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町内会の名称で「八興町内会」という名前の町内会があります。
八木山に住んで間もない方などは、「どこ?」と思うでしょう。
「八木山東エリア」を指します。
当時の子供会などでも、ピンと来ない名前だったので、
どこのことを言うのか分かっていませんでした。
開発時、「八興土地」さんが中心にあったための名称だったと
思います。
その八木山東エリアにある公園をご紹介します。
「松山公園」 です。
地図を見てお分かりの通り、「八木山中学校」も
八木山東エリアに入ります。
「松風公園」とか似たような名前が多いですね。
この「松山公園」は、この付近が開発された時期に出来ています。
下は広場、上は砂場等がある2段式公園です。
以前より記事にしていますが、
八木山は金剛沢炭坑等があった亜炭の山でした。
この「松山公園」は、大昔は「舟土屋」と呼ばれていた
「船着き場」だったようなんです。
この時代の写真なんて勿論なく、信憑性が薄いですが、
証拠のようなモノで、
この松山公園、「貝殻」などが出るそうです。
八木山東から下のエリアの「金剛沢」のエリアは、
大昔は金が取れたとも言われています。
金と言っても「砂金」だと思いますが。
以前、芦の口緑地でも触れた「金洗沢川」も「金」という名称が
付いていますので、たぶんそうなんだと思います。
これは、亜炭が始まるもっと前の時代の話です。
富沢に「地底の森ミュージアム」がありますが、
そういった意味でも、この付近は「遺跡」が出るくらいの
地域です。
松山公園の船着き場は、海の時代の「船着き場」なのか、
「金洗沢川」等にまつわる「川の船着き場」なのかは不明ですが、
この公園で「貝殻」が出るのは本当です。
昔のことを考えると、いろいろ想像を膨らませて楽しいですね。
大地は、水のはたらきか、火山活動でできてます。
地面の下は、火山活動の火山灰や、岩などがふり積もってできたり、
川の水が運ぶ土砂が積み重なってできています。
火山活動でできた地層は、角ばった石や、小さい穴がたくさん開いて、
軽石が混じっていることが多いものです。
水の働きで出来た地層は、角が丸い石が多く、
じゃり、砂、ねん土のように、重さの順で地層が重なって
出来ています。
山で貝殻の化石が見つかったなら、
その地層は、昔は海底だったと言うことです。
日本列島は、昔は海でしたし、不思議ではないですね♪
何も松山公園のことを記述しませんでしたが、
たまには、いいですかね(^_^;)
今回は、八木山東エリア「松山公園」からお送りしました。
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2010年05月24日
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