2010年09月21日

地下鉄東西線関連八木山地区まちづくり研究会

★★★



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明日の9月22日(水)に、

右のリンクにもありますが、「地下鉄東西線関連八木山地区まちづくり研究会」

が午後1時30分より、八木山市民センターで行われます。



この時間に行われると、会社員の男性や自営業の方々などは

どうしても来る事が出来ないと思います。


時間帯なども含めて、色々改善が必要な点もあるかと思いますが、

よろしくお願い致します。




八木山エリアの歴史は、浅いようで長いようで・・。

そんな感じがします。


八木山の以前の名称が「越路山」という名前でしたが、

「山を越える路であったことから付いた」

とも言われ、さらに

「鹿が恋をして、恋路で駆ける山」ということで

「越路」という意味とも言われたそうです。



江戸時代に、越路山、山田、金剛沢、根岸山、芦の口など

6つの山になっており、

それらをまとめて「おとめ山」と呼びました。



これらの山は、仙台城に隣接する山だったため、

防衛上の問題で「立ち入り禁止の山」でした。


立ち入り禁止ということで「お止め山」、

「おとめ山」と呼ばれたとの事。



明治に入るまで、人が入れないエリアだったわけです。

現在の青葉城趾などの界隈にも立ち入り禁止エリアがありますね。




明治時代、仙台藩が「おとめ山」を旧藩士たちに

お金で売る、つまり「払い下げ」、

さらに明治政府になっては、国有地としたため、

「俺の山だ!」の如く紛争が絶えず、

『訴訟の山』と呼ばれるようなイメージがありました。



そして大正時代、訴訟などで心を痛め、

越路山を丸ごと買い取ろうとした4代目八木久兵衛氏、

訴訟ごと買い取ろうとしたのです。

七十七銀行の八代目頭取です。



しかし志半ばで4代目は死去、

意志を継いだのが5代目八木久兵衛氏。

この5代目の時に買い取りを完了しました。


この時から、越路山から「八木山」と呼ばれました。



ちなみに、上記で「おとめ山」と記載しましたが、

買い取った範囲が不明で、

どこからどこまでの範囲で買い取ったのか、

資料がないそうです。





今までも記載している通り、

向山からスタートした八木山開発でしたが、

今では考えられないほど「何もないエリア」でした。



それは向山だけではなく、昭和40年代から開発されたエリアも

同じようなモノでした。

時代が早かったので、一番きつかったのは向山エリアでしょう。



これまで色々な話を取材でお伺いすると、

この店がなかったら、当時はきつかったというような話を伺います。



今なら、八木山エリアに存在しないお店があっても、

クルマも含めて交通機関は充実して色々買い物が出来ますが、

当時は気軽にホイホイと手に入る時代でもありません。



八木山本町エリアですと、

「(有)田中米穀店」さんには助けられたという事を

耳にします。 右のリンクにも掲載しています。



現在は、かなりお米に特化したお店です。

不動産業も行っていますが、

八木山エリアで、「八木山の米屋」として断言しても

間違いではないほどの設備が揃っています。



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(有)田中米穀店さんで何をお世話になったかと言えば、

「ガス」です。 当時はガスにも特化していました。


この界隈は、ガスでお世話になっていない場所を探す方が

難しいのではという話を聞きます。



そういう時代だったんです。



今は、他のエリア・・という考えが当然出ておかしくないですが、

昔は地元で揃えるんです。


何かあった時に、すぐ来てもらえますしね。




ちなみに、今はほとんどが「都市ガス」を利用していると

思いますが、

昔はプロパンです。



昔、「宮城県沖地震」がありましたが、

東北工業大学の施設や、緑ヶ丘エリアなど被害が多く出た

八木山エリアですが、

「被害が集中した」エリアはありますが、

たいして被害がないエリアも多かったんです。



亜炭がある山でしたが、

八木山エリアは、「地盤が固いエリアが多い」と言われています。

もちろん、人工的に造られた場所以外ですが。



その中で、復旧という部分で早かったのが、

「プロパン」を使用していた世帯だったそうです。


プロパンガスが使えなかったのはせいぜい3日間くらい。


ただし都市ガスに関しては2週間は復旧できなかったそうです。




昭和50年代にはいると、

色々なジャンルのお店が建ち並びました。



不自由を感じなく生活できるまでになりました。




当時、手と手を結んで色々な事を造り上げていた八木山エリアですが、

当時と今では、「希薄」と当時の方から言われても、

文句は言えない、特に若い世代の方と思います。




先日、若い世代が集まった八木山エリアのまちづくり研究所、

「やぎやま地域デザイン研究所」の人たちが集まって会議を

開きました。

通称「やぎラボ」と呼んでいますが、

もっと形になった時点でご紹介したいと思います。



会議と言っても、当時の八木山の思い出話にもなります。



今は立ち入る事が出来なくなりましたが、竜の口渓谷の化石取り、

そして恐竜山など、

「八木山の探検」を多くした記憶がたくさんあります。



八木山小学校から、夕方に「愛の鐘」が鳴り響きますが、

きっかけは、こういう探検をしている子供たちが、

山の中で時間を忘れて遊ぶために、

危険がないよう帰宅を促す目的でもありました。



今のような時代に八木山が開発されたのなら、

「愛の鐘」は出来なかったのかも知れませんね。



30代〜40代の若い世代なら、

子供の頃は、かなり外で遊んでいた世代のはずです。


つまりは、八木山の地域はある程度認知しているはず。



そういう世代が、

八木山地区まちづくりに参加して頂いたり、

いろいろ事に目を向けて頂けたらと思います。






★★★









posted by 八木山取材班 at 23:59| 宮城 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 八木山放送局NET | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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