2010年09月03日

八木山付近 金剛沢エリア 「岩盤浴」がオープン予定

★★★



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八木山東エリア 「西の平線」






昨日の「さかみち」シリーズで、

八木山開発のスタートが「道路」の建設で、

その最初が動物公園前までの路線、

昭和2年に完成した「向山線」ということを記事にしました。



そして、その向山線を延長する形で建設されていたのが、

本町二丁目、金剛沢、西の平、西多賀を抜ける「西の平線」。


この道路は、昭和初期に出来ている道路です。


もちろん、今のようなアスファルトではありません。



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この写真、左へ向かう「恐竜山」のルート、

昔とはカーブの具合が違いますが、

この「恐竜山側の道」が本道でした。



右側に行くと、八木山小学校方面ですが、

ここは昭和40年代から造られた「エリア」ですので、

昔は「右へ向かう道」は存在していませんでした。



昭和初期の「西の平線」は、

周りは、木々が生い茂ったような道です。


昭和初期の雰囲気は、下の写真の感じだったようです。


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道幅は、今とほとんど変わりません。




この「西の平」線は、

造られた昭和初期と、現在を比べて、

カーブする感じも、造られた昭和初期と変わっていないようです。


一番上の、八木山東エリア「急坂」も、下の「西の平付近」の道も、

「昔のまま」なんですね。


IMG_0104.jpg

西の平 郵便局前




変にカーブしたりする道も多いですが、

おそらく「けもの道」を拡張しながら人海戦術で造られた道ですので、

「当時の都合」でこうなったものと想像できます。





さて、今日の本題でもありますが、八木山付近の「金剛沢エリア」。



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金剛沢エリア 「中野商店」前



ここは、「八木山放送局Net」では、「八木山エリア」から

外している地区です。


とはいえ、この界隈までは「八木山中学校区」ですので、

取材をしています。



この「中野商店」さんは、このあたりでは長寿といえるお店です。

昭和30年代にお店が開店しています。

「酒・タバコ・薬・米」等を取り扱っています。


現在でも、元気に営業中です♪



そして10年以上前まで、この中野商店さんの向かいに、

「出光」のガソリンスタンドがありました。


ここは、現在まで空き地となっていましたが、

なにやら、最近から工事が開始されました。



IMG_0097.jpg




取材したところ、 「岩盤浴」のお店がオープン予定だそうです。


八木山エリアも含むこの付近には、今までなかったジャンルのお店ですね。


敷地はそんなに広くないので、駐車場も数台と思いますが、

このエリアのための「歩いて行く施設」という感じです。


とはいえ、このエリアにはない施設という事で、流行るのではと思います。


もっと進展したら、また紹介します。



以前は、コンビニの「セブンイレブン 金剛沢店」もありましたが、

現在はありません。



中野商店さんの横道を進むと、「菊田酒店」さんがあります。


IMG_0113.jpg




「菊田酒店」さんも、このエリアの「買い物を担う」数少ないお店の1つ。


昭和40年3月に開業し、タバコ店から開始して、酒・菓子などを取り扱う

ようになったそうで、

今のような佇まいは、昭和58年からだそうです。



IMG_0115.jpg




実は、この「菊田酒店」さんの道も歴史が長いです。

戦後昭和20年代、1950年中盤頃に出来た「道」です。



金剛沢の住宅地が出来る以前に整備されたそうです。

原型となる「細い道」は、さらに前からありましたが、

カーブなどの「ルート」を少し変更して造られたようです。




さらに、もっと歴史が長い道がありました。


もっと長いのが、下の地図の道です。






「菊田酒店」さんの道路と、平行に走る「住宅地」を通る道。

金剛沢小学校の横を走り、旧286号線に出る道です。


戦前よりもっと前、江戸時代からは存在するようです。


金剛沢・金洗沢と呼ばれる由縁にもなった、

「金が出る地域」となっていた時代からではないかと

想像出来ますが、時期は正確ではありません。



大正時代には、亜炭のトロッコ軌道でも使用されていた道路です。

ルートもカーブ具合も、ほとんど変わっていません。



前述した、「西の平線」よりも歴史が長い道です。



今は、当時の面影はほとんど残っていませんが、

「へぇー」という感じがしますね♪





★★★



posted by 八木山取材班 at 20:23| 宮城 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 八木山放送局NET | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつも楽しく読ませていただいております。
ところで、最後の一番古くからある道ですが、
亜炭を運ぶトロッコの線路跡だと思っていたのですが、
違いましたっけ?
大昔の地形図を見ると、八木山南付近の炭坑跡から旧286まで結ぶ線路の記号が、
その道の形そっくりに記載されているのですが。
Posted by 八木山南→鈎取住民 at 2010年09月03日 23:22
コメントありがとうございます♪

大正時代のトロッコの軌道ですね?

そうですね、 
それを記載するのを忘れておりましたm(_ _)m
誤解を招く記事、すいませんでした。

亜炭の前のことらしいのですが、
トロッコの前から、
「けもの道」として存在していたそうなんです。

それを使ってトロッコの軌道とした
ようなのですが、
「金剛沢」「金洗沢」と呼ばれる
「金が出る」と言われた江戸時代付近から
存在した道らしいです。


少し、記事を修正しておきます。

ありがとうございますm(_ _)m




Posted by 八木山取材班 at 2010年09月04日 00:59
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