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誰が呼び始めたのか、いつから呼ばれているのか不明ですが、
いつの頃からか、「恐竜山」「クジラ山」と呼ばれている山が、
八木山本町2丁目にあります。
2010.1.14 撮影:株式会社東北記録映画社
細長いシルエットが、恐竜やクジラに似ていることから
八木山では、老若男女から、そう呼ばれています。
恐竜山も含め、この界隈一帯は、「金剛沢緑地」と呼ぶ、緑地です。
「金剛沢市有林」とも呼びます。
八木山南方面と、青葉山方向、朝鮮学校側の一帯までの
範囲に及びます。
「恐竜山」では、昔は子供が作った「秘密基地」などが、
あちらこちらに見ることが出来ました。
今もいるかもしれませんが、
「アオダイショウ」などのヘビも生息している時期もあり、
八木山小学校・中学校では、「立ち入らないように」という
注意も頻繁にあった時期もありました。
考えてみれば、「八木山という山に、恐竜山」という、
2重の山の名称は、変な感じもしますが、
この通り名は、少なくとも昭和50年代からは呼ばれていたようです。
「金剛沢緑地」と呼ばれるこのエリアですが、
「公園」と「緑地」は何が違うのか?
と思いますが、
実は法律上でも「明確な答えが出ていない」のだそうです。
公園は、市民の休養、遊び場として役立てるもので、
緑地は、公園の機能をもつ上に、
さらに「地域防衛」「地域の過大化防止策」等をかねた、
広い意味を持つそうです。
従って面積もかなり大きく、密度の高い施設等は必要とせずに、
水面、草地など、自然のままの形態を残しつつ利用に供される
「営造物」ということになるみたいです。
この恐竜山は、少なからず「造られた形・造形」であり、
開拓される前は、ご存じの通り、「一面が山」です。
しかしながら、「この形にした」というものではなく、
まわりを開拓して削ったら、この形だけが残って、
恐竜みたいな形に「たまたまそうなった」というものだそうです。
ですから、この金剛沢緑地のまわりは、
当時「恐竜山」と、同じ高さの場所が多くあったということですね。
1950年付近の航空写真の八木山を見ると、
八木山本町1.2丁目だけでも、かなり隆起した場所が
多く見ることが出来ます。
造成の時に、傾斜を利用する形で削った場所もかなり多いようですが、
「恐竜山」と同じような高さの場所、
当時は多くあったようですね。
昔、八木山は「亜炭の山」でもありました。
この金剛沢緑地も亜炭抗が地下に走っており、
「恐竜山」にもあります。
恐竜山は、今でもその穴は存在していますので、
注意して下さいね。
★★★
2010年04月28日
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ハッキリした事が分かりませんでした(>_<)
今はむここで遊ぶ子供たちは、以前ほど多くないようで、
八木山に住んでいながら「もったいない」という
気さえしますね♪