2011年06月24日

「八木山 震災後 あのとき」 シリーズ第3回 「水を失った日」

★★★




水が早く復旧した地域は、水で苦労したとは思わない。

電気が早く復旧した地域は、電気で苦労したと思わない。

ガスが早く復旧した地域は、ガスで苦労したと思わない。


以前記事にした「宮城県沖地震の時のアンケート」では、

上記のような「人の心に残る印象」が残った。



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<3月12日 八木山小学校>



この東日本大震災での八木山エリア、

「電気」は3日ほどで復旧したのに対して、

「水道」の復旧は、一部地域を除いて約2週間を要した。


一部地域や給水施設が倒壊した「マンション」などは、

4月に入ってから、もしくはゴールデンウィーク前まで

水道が出なかった現状もあった。


「水を失った日」


人間は水を失うと、いずれ死に至る。

食事を作るにも、水を使用する。


下水処理が発展した事により、

まだ「汲み取り式」も多かった33年前の宮城県沖地震では、

現在ほど「トイレの水」には苦労しなかったであろう。


しかし「水洗式」になった現在では、

トイレの水さえ確保が難しい現状まで発生した。


避難所にもなった八木山小学校では、

ボランティアの若者が、トイレ用としてプールの水を

ポリバケツに汲み、対応してくれていた。



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<平成23年3月13日 みやぎ生協八木山店>



みやぎ生協八木山店では、最初の内は水道から水が出ていた。

配水タンクの水が残っていたのであろう。


このような現象は、地域の公園などでも見られたが、

ずっと出続けてくれる訳ではなかった。



しかし、震災から数日が経過すると、

様々な地域への「救援の手」も届き始めた。



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上記の八木山小学校では、

避難所用として「巨大な臨時飲料水」も到着。



各八木山エリアの地域では、

全国から救援に駆けつけてくれた「給水車」も続々到着。



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<ローソン 大塒町店>



純粋に「嬉しい」と感じた方が大半であったろう。


当サイトのコメントにも届いていたが、

「全国区のナンバープレートを付けた救援車」を見ると、

無条件で撮影したくなる気持ちになった。



ひたすら流れていた「ACジャパン」のCMじゃないが、

「あがとう」

という感謝の気持ちは、絶えず存在していた時期だったろう。



「水汲みが日課になっていた」


近所の分まで水汲みに。


供給停止していたわずかなガソリンを使い、

水が出た地域に出向いた日々。



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3月17日に、雪が降った。


なんてアナログな事をしているんだろう・・


そう思った方も多いと思うが、

「雪解け水を使おう」と、家の軒先にバケツを並べ、

トイレ用の水などに使用した方も多かったであろう。


昭和20〜30年代では、

地域によるが、水道をひねれば水が出た地域ではない

ところも多く、井戸から水を汲み・・というものが

日課だったそうだ。


本格的に開拓される前の八木山だってそうだったと聞く。


この苦労を、少しでも体験した事は、

どうかプラスで考えて頂きたいように思う。




今、各ライフラインを普通に使えている有難みを、

忘れないようにしたい。


そして、「風呂に水を溜める」「水の備蓄」も、

忘れないようにしたい。





★★★


posted by 八木山取材班 at 19:22| 宮城 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 八木山放送局NET | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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