<昭和2年 仙台市都市計画道路図 「仙台市」>
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昭和2年の、仙台市の「都市計画道路図」です。
仙台市内の道路の大部分が、現在と違うことが分かるでしょうか。
戦前の道路と言うことになりますが、
戦争時の空襲で、この一帯が焼け野原になりました。
その前の計画道路図ということになります。
八木山付近では、
青葉城址一部、向山小学校付近、八木山緑町の一部、長徳寺/大満寺一帯
などが焼失しました。
戦後、今回の東日本大震災のように「復興」という文字が様々な資料で
見て取れます。
<昭和2年 仙台市都市計画道路図 「仙台市」>
一方で八木山エリアはどうかと言えば、
戦争の時にダメージが出た所は、向山エリアを除いてありません。
大半が「山」の状態です。
大正15年に、向山・長徳寺前の「向山ルート」の道路建設をスタートし、
昭和4年に「八木山球場」が完成しています。
山を削り谷を埋めて造られた「八木山野球場」と資料にありますが、
この「都市計画道路図」を見ると、
昭和2年のこの資料に「八木山公園」という名称が見えます。
この「八木山公園」が、昭和4年に完成する「八木山野球場」の事を
意味するのだと思いますが、もともとここに公園があったという話は、
聞いたことがないのですが・・。
大正15年からスタートしている「向山ルート」も、
この地図には記載されていませんね。
あと少し気になるのが、
この「八木山公園」を囲うように描かれているラインは、
なんのエリアを意味しているのでしょう。。。
他のエリアにもあるラインもそうですが。
何かの等高線でしょうか。
この時代の八木山は、完全に「山」の状態で、
八木山のスタートである向山・緑町付近の開発もまだです。
ここから間もなく、当時は吊り橋でスタートした「八木山橋」
が昭和6年に完成します。
次回は、当時の写真と共に「八木山橋」のお話しです。
★★★