2010年01月12日

八木山 仙台市営バスのある風景

★★★


IMG_3017.JPG



仕事では、クルマやバイク移動が中心です。


そんな状態になってからは、公共交通機関には

ほとんど乗らなくなっています。

他のスタッフも同様です。


高校の時は、毎日「仙台市営バス」を利用していました。

赤い色の「宮城交通」もあったのですが、本数が少なかったので

乗る機会は少なかった気がします。


私が子供の頃に乗っていた市営バスと言えば、

ディーゼル全開の音が今でも耳に残っていますが、

騒音と黒煙も出ていた、レトロのバスでした。


今でもディーゼルですけど・・。


ギアを引っ張られた時には、会話もままならない状態です。


夏の暑い時には、

窓の両隅にある洗濯ばさみのようなフックを押し込んで、

上に持ち上げるタイプの窓を開け、

夏を過ごしていた時代を思い出します。


今のようなエアコンが装備されていない時代です。

装備されていたとしても、この八木山も含めて、

「 坂道を登る時は、坂を登らないからエアコン停止 」

という風物詩がありました。

今でもあるのかも知れませんが、

昔は「満員の時は、絶対エアコンOFF!」が当たり前でした。

エアコンを消されて文句を言う人は、いなかったと思います。


そんな時代のバスが、仙台ではなくなったから思うのでしょうが、

あの頃のバスの方が「あーバスだな」って感じがして、

結構好きでした。


おそらく、八木山に住んでいる方の大半が思っている事だと

思いますが、

「八木山経由のバスの運転手は、運転が上手すぎる」

と一度は感じた事があるはずです。


八木山は道が広くないので、そんな中をスイスイと走られると、

「真似ができん・・」

と感じる事が多いと思います。


さらに、この時期の冬、急に雪が降りますと、

坂道が登らないので、

向山エリアなどで「タイヤチェーンを装着するため待機」

という事態も、八木山の風物詩のひとつです。


下り坂の方が怖いでしょうけど・・。



時代が進んでいくと、大半のバスにエアコンが装備され、

運転席の後方に「冷房中」という表示が付くようになりました。 


のちにブレーキを踏んだ時の、車内から見える

ブレーキランプも装備されました。


坂道になると、エアコン表示のランプが消え、

「坂道が登らないんだな」と子供の頃に感じていました。


時代が進むと、全てのバスではないですが、少し進化しました。

「新車のバス」が走るようになったのです。


進化したものってなんだと思いますか?


窓が開かなくなったんです。しかも、窓が「青く」なったんです。

細かく見ればもっとあったんでしょうが、

明らかにすぐ分かるポイントでした。


あれだけでだいぶ高級感があったなぁと思います。


後に調べると、いすゞのバス。


しかし! 

調べてると、シャーシメーカはいすゞ、ボディーメーカは

「富士重工業」の組み合わせのバスでした。 


富士重は、日産ディーゼルのシャーシへの架装を主に

行っていたんですね。


深いですねーバスも・・。


仙台では、乗車する時に、番号が記載された整理券を抜き、

その番号の区画の値段を、降車する時に支払うシステム。


東京の都営バスに乗った時、

始めに料金を払うというシステムを知らなくて、

焦った記憶があります(^^;)


市営バスの乗車賃は、20〜30年前と比べると、

仙台市では、路線によって50円くらいは

値上がりしているようですね。




今後、市営バスの未来はどうなるのか分かりませんが、

なくなったらなくなったで、淋しくなる人間の心情です。


今はフツーに走っていますが、

見る事が出来なる時も来るのでしょうか。


昭和51年まで走っていた「仙台市電」も、

完全にバスに切り替わりました。


八木山では、公共交通機関が「バス」だけのエリアです。

地下鉄東西線が5年後に完成しても、

バスは完全になくならないはずですが、

今まで通っていた路線から姿を消す事はあると思います。


それも、時代の流れですが、

バスが通過する姿も、ひとつの「風景」ですね。






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posted by 八木山取材班 at 01:32| 宮城 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 太白区八木山界隈 今昔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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