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3月11日東日本大震災の翌日から、
八木山エリア全域を取材・写真撮影をし続けた中で、
緑ヶ丘にも入りました。
昭和53年の宮城県沖地震の際、
大きな被害を出した地区としてピックアップされ、
後の昭和55年に「仙台市災害危険区域条例」が制定。
一部地域が「危険区域指定」になりました。
これは緑ヶ丘3丁目に設置されている看板です。
この地図にある部分、
オレンジ色が地滑り等における「特に危険区域」、
黄色がその周辺区域の「危険」を示しています。
3丁目に関しては、宮城県沖地震で被害を出した以降、
ライナープレートによる地下水低下工法や杭打設を施工して
いましたが、
今回の地震で、切り土・盛土の境界線で地滑りが発生しました。
一方では、
宮城県沖地震で大きく被害が出た「緑ヶ丘1丁目」に関して、
崩落したエリアを「緑地化」し、鋼管杭を打設。
さらに打設した杭の上に、土留めとしてコンクリート擁壁を
施工してある「緑地化したエリア」に関しては、
変化はありませんでした。
断崖絶壁のようになっている下記の写真付近、
緑ヶ丘1丁目の一部地区。
造成年代は昭和32年〜33年年頃が皮切りで、
少し上の方の住宅は昭和36年〜37年頃。
宅地造成における規制法の施行以前に造成された宅地で、
造成戸数は下と上を合わせると1000戸を超えています。
地山傾斜20度の地形を、大きく改変することをせず、
小さな谷を埋め、腹付け盛土の施工で造成されています。
宮城県沖地震では、上下を合わせ約100戸の宅地に
被害が出ました。
今回の震災では、特に4丁目の被害が大きく発生。
1〜3丁目の一部区画にも被害は出ましたが、
全体的に及んでいるわけではありませんでした。
緑ヶ丘は場所によっては「絶景ポイント」も多く存在し、
隠れスポットが多くあります。
しかしながら、昔は栄えていた「商店エリア」も現在では激減。
「宅地しかない」ような地区に変貌してしまっています。
昭和の時代、
八木山本町にある商店街のエリアから緑ヶ丘にかけて存在した
「商店会」も、現在ではありません。
後にお知らせしますが、
今回の震災の関係が大きいですが、
「八木山エリアにあった商店・企業」が、
今年だけで10件近く減った現状があります。
現在、向山入り口に古くから存在した「向山輪業商会」さんも
解体作業に入っていました。
「向山2丁目」「松ヶ丘」「緑ヶ丘3丁目/4丁目」
「青山2丁目」「恵和町」「大塒町」「八木山南1丁目」
「八木山本町2丁目」
のエリアで、地盤を関係とする宅地被害等が突出した
今回の東日本大震災。
取材班が見る限りでは、もう少しありましたが、
突出しているように報道された緑ヶ丘エリアの現状。
それと同時に「激減」し始めた「商店の撤退」。
そして若い世代で始まった新たな商店の進出。
「変わらないと行けない時期」に入った八木山エリアです。
「緑ヶ丘エリア」より
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2011年12月14日
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