八木山エリアは、昭和40年あたりから急速に宅地造成を開始し、
昭和60年付近でピーク地点に達しました。
昭和46年4月、八木山小学校が開校してから、児童数が急速に
増え始め、八木山エリアでは向山小学校と八木山小学校の2校しか
存在しなかった小学校は、パンク状態になりました。
昭和52年に八木山南小学校、昭和54年に芦ノ口小学校が開校し、
当時の八木山小学校では、それらの小学校に転入しても、
1200人ほどの在校生がいました。
しかし、昭和59年から児童数が1000人を切り始め、
以降年々減少を続け、現在では入学生が100人を切るのが普通という
状態になっています。
現在の八木山エリアは高齢化が進んでおり、子供、若い年齢層が
減少している構図が出来ています。
その事もあり、今まであった商店エリアに大きな変化が見られます。
本町1丁目地区に、商店街エリアがあります。
みやぎ生協八木山店があった場所です。
上記写真には、昭和の時代に「たかはし商店」という駄菓子等も置く
商店があった場所です。 今はありません。
昭和の面影を残す「喫茶フレンド」も空きテナントになりました。
たこ焼きやたい焼きなども販売する、古き良き時代の面影があります。
現在は別の場所に移転しましたが、みやぎ生協八木山店があった
跡地です。 みやぎ生協さんを中心に、この商店エリアが活気づいて
いた時代、夏には盆踊りが開催され、多くの子供達が賑わいを見せた
頃もありましたが、今はその姿は見ることが出来ません。
上記のエリアから少し離れた場所の写真ですが、
ここには当時「ピノキオ」「菅田書房」が存在していました。
ピノキオは、文房具・プラモデル等を販売していました。
菅田書房は、八木山エリアに2店存在していた本屋さんです。
現在はどちらもありません。
これも、子供の数の減少に一番躊躇に表れてしまった店です。
八木山・青山エリアの商店街通り。
面影は残しつつ、当時の賑わいはあまり見ることが出来ません。
八木山・向山エリアの商店街です。
八木山エリアの中では、現在でも一番活気があるのがここです。
理由の一つに、東北工業大学と高校が存在している理由が大きいです。
昔ながらの商店や、やきとり屋など、現在も残っている地域です。
この場所が、一番活気がありますが、昔ほどはありませんが、
ギリギリでつなぎ止めている地域と言えるのではないかと思います。
★★★
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