2011年06月02日

八木山の 昭和のはじめ

★★★




都市計画道路図 昭和2.jpg

<昭和2年 仙台市都市計画道路図 「仙台市」>


*2度クリックで、リンク拡大




昭和2年の、仙台市の「都市計画道路図」です。


仙台市内の道路の大部分が、現在と違うことが分かるでしょうか。



戦前の道路と言うことになりますが、

戦争時の空襲で、この一帯が焼け野原になりました。

その前の計画道路図ということになります。


八木山付近では、

青葉城址一部、向山小学校付近、八木山緑町の一部、長徳寺/大満寺一帯

などが焼失しました。


戦後、今回の東日本大震災のように「復興」という文字が様々な資料で

見て取れます。



都市計画道路図 昭和2ヨリ.jpg

<昭和2年 仙台市都市計画道路図 「仙台市」>




一方で八木山エリアはどうかと言えば、

戦争の時にダメージが出た所は、向山エリアを除いてありません。


大半が「山」の状態です。


大正15年に、向山・長徳寺前の「向山ルート」の道路建設をスタートし、

昭和4年に「八木山球場」が完成しています。


山を削り谷を埋めて造られた「八木山野球場」と資料にありますが、

この「都市計画道路図」を見ると、

昭和2年のこの資料に「八木山公園」という名称が見えます。



この「八木山公園」が、昭和4年に完成する「八木山野球場」の事を

意味するのだと思いますが、もともとここに公園があったという話は、

聞いたことがないのですが・・。


大正15年からスタートしている「向山ルート」も、

この地図には記載されていませんね。


あと少し気になるのが、

この「八木山公園」を囲うように描かれているラインは、

なんのエリアを意味しているのでしょう。。。

他のエリアにもあるラインもそうですが。

何かの等高線でしょうか。



この時代の八木山は、完全に「山」の状態で、

八木山のスタートである向山・緑町付近の開発もまだです。



ここから間もなく、当時は吊り橋でスタートした「八木山橋」

が昭和6年に完成します。



次回は、当時の写真と共に「八木山橋」のお話しです。





★★★





posted by 八木山取材班 at 23:06| 宮城 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 八木山放送局NET | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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