★★★
<平成23年3月11日 夜>
震災後、ライフラインが停止。
主軸とも言える「電気」が停電。
今思えば、この頃には「救援隊」が東北各地に
向かってくれていたのだと思います。
八木山の夜は、「静寂の闇」に包まれ、
通過するクルマも少なく、人の声も聞こえない。
「八木山に、いま人が住んでいますか?」
そう感じたほどの「静寂の闇」が、震災の夜に八木山を包み込んでいました。
<平成23年3月13日 八木山小学校>
水道が「断水」。
震災から約2週間後に復旧した「水道」でしたが、
それまでの私たちの日常は「水くみ」でした。
これに一番苦労したと感じる人は多いのではと思います。
毎日の「飲料水」、そして「トイレの水」。
私たちの日常に欠かせない、生きていくために欠かせない
「水の重要性」。
<平成23年3月16日 ツルハドラック仙台緑ヶ丘店>
生きるために必要な「食料」。
震災当日から「食料」を買い求める人々の姿が多くありました。
しかし、「開いていない店」も続出。
私たち住民の「心の焦り」を増幅させるものになりました。
「どこまで、この状態が続くんだろう」
震災から間もなくは、この不安感に押しつぶされようとしていた方は、
多かったのではと思います。
そして今思えば、この日のあたりは「放射能」が強く出ていた時期
でした。 雨や雪も降っていました。
たぶんガイガーでも強めだったでしょう。
それでも食料や水を求め、日課にせざる得ませんでした。
この時期は、「測定値」の公表はされていませんでしたが、
仮に強かったことが公表されていたら、
食料や水を求めなくてはならなかったこの時期に、
皆さんは物資を求めに外に出たでしょうか?
それとも、水や食料が必要なのに、
一切外に出なかったでしょうか?
ガス供給の停止。
工事がスタートしたのが震災から約2週間後の3月下旬。
八木山で復旧したのが4月16日。
残念ながら、仙台市内で最後の復旧エリアでした。
それまで過酷だったのが「お風呂」だったでしょうか。
カセットコンロなどで「温かいモノ」は口に出来たものの、
「やはりプロパンか?」「オール電化か?」などと、
色々考えさせられた家庭も多かったのではと思います。
地域によっては「都市ガス」が入っていかない地域も多く、
「プロパンガス地域」では「ガスに困らなかった」ので
苦痛に思わなかった人々も多くいる現状もあります。
震災後、パニックした現状が多く出た「燃料」。
ガソリンと灯油です。
ガス精製工場の被災もあり「燃料不足」が大問題に。
昔の「オイルショック」ほどではなかったですが、
震災時期は寒い日が多く、まだ「灯油」のフル活用時期でした。
そして車に入れるガソリン。
ガソリンスタンドの長蛇の列、そして道路渋滞。
様々な苦しみがありました。
そして今週末で震災から3ヶ月。
大地震から3ヶ月の節目は、「巨大地震」の確率がデータ上では高く、
国の方でも警戒しているようです。
本震から1ヶ月後に起きた、4月7日の宮城県沖の余震。
この日まで国や自衛隊は「警戒期間」に入れていたようで、
その最後の日に起きた余震だったようです。
「パニックを誘発」させることで、大々的に公表しないようですが、
どうやらこの3ヶ月の節目は「警戒期間」のようです。
今に限ったことではないですが、
「備え」は万全にして置いた方が良さそうですね。
食料、水、ガソリン、乾電池、カセットコンロ・・
しっかり万全にしておきましょう。
そして家の中などの倒れそうな物など、
ビシッと防衛線を張っておきましょう。
本震の時と違い、「縦揺れ」で来られると厄介です。
被害が甚大に出てくる可能性が大きいです。
取材班は個人的に「震災からまだ3ヶ月?」という気分なのですが、
震災の時期は寒かったのに、
気が付けば「夏日」が続く仙台市と八木山エリア。
3ヶ月もしない内に約30度も気温が違うんですね。
間もなく、震災から3ヶ月が経ちます。
<仙台市内を眼下に見る伊達政宗像>
★★★
2011年06月07日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック