久しぶりの投稿です。 ご無沙汰しておりました。
2018年からストップしておりましたが、
無理のない程度に「テレビの特番」のような感覚で
投稿していけたらと思います。
2024年・正月に能登半島の地震が発生しました。
平穏なお正月ではなくなってしまった感があります。
さて去年になりますが、
2023年の八木山エリアのニュースで大きかったのは、
「日赤病院の移転」でしょうか。
1982年4月に、現在の福祉プラザの地から
八木山へ移転した仙台赤十字病院。
その移転の最大の理由は「建物の老朽化」です。
当時候補に挙がった移転先として、
旧・仙台市立病院である現在の東北学院大の場所。
もう一つが現在の八木山の場所でした。
現在とかぶるところもありますが、
当時、八木山の用地を確保したのが宮城県です。
この当時も、用地を確保するのに動いていたのは、
宮城県だったわけです。
その後、仙台市側で緑地保護の観点で承認が出ませんでした。
「緑地保護」を特に重視していたそうで、
1978年に仙台市議会等が、
現在の建設地に視察で訪れるなどしました。
この時も、県と市、いろいろとあったわけです。
仙台市の市有地、「金剛沢市有林」、恐竜山の八木山南側を、
仙台市は当時の金額で61209平方メートルの面積を
3億3千万で売却、財産処分の提案を出しました。
1982年4月、
現在の場所に「仙台市赤十字病院」が診療開始した経緯です。
このサイトを始めた当時、
仙台赤十字病院を取材させて頂いたのが12.3年前になります。
その当時は、病院スタッフの駐車場にもしている
道路向かい側への新病棟建設の線が、かなり強く生きていました。
ただその当時から「赤字」というものはついて回っていて、
移転費用の捻出が、かなりの負担になるとの話は伺っていました。
さらに震災の建物等の破損も
大きな負担として乗っかっていた状況です。
八木山に移転してきた当時、
八木山エリアは「人が増えまくっている地域」でしたので、
ビジネスとしても良い地域だったでしょう。
病院も「ボランティア」ではなく、会社に近いものがあります。
「つぶれたら最後」なのです。 会社でいえば倒産です。
いくら大騒ぎしても、日赤病院にお金は降ってきません。
それも考えれば、名取移転・がんセンターとの統合は、
仕方がないことでしょう。
「八木山へのがんセンター移転」という可能性も
あったのかもしれませんが、
保護区・緑化指定等の縛りの多い八木山では、
仙台市を相手にするには面倒な理由もあったかもしれません。
そのかわりに、令和10年の名取移転・開院を目指すのであれば、
その期間、移転反対していた方々には、
「仙台赤十字病院の跡地に、新たな病院の誘致」のほうが、
いろいろと好転する可能性が大きい気もします。
病院の跡地は、公園や学校等になることも多く、
住宅地や商業用地になりにくい部分もありますね。