2024年01月01日

八木山南エリアの変貌 2024

久しぶりの投稿です。 ご無沙汰しておりました。
2018年からストップしておりましたが、
無理のない程度に「テレビの特番」のような感覚で
投稿していけたらと思います。

2024年・正月に能登半島の地震が発生しました。
平穏なお正月ではなくなってしまった感があります。

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さて去年になりますが、
2023年の八木山エリアのニュースで大きかったのは、
「日赤病院の移転」でしょうか。

1982年4月に、現在の福祉プラザの地から
八木山へ移転した仙台赤十字病院。
その移転の最大の理由は「建物の老朽化」です。
当時候補に挙がった移転先として、
旧・仙台市立病院である現在の東北学院大の場所。
もう一つが現在の八木山の場所でした。

現在とかぶるところもありますが、
当時、八木山の用地を確保したのが宮城県です。
この当時も、用地を確保するのに動いていたのは、
宮城県だったわけです。

その後、仙台市側で緑地保護の観点で承認が出ませんでした。

「緑地保護」を特に重視していたそうで、
1978年に仙台市議会等が、
現在の建設地に視察で訪れるなどしました。
この時も、県と市、いろいろとあったわけです。

仙台市の市有地、「金剛沢市有林」、恐竜山の八木山南側を、
仙台市は当時の金額で61209平方メートルの面積を
3億3千万で売却、財産処分の提案を出しました。
1982年4月、
現在の場所に「仙台市赤十字病院」が診療開始した経緯です。

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このサイトを始めた当時、
仙台赤十字病院を取材させて頂いたのが12.3年前になります。
その当時は、病院スタッフの駐車場にもしている
道路向かい側への新病棟建設の線が、かなり強く生きていました。
ただその当時から「赤字」というものはついて回っていて、
移転費用の捻出が、かなりの負担になるとの話は伺っていました。
さらに震災の建物等の破損も
大きな負担として乗っかっていた状況です。

八木山に移転してきた当時、
八木山エリアは「人が増えまくっている地域」でしたので、
ビジネスとしても良い地域だったでしょう。

病院も「ボランティア」ではなく、会社に近いものがあります。
「つぶれたら最後」なのです。 会社でいえば倒産です。
いくら大騒ぎしても、日赤病院にお金は降ってきません。
それも考えれば、名取移転・がんセンターとの統合は、
仕方がないことでしょう。
「八木山へのがんセンター移転」という可能性も
あったのかもしれませんが、
保護区・緑化指定等の縛りの多い八木山では、
仙台市を相手にするには面倒な理由もあったかもしれません。

そのかわりに、令和10年の名取移転・開院を目指すのであれば、
その期間、移転反対していた方々には、
「仙台赤十字病院の跡地に、新たな病院の誘致」のほうが、
いろいろと好転する可能性が大きい気もします。
病院の跡地は、公園や学校等になることも多く、
住宅地や商業用地になりにくい部分もありますね。

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posted by 八木山取材班 at 19:10| 宮城 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 八木山放送局NET | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする