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観覧者の皆さま、
「八木山エリア付近 昔の写真探しています」
のコーナーがやって参りました。
そろそろ「お馴染み」になってきましたか?
「八木山放送局Net」「八木山市民センター」では、
「昔の八木山エリア付近の古い写真」を探しています。
どうか実家の押し入れをオープンして頂き、
古いアルバムの中などから、
写真を探して頂けないでしょうか?
宜しくお願い致します。
今日ご紹介するのは、
観覧者の方からご提供して頂いた超・貴重写真です。
先日の「青葉城址ルート」の流れで紹介することにしました。
この場所を、どのタイミングで紹介すればよいか、
模索しておりました。
明後日からの「東北六魂祭」もありますので、
ここか! と思い、ご紹介致します。
八木山エリアと少し離れていますが、
「仙台城 隅櫓前」。
私たちは「青葉城」と呼ぶことが多いでしょうか。
かつて大手門があった場所の少し下側に、
「五色沼」という沼があります。
仙台市博物館の入り口ですね。
<現在の五色沼>
五色沼という名称は、おそらく全国に点在していると思います。
仙台市にある五色沼は、
かつて仙台城が存在していた時代の「お堀」の一部に
なっていた場所です。
仙台市博物館がある場所は、
伊達政宗時代、庭園や茶室がある屋敷が存在していました。
時は流れ明治23年・1890年頃から、
「外国人が五色沼でスケートを始めた」とされていて、
後にスケート指導を受けた学生が、
「日本で初めてフィギアスケートをした場所」とされているのが
この「五色沼」です。
「日本フィギアスケート・発祥の地」と言われるのが、
この場所ということです。
ただ、この場所でスケートが行われていた写真記録は、
そんなに多く出回っていません。
そして、この場所でスケートが行われていた「証拠写真」と
言える貴重写真が、こちらです。
<観覧者・提供写真 1964年3月1日>
1964年・昭和39年の、
「五色沼・スケートを楽しむ仙台市民」の写真です。
今から約47年前になりますね。
当時、ビシッと氷が割れてしまうということも
普通にあったようですが、すごいですね。
<現在の五色沼>
普通にここを訪れた方々は、
サラーッと「仙台市博物館」目的で、
あまり記憶に残っていない方も多いと思いますが、
凄い場所なんですよ、実は。
「ここでスケート、怖くない??」
と思う方、多いでしょう。
取材班もそう思いますが、結構頑丈に「氷が出来ていた」
そうですよ、当時は。
貴重のひとつに「撮影日・3月1日」と日付が残っています。
3月1日にここまで氷が張っている所を見ると、
「当時の方が、寒かった」ような想像さえ出来ますね。
かなりの雪景色になっています。
やはり今は温暖化なんでしょうか。
今では「氷が割れると危ない」が先行してしまいがちですが、
色々とこの写真から学び取れる事も多いのではと思います。
すぐ上の方に行きますと、
先日も掲載した「青葉城址入り口・隅櫓」があります。
東北大学の生徒さんが、
汗を流しながら自転車を漕ぐ姿が多く見られます。
現在は車両通行止めになっていることから、
クルマの交通量が少なく、
見方を変えれば「今までと違った風景」を見ることが出来ます。
風景写真も、とても撮影しやすいですね。
通行止めは、日常生活においては不便としか言いようないですが、
プラスに置き換えてみれば、
「情緒が増している」感じがします。
「自然豊か」な場所ではありますが、
クルマなどが多く通る「大動脈」の路線でもあるため、
「自然を満喫する気分」になりにくい現実は、
少なからずありました。
そういった意味では、この場所に立ってみた時、
「結構、気分は良いな」と思ったのも事実でした。
もともとあるべき姿に、戻ったような、そんな感じを受けます。
隅櫓前の石垣も、崩落はしていませんが
「危険性」があるようでブルーシートがかかっています。
写真を撮ろうとした時に、ここだけが少し残念です。
「15日・14時」から徒歩で通過出来るようになる
「青葉城址ルート」ですが、
せっかくですので「隅櫓前のブルーシート部分」だけ
先行して直して頂いた方が良い気がします。
どうしても写真を撮ると映り込んでしまうんですね(^_^;)
八木山エリアは、こういった場所も近い住宅地ですが、
その有難みというのでしょうか、貴重な場所の近くに住んでいる
「充実感」のようなものも、今回の「徒歩のみ・開通」で、
改めて実感・体感して頂ければと思います。
反面、史跡の場所がダメージを受けると「復興が遅れる」という
予想外の事も、勉強させられてしまいましたが・・・。
この青葉城址ルートとは、別のルートの建設を、
急いで頂いた方が良いのかも知れませんね。
★★★
2011年07月14日
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写真当時10歳 父親に連れられて遊んだのを
憶えています 記憶に違いなければ 赤門自動車学校が管理運営を
していたと思います <恵和町在住>
赤門さんが管理していたんですか!?
ということは、多少のお金もかかっていたのでしょうか・・
てっきり「近所の公園感覚」で遊んで良いタイプの
ものかと(^_^;)
こういう情報補頂くと大変嬉しいです。
追廻住宅界隈など、今後は色々と変わる風景になるエリア
のようなので、現状の記録はしっかり撮影しておきたいと
思います。