人と比べると、
居住地を選ぶ際の「見るポイント」はだいぶ変わると思います。

八木山エリアは、地下鉄が出来ても基本的に「静か」で、
治安は良い方です。

自然・眺望・静か という部分は、特にです。

しかも都市計画道路の完成もあり、
他のエリアからはまわり道をする必要がある「長町エリア」に、
ストレートで行くことが出来るメリットもあります。

クルマ・バイクがあると、
かなり便利な立地に変貌しているのは事実です。

他のエリアに助けられている感は否めませんが、
バイク・クルマを持っていると、
「仙台駅エリア」と「長町エリア」の中間に位置しているため、
上り坂はありますが、意外と便利であると思います。

家具を買うのにも、
長町・西多賀に「イケア」「ニトリ」さんもありますし、
乗り物があると、特に便利です。

国道286号線が近いため、
仙台市中心部とは違う「買い物メリット」が多く、
そういった長所が多いです。



これは取材班の主観になりますが、
「全国どこにでもあるような街」は飽きる・・
「多少不便と思う街の方が、色々と思い出に残りやすい」
と思うのです。


坂で苦労した・・

それも、見方を変えれば「オリジナル感」であり、
モノの見方を変えることが出来れば、楽しめるはずです。

どこの街にも似ていない街


子供の頃、個人商店の駄菓子屋が思い出に残るように、
地域オリジナル店の常連になる楽しみも、
「生活の楽しみのひとつ」だと思うのです。



★★★

posted by 八木山取材班 at 07:08| 宮城 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 八木山放送局NET | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月11日

東日本大震災から5年

★★★




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5年前のあの日・・。

昭和53年に起きた「宮城県沖地震」と
同様の地震が起こる可能性は「99%」とされていた中、
私たちは予想以上の災害を経験することになった。



撮影:N
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想像以上の現実。

私たちは、交通機関がマヒし、停電した中で、
自宅に帰ろうとした。

帰ることが出来なかった人も、多かった。

徒歩で帰宅した市民も、かなり多くいた現実。


無事に帰宅して見た光景は、絶望感さえあった。

しかし・・暗闇では、どうしようもなかった・・あの日。




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本震から、何度となく続く余震。

雪が舞い、日が落ち、訪れる闇。

ラジオから流れる、耳を疑いたくなる情報。

目で見る情報が遮断され、
イメージで感じた絶望感。

まだ寒い冬の季節、
電気で動く温かい空気が使えなくなった夜に、
布団に包まって一晩を明かす覚悟。

数分おきに、家財道具がガタガタと音を鳴らし、
いつ強震や烈震がくるのかと、怯えていた夜。

ふと空を見上げ、街灯が消えた夜空に輝く、満天の星空。


それぞれが、命というものを感じた夜。




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夜が明け、空が明るくなると、
絶望に満ちた気分が、少し晴れてくる。

それと同時に、被害の大きさも明らかになってくる中、
「生きること」を目指し始める。

水や食料、燃料の確保、身内等への連絡・・

公衆電話などで、様々なところへの連絡を試みる。

停電した東北各県への連絡は遮断され、
心の底から心配し、歯がゆさを感じた、他のエリアの方々。

家庭の固定電話は、電気が無いと機能しないものが大半で、
携帯電話が通じない事が、どういう原理なのかを知らない私たちは、
「いつかつながる」と信じ、何度もかけ続け、充電切れを起こした。

公衆電話はバッテリーが残っている間だけつながったが、
それは1日も持たなかった。

各中枢になる市役所や県庁、宮城県警などは、
震災当日には電気が通電しており、
中心部などから順に復旧していった電気が八木山エリアに入ったのは、
13日の夜の事だった。

14日から、携帯電話や固定電話、光ファイバーのインターネット等が
復旧しはじめ、各方面への連絡が可能になった。




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それから、水や食料の確保に動き始めた私たちは、
2週間後まで待つことになった「水」と
1か月以上かかった「都市ガス」に苦戦することになった。

人と人とのコミュニケーションで、
「どこの店が開いている」
「公園から水が出ている」
などの情報を、昔ながらの方法で取っていった5年前のあの日。


この経験が活かされるときが、またいつ来るか分からない。

再び災害が起こった時の備え、
私たちは大丈夫であろうか。




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地域の「救世主」になっていた地元スーパー。

「地元でお金を回す」意味合いは、
震災で感じ取った方も多かったかもしれない。

しかし・・喉元を過ぎれば、
「商品の品ぞろえが少ない」などの理由で、
再び大型スーパーに流れていく。


八木山南エリアで撤退したエーコープの跡地には、
青山店から移転した「サンマリ」が12日からオープンし、
営業をスタートする。

地元スーパーも、激戦区の中にあり、
大手スーパーの進出で撤退を余儀なくされる場合も多い。


しかし、気が付けば地域1点集中になり、
再び震災が発生した時に、パニックにならないことを祈りたい。



本日、3月11日 午後2時46分。

あの震災から5年が経過する。




★★★
posted by 八木山取材班 at 06:18| 宮城 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 八木山放送局NET | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする