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<昭和20年代前半「八木山橋」 仙台市より>
昭和6年に完成した「八木山橋」。
この八木山付近や八木山橋付近がこうなる前の話。
いわゆる「街づくり案」と言えば分かりやすいでしょうか、
今回の震災の津波で大きな被害を出した「六郷・七郷」地区が
当時「干ばつ地帯」となっていたようで、
『干ばつ対策で、竜ノ口渓谷の一部をダムにして、
水路を引っ張ったらどうだろう』
という意見まで出ていたと言います。
今となっては、当時の貴重な提言案ですね。
当時の八木山橋とその道路は、
「軍用道路」で「仙台市の維持管理」の条件で、
「建設許可」が出ていたそうです。
当時の八木山橋は、ゆらゆら揺れる「つり橋」。
八木家が出資、後に市に寄付されています。
昭和6年2月に工事を着工、同年8月に完成・竣工しました。
仙台市街地からわずか数キロで、
景色が一変し始めるこのエリアは、
真夏の炎天下では「冷涼エリア」にもなる場所です。
ビル群が建ち並ぶ仙台市街地で仕事を終え帰路に着く途中、
青葉城址から続くこのルートを走ると、
「自然の中に入っていく幸せ感」を感じる時があります。
自然は、最近では当たり前のようで、当たり前ではない
ようになってきましたので、
八木山エリアに住む方々には、もっと味わっていただきたい気もします。
ただ昭和6年に竣工したこの八木山橋も、
当初から「自殺の名所」という、
喜ばしくないレッテルを貼られていたのも事実です。
八木山エリア全体のイメージダウンになっていることも、
確かなことでもあります。
ここを何とかイメージアップに繋げたいモノです。
<観覧者提供写真>
以前より「告知」している、
「昔の八木山エリアの写真を探しています」の件。
みなさま、ぜひ宜しくお願い致します。
この1枚は、このサイトの観覧者の方からの
ご提供写真の1枚です。
「八木山橋上」での1カットは、非常に貴重です。
本当に貴重な1カットです。
コピー防止を、念のためさせていただきます。
当時は、多くの観光客がいたと言いますが、
最近では「観光で八木山橋に行こう」という話は、
ほとんど聞いたことがありません。
当時の写真からも、観光客の方がいるのも
お分かりになるかと思います。
普通に考えると、大変勿体ないことなんですね。
観光スポットとなるべきはずの場所が、
そうなっていない現実がある訳ですので。
東京のベイブリッジじゃないですけど、観光目的として
今月、順次工事が再開すると決定している「地下鉄東西線」より、
この「八木山橋」をどうにかする必要がある気がします。
現に、「学徒の街」と位置付けているこのエリアに対して、
「橋を渡るのが怖い」という理由で、
八木山に居住することを避けている学生さんも多い現実も
少なからずあります。
どうにかしたいですね。
現在の八木山橋は昭和40年に完成しています。
宮城県沖地震の時は、今回の東日本大震災と違い、
橋脚にダメージがあり破損しています。
修復工事のために時期をおいて1か月くらい通行止めに
なったそうで、今回の震災でもあったように、
向山ルートが大渋滞になったそうです。
八木山エリアは、市街地へ抜ける本道が少ない弱点がありますので、
通行止めになってしまうと、かなり厳しい思いをする現実はあります。
現状でも青葉城址ルートが通行止めになっていますので、
だいぶ不便ではあります。
古い写真1枚で、様々な思い出話を語れる貴重な資料。
お茶の間で、この八木山橋の話題が出ると幸せですね。
皆さまの押し入れの中やアルバムに、
懐かしい写真があれば、ぜひお願い致します。
★★★
2011年06月03日
この記事へのトラックバック
見て頂ければ嬉しいです。
素晴らしい写真ですね!
後日、リンクをさせて頂いて、
このサイトをご紹介して宜しいでしょうか?
(橋を渡るとすぐ左側に 不思議なトンネル風の通路)
とありましたが、
この場所の写真が、なかなか出てこないんです(>_<)
観光スポットとして
八木山橋が成り立って欲しいと思いますが、
かなりの難題です。
このように写真を撮る観光客は、
いまは全くいないことがさみしいです。