八木山東エリア 「西の平線」
昨日の「さかみち」シリーズで、
八木山開発のスタートが「道路」の建設で、
その最初が動物公園前までの路線、
昭和2年に完成した「向山線」ということを記事にしました。
そして、その向山線を延長する形で建設されていたのが、
本町二丁目、金剛沢、西の平、西多賀を抜ける「西の平線」。
この道路は、昭和初期に出来ている道路です。
もちろん、今のようなアスファルトではありません。
この写真、左へ向かう「恐竜山」のルート、
昔とはカーブの具合が違いますが、
この「恐竜山側の道」が本道でした。
右側に行くと、八木山小学校方面ですが、
ここは昭和40年代から造られた「エリア」ですので、
昔は「右へ向かう道」は存在していませんでした。
昭和初期の「西の平線」は、
周りは、木々が生い茂ったような道です。
昭和初期の雰囲気は、下の写真の感じだったようです。
道幅は、今とほとんど変わりません。
この「西の平」線は、
造られた昭和初期と、現在を比べて、
カーブする感じも、造られた昭和初期と変わっていないようです。
一番上の、八木山東エリア「急坂」も、下の「西の平付近」の道も、
「昔のまま」なんですね。
西の平 郵便局前
変にカーブしたりする道も多いですが、
おそらく「けもの道」を拡張しながら人海戦術で造られた道ですので、
「当時の都合」でこうなったものと想像できます。
さて、今日の本題でもありますが、八木山付近の「金剛沢エリア」。
金剛沢エリア 「中野商店」前
ここは、「八木山放送局Net」では、「八木山エリア」から
外している地区です。
とはいえ、この界隈までは「八木山中学校区」ですので、
取材をしています。
この「中野商店」さんは、このあたりでは長寿といえるお店です。
昭和30年代にお店が開店しています。
「酒・タバコ・薬・米」等を取り扱っています。
現在でも、元気に営業中です♪
そして10年以上前まで、この中野商店さんの向かいに、
「出光」のガソリンスタンドがありました。
ここは、現在まで空き地となっていましたが、
なにやら、最近から工事が開始されました。
取材したところ、 「岩盤浴」のお店がオープン予定だそうです。
八木山エリアも含むこの付近には、今までなかったジャンルのお店ですね。
敷地はそんなに広くないので、駐車場も数台と思いますが、
このエリアのための「歩いて行く施設」という感じです。
とはいえ、このエリアにはない施設という事で、流行るのではと思います。
もっと進展したら、また紹介します。
以前は、コンビニの「セブンイレブン 金剛沢店」もありましたが、
現在はありません。
中野商店さんの横道を進むと、「菊田酒店」さんがあります。
「菊田酒店」さんも、このエリアの「買い物を担う」数少ないお店の1つ。
昭和40年3月に開業し、タバコ店から開始して、酒・菓子などを取り扱う
ようになったそうで、
今のような佇まいは、昭和58年からだそうです。
実は、この「菊田酒店」さんの道も歴史が長いです。
戦後昭和20年代、1950年中盤頃に出来た「道」です。
金剛沢の住宅地が出来る以前に整備されたそうです。
原型となる「細い道」は、さらに前からありましたが、
カーブなどの「ルート」を少し変更して造られたようです。
さらに、もっと歴史が長い道がありました。
もっと長いのが、下の地図の道です。
「菊田酒店」さんの道路と、平行に走る「住宅地」を通る道。
金剛沢小学校の横を走り、旧286号線に出る道です。
戦前よりもっと前、江戸時代からは存在するようです。
金剛沢・金洗沢と呼ばれる由縁にもなった、
「金が出る地域」となっていた時代からではないかと
想像出来ますが、時期は正確ではありません。
大正時代には、亜炭のトロッコ軌道でも使用されていた道路です。
ルートもカーブ具合も、ほとんど変わっていません。
前述した、「西の平線」よりも歴史が長い道です。
今は、当時の面影はほとんど残っていませんが、
「へぇー」という感じがしますね♪
★★★
ところで、最後の一番古くからある道ですが、
亜炭を運ぶトロッコの線路跡だと思っていたのですが、
違いましたっけ?
大昔の地形図を見ると、八木山南付近の炭坑跡から旧286まで結ぶ線路の記号が、
その道の形そっくりに記載されているのですが。
大正時代のトロッコの軌道ですね?
そうですね、
それを記載するのを忘れておりましたm(_ _)m
誤解を招く記事、すいませんでした。
亜炭の前のことらしいのですが、
トロッコの前から、
「けもの道」として存在していたそうなんです。
それを使ってトロッコの軌道とした
ようなのですが、
「金剛沢」「金洗沢」と呼ばれる
「金が出る」と言われた江戸時代付近から
存在した道らしいです。
少し、記事を修正しておきます。
ありがとうございますm(_ _)m