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東日本大震災が発生してから、
ライフラインが停止し、ガソリンも給油出来ない状態を
住民が把握し始めたのは、翌日の3月12日のこと。
震災の日は雪も降るほどの天候だったのにもかかわらず、
翌日は晴天に恵まれた。
<平成23年3月12日>
動物公園前交差点の「信号機」が点灯していないことが分かるが、
見方を変えれば「点灯しても、役に立たない交差点」に
なっていた。
それは、
翌日から仙台市街地・東北大学工学部方面への
「八木山橋〜青葉城址ルート」が完全に寸断されたためだ。
<平成23年3月12日>
震災の日に、取材班を含め「通過していた」人なら、
状況は「何となく」でも分かっていたと思うが、
そうでない人たちにとっては、
「橋が落ちた?」と思っても不思議ではなかったであろう。
インターネットも電話さえも通じず、
看板には「八木山橋注意 通行止め」としか記載されて
いなかったため、そう思ってもおかしくはないであろう。
<平成23年3月12日>
この通行止めの原因は、「八木山橋」だったが、
3月21日に「八木山橋方面〜工学部ルート」の通行止めは
解除された。
しかし、さらに寸断は続く。
<平成23年3月20日>
「青葉城址 石垣崩落」
現在はブルーシートも張られていて、通行止めゲートもしてあるが、
震災から数週間は「青葉城址の中から」崩落現場に立ち入ることが
出来ていた。
「遺跡指定」でヘタに手を付けられない現状、
石垣部分は「青葉城址管理化」にある。仙台市ではないそうだ。
あの時のままの「現状保管」が続いていて、
八木山方面〜市街地への大動脈ルートの1つのため、
現在でも不便を強いられている。
さらに「寸断箇所」があった。
<平成23年3月12日>
「鹿落坂ルート」である。
「鹿落旅館」が、震災の大地震の影響を大きく受けてしまい、
仙台市内の内陸部、津波被害を受けたエリア以外で見ると、
「最大級の被害」となった場所だったそうだ。
4月28日(木) 午後17時00分より通行止めが解除されたが、
約1ヶ月半の間、かなりの不便さを感じたひとつの「道路網」。
3月中は特に、「ガソリン不足」が躊躇に発生していたため、
クルマで移動する方も多くなく、仕事も「休み」になっていた
方も多かったため「混雑」は大して多くなかった。
しかしガソリンが復旧し始めると「混雑」も増大。
「青葉城址の寸断」「鹿落坂ルート寸断」により、
市街地方面に向かうための
「向山〜愛宕大橋ルート」にクルマが集中。
同時に「工学部ルート」にも大渋滞が発生。
車が通行止めということは、
「路線バス」も同じルートを使用したため、
渋滞の増加にも繋がってしまった。
鹿落坂付近から愛宕大橋付近に抜けるまで、
時間帯によっては1時間近くも要する時があったという。
動物公園付近を「起点」として見た時、
仙台市街地へ向かう道路は、大きく見て「2本」しかない。
国道286号線方向へ抜けるという手段もあるが、
大きく外回りする必要がある。
この震災で、市街地への「本道2本」が使えなくなると、
かなり不便な地域になることを痛感した形になった。
この震災が、昭和後半付近の「八木山住民数ピーク時」に
起きていたとしたら、
考えるだけでも恐ろしい感じがする。
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2011年07月27日
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