2011年07月27日

「八木山 震災後 あのとき」 シリーズ第7回 「道路網が寸断された日」

★★★




東日本大震災が発生してから、

ライフラインが停止し、ガソリンも給油出来ない状態を

住民が把握し始めたのは、翌日の3月12日のこと。


震災の日は雪も降るほどの天候だったのにもかかわらず、

翌日は晴天に恵まれた。



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<平成23年3月12日>



動物公園前交差点の「信号機」が点灯していないことが分かるが、

見方を変えれば「点灯しても、役に立たない交差点」に

なっていた。


それは、

翌日から仙台市街地・東北大学工学部方面への

「八木山橋〜青葉城址ルート」が完全に寸断されたためだ。



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<平成23年3月12日>



震災の日に、取材班を含め「通過していた」人なら、

状況は「何となく」でも分かっていたと思うが、

そうでない人たちにとっては、

「橋が落ちた?」と思っても不思議ではなかったであろう。


インターネットも電話さえも通じず、

看板には「八木山橋注意 通行止め」としか記載されて

いなかったため、そう思ってもおかしくはないであろう。



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<平成23年3月12日>



この通行止めの原因は、「八木山橋」だったが、

3月21日に「八木山橋方面〜工学部ルート」の通行止めは

解除された。



しかし、さらに寸断は続く。


IMG_6333.jpg

<平成23年3月20日>



「青葉城址 石垣崩落」


現在はブルーシートも張られていて、通行止めゲートもしてあるが、

震災から数週間は「青葉城址の中から」崩落現場に立ち入ることが

出来ていた。


「遺跡指定」でヘタに手を付けられない現状、

石垣部分は「青葉城址管理化」にある。仙台市ではないそうだ。

あの時のままの「現状保管」が続いていて、

八木山方面〜市街地への大動脈ルートの1つのため、

現在でも不便を強いられている。



さらに「寸断箇所」があった。


IMG_5942.jpg

<平成23年3月12日>



「鹿落坂ルート」である。


「鹿落旅館」が、震災の大地震の影響を大きく受けてしまい、

仙台市内の内陸部、津波被害を受けたエリア以外で見ると、

「最大級の被害」となった場所だったそうだ。



4月28日(木) 午後17時00分より通行止めが解除されたが、

約1ヶ月半の間、かなりの不便さを感じたひとつの「道路網」。


3月中は特に、「ガソリン不足」が躊躇に発生していたため、

クルマで移動する方も多くなく、仕事も「休み」になっていた

方も多かったため「混雑」は大して多くなかった。


しかしガソリンが復旧し始めると「混雑」も増大。


「青葉城址の寸断」「鹿落坂ルート寸断」により、

市街地方面に向かうための

「向山〜愛宕大橋ルート」にクルマが集中。


同時に「工学部ルート」にも大渋滞が発生。


車が通行止めということは、

「路線バス」も同じルートを使用したため、

渋滞の増加にも繋がってしまった。


鹿落坂付近から愛宕大橋付近に抜けるまで、

時間帯によっては1時間近くも要する時があったという。




動物公園付近を「起点」として見た時、

仙台市街地へ向かう道路は、大きく見て「2本」しかない。


国道286号線方向へ抜けるという手段もあるが、

大きく外回りする必要がある。



この震災で、市街地への「本道2本」が使えなくなると、

かなり不便な地域になることを痛感した形になった。


この震災が、昭和後半付近の「八木山住民数ピーク時」に

起きていたとしたら、

考えるだけでも恐ろしい感じがする。





★★★

posted by 八木山取材班 at 17:56| 宮城 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 八木山放送局NET | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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