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昭和57年に、八木山に開院した「仙台赤十字病院」、
通称「日赤病院」。
それまでは、現在の仙台市立病院の向かい側、
仙台福祉プラザの跡地に存在していました。
建物の老朽化という理由が大きく、移転が思案されました。
昭和50年には、日本赤十字社、宮城県、仙台市は、
八木山への移転を決定していたと聞きます。
その後、建設場所がどこにするかという議題などがありました。
八木山エリアは昭和50年、向山を含む八木山エリア全域、
さらには西多賀エリアも含めた、当時で約1万名の署名を集め、
請願した経緯があります。
当時日赤病院は、建物の老朽化などが理由で移転場所を探し、
その候補に、現在の仙台市立病院の場所も候補になりました。
この移転理由の中に、騒音・振動・排気ガスというような
こともあり、自然環境の良い場所として
八木山も候補に挙がっていました。
宮城県が八木山エリアに用地を確保しましたが、
仙台市側で緑地保護の観点で承認が出ず、
昭和53年に仙台市議会等が、現在の建設地に視察で訪れています。
現在の日赤病院は、仙台市の市有地、
金剛沢市有林だった場所です。 恐竜山の八木山南側です。
仙台市は当時の金額で61209平方メートルの面積を
3億3千万で売却、財産処分の提案を出しました。
「緑地保護」を特に重視していたそうです。
このような経緯で、日赤病院の周りは、自然一杯、
緑に囲まれた立地になっています。
当時、八木山エリアには10近くの病院がありましたが、
入院設備を持つ病院は1つだけだったそうです。
近くの総合病院は「長町エリア」だけだったそうで、
現在のように交通機関が充実していたわけではありません。
さらに、仙台駅中心部を中心に見ると、
大学病院や東北労災病院、厚生病院など数多い
総合病院がありましたが、
仙台市中心部から北側、東側に集まっている特性がありました。
現在も、そんなに変わらない現実もありますね。
八木山エリアの開業医の先生方と、
日赤病院との「地域医療」の充実強化。
西多賀エリアも協力して頂いて集めた、「八木山地域署名」。
昭和50年などは、ほぼ「日赤病院」中心で八木山エリアが
活動されていた跡がわかります。
これが、昭和50年代から目指してきた、
「八木山エリアの地域医療」です。
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2010年06月21日
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