2011年11月10日

「八木山 震災後 あのとき」 シリーズ第21回 「見たことがないもの」

★★★




明日で、東日本大震災から8ヶ月が経つ。


八木山エリアを中心に、震災後を撮影し続けた取材班は、

「記録」に徹した。


「東日本大震災を覚えていない子供たちへ残すため」

「当時、住民はどのような行動をとっていたのか」


この2点に重点を置いた。


そこには、30年以上前に発生した「宮城県沖地震」以来、

見たことがない風景が広がっていた。



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電気・ガス・水道のライフラインが絶たれ、

特に八木山エリアが電気を失っていた13日夜中までの間、

様々な障害が発生した。


信号機が機能しない。


夜間は当然、街灯も消えていたが、

信号機が消えていることで真っ先に脳裏に浮かぶ事が、

「交通事故」だった。


しかし危険と判断すると、注意する意識が働くためか、

クルマを運転しているドライバーは細心の注意を払い交差点に入り、

そしてクルマ同士が譲り合うなど、かなりのマナー向上が見られた。



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写真を見ても分かるが、「路上駐車」も縦横無尽に広がっており、

そんな光景に文句を言う人は、ほとんどいなかったのではないか。

警察の取り締まりも、この時期には行われていなかった。

住宅地には「ガレージ内の倒壊」もあったため、

ガレージ内にクルマを入れることが出来ず、

さらには余震もあったことで駐車場に入れられない時期でもあった。



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電気がないということは、自動販売機も使えない。

ジュースはもちろんだが、このような電気が来ない時期で必要な、

乾電池の販売機さえも使用出来なかった。



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クルマやバイクに乗る大半の人々が苦労した「ガソリンスタンド」。

電気がない時期は「ガソリンが吸い上げられない」という事態は、

冷静に考えれば当然ではあった。

しかし「何とかなるんじゃないのか」という、

「客としての立場」の感情もあったことは事実であった。


電気がない時期は、電気で動く「レジ精算」「パソコン管理」も

出来ないことから、デジタル時代の盲点も気づかされることになった。


昔からある、簡易計算機で計算している店も多かったことを、

見た人々も多かったのだろう。



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そして「電話・不通」という現実。

公衆電話に並ぶ行列は、

震災の時にしか見ることが出来ないのではないか。



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食糧不足による「地元店」の、長い行列。

普段の日々ならば「安売りの行列」にも見えるが、

ある意味で、地元の活性で見てみたい風景だと感じたことも

事実だった。



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震災後の「雪」。

水が供給されていない時期だったこともあり、

「雪を溶かして水にする」という知恵を使った方々も多いだろう。


積雪があったのは「3月17日」。

除雪車が入るほどの積雪ではなかったが、

もし仮に大量に振っていたとしても、

燃料不足だった時期だったことを考えると、

除雪車は来なかったのではないかとも感じる。


さらに「福島原発」の件があったため、

放射線が強かった時期の雪だったかもしれない。



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30年前の宮城県沖地震でも、

今年の東日本大震災でも起きた「ブロック塀倒壊」。


建物に関しては様々な被害があったが、

仙台でずっと過ごしていた若い世代は、

見たことがないものであったろう。


地震があった時、ブロック塀の倒壊など、

注意すべき点の1つということは、覚えて頂きたい。



そしてこの写真に写っているが、

「外で遊ぶ子供たち」が多かったことも、

記録の1つとして見て頂きたい。


電気がなかった時期、

ボールやバトミントンなど、

「昔からの遊び」が活発化した点も、特徴の1つだった。




明日で震災から8ヶ月が経つ。



「もう、体験したくない」


これが本音とは思うが、


あなたは、「忘れたい」と思うだろうか。





★★★
posted by 八木山取材班 at 22:49| 宮城 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 八木山放送局NET | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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