2011年11月12日

八木山エリアの隣 西多賀エリア 

★★★




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昭和50年 国土交通省 八木山地区



森林に囲まれた八木山エリアが、

住宅地と観光地を中心に変貌した昭和の時代。


その八木山エリアの海側に位置するのが「西多賀エリア」です。



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昭和50年 国土交通省 上方・西多賀地区



この写真の上〜中を中心に広がる西多賀地区は、

桜の名所としても有名な「三神峯公園」、

商店街なども存在する地域です。



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実はこの西多賀地区、

人々が住み着いたのは「1万年以上前」と言われており、

三神峯公園の休憩所付近で「旧石器時代」の石器が

発見されています。

これが西多賀地区に1万年以上前から人間が住んでいたという

証明となっています。



八木山とは遙かに比べられないほど歴史が刻まれた西多賀エリア。

特に多賀神社付近にある

「仙台市立西多賀小学校」の歴史を辿ると「なるほど」

ということが分かります。


この西多賀エリア、昔の面影も色濃く残す商店街、

様々なお店が建ち並びます。


西多賀付近と西多賀小学校等の歴史を、

明治時代ありたから、少し見ていきたいと思います。



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明治4年の「廃藩置県」により、仙台藩は「仙台県」となり、

翌年5年に「宮城県」に改称。

明治6年、富沢字西光寺に「富沢小学校」が創設されています。

15室の寺子屋式の授業だったようです。

明治19年には「富沢尋常小学校」とさらに改称されます。



明治15年、現在の仙台市に「コレラ」が流行、

死者が400人以上出てしまいます。

西多賀でも多数出している記録があります。


この年に「富沢尋常小学校」は多賀神社前に

新築・移転します。


明治22年に「市町村制」が施行され、

「西多賀村」が生まれます。

大野田,富沢,富田,鈎取, 山田の5村を統合して

「西多賀」と呼ばれるようになりました。


名取市の閖上浜が、当時「東多賀」と呼ばれていたことから、

西側にあることで「西多賀」と命名されたと言われ、

「多賀」は「多賀神社」からの由来とされています。


この年、多賀神社前にあった「富沢尋常小学校」は、

「西多賀尋常小学校」と名称を変更しています。

さらに明治35年には「西多賀尋常高等小学校」という

名称に改称しました。


昭和7年、西多賀村は仙台市に合併、

西多賀村は、明治22年から43年間の歴史に幕を閉じます。


昭和16年、仙台市立西多賀尋常高等小学校は、

「仙台市立西多賀国民学校」と名称を変更。

戦争の時代です。

昭和20年、仙台空襲により「仙台市立西多賀国民学校」は全焼。

翌21年に再び建築を開始、

昭和22年に仙台市立西多賀小学校が完成します。


昭和26年、三神峯丘陵地と現在の八木山の間を切り開き、

計134戸の「西の平市営住宅」が建設されました。


当時の西の平付近は、交通機関も存在せず、

現在の西多賀交差点まで、徒歩で移動していたそうです。


昭和28年「仙台市立西多賀中学校」が開校、

この年、西多賀小学校は開校80周年を迎えます。


昭和39年に「西多賀地区連合町内会」が発足。

昭和40年、金剛沢エリアに「国鉄団地」「八光台団地」が

が完成します。

昭和45年には西多賀小学校・中央校舎から火災が発生、

8教室が使用不可能になります。


昭和47年「第二羽黒台団地」「鈎取ニュータウン」が

完成しています。





八木山エリア付近に住んでいる方々にとっては、

西多賀エリア付近を見ると、

かなり奥深くまで知ることが出来るため、

なんとなく不思議な感覚で「へ〜!」と出来るのでは

ないでしょうか。


「三神峯公園」は、昔は「多賀神社」の所有地で、

春に咲く「桜」は、

昭和2年頃に、5代目・八木久兵衛氏の寄付金によって

2600本の苗が植えられたことから始まっています。



都市計画道路の「長町八木山線」、

そして八木山南付近と繋ぐ「郡山折立線」、

ひより台の橋で繋ぐ「川内旗立線」。


この新道が完成すると、

鈎取エリア付近で活発化している「ヨークタウン」「イオン」、

現在でも活発の「長町モール付近」への

アクセスが向上するため、

三神峯公園付近の西多賀エリアには縁遠くなる可能性も

秘めています。


特に鈎取ヨークタウン付近の活性は勢いを増していて、

ケーズデンキ付近・スズキ自動車の隣に、

西多賀店から移転した「スバル太白山田店」が完成。

付近には「ホンダ」「トヨタ」「三菱」もあるため、

自動車ディーラーが集中する状態になっています。

「日産」「ダイハツ」だけが無いでしょうか。


さらに鈎取イオンの隣、パチンコ店跡地の巨大な敷地には、

来年にヤマダ電機(テックランド)が完成予定です。



取材班にとって西多賀エリアは、

「エンドーチェーン」があったり、

「DJスタジオ」「ギャングスター」「協裕堂書店」

など、いろいろ立ち寄る場所があったため、

子供の頃の思い出の地でもありました。


イエローハット跡地には、カラオケ店があったり、

曜日限定の大きな八百屋もあったと思います。


今となっては、その当時の思い出の場所が

1つも残っていません。


これは八木山エリアでも言えることです。

お店関係の思い出の場所は、激減です。



何とかギリギリで残っているのは、

外で遊んだ「自然の空間」だけでしょうか。






★★★



posted by 八木山取材班 at 00:52| 宮城 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 八木山放送局NET | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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