2011年12月15日

超貴重写真 「緑ヶ丘エリア」の昔

★★★





緑ヶ丘エリアを取り上げた今週、

最後は「緑ヶ丘エリアの貴重写真」をお送りしましょう。



当サイト、「昔の八木山エリアの貴重写真」を

依然、ずっと、探しています!

ぜひ、宜しくお願いいたします。





当サイトに、

お名前は伏せていますが「かなりの貴重写真」を

続々と提供して頂いている方がいらっしゃいます。


本当にありがとうございます。


今回ご紹介するのも、その方からの1枚です。



東北工大より19691025.jpg

<東北工業大学より緑ヶ丘方面 昭和44年10月撮影>




今週、東日本大震災の緑ヶ丘エリアの現状を出しました。

1丁目地区の昭和32年付近を皮切りに、

昭和40年代にかけて開拓されていった緑ヶ丘地区。


その昭和44年10月、東北工業大学から撮影された1枚。

「桜木町」「青山」「緑ヶ丘」の地区が写っています。


左には大年寺山の「仙台放送テレビ塔」も、わずかに見えます。



東北工大より19691025−2.jpg




そして少し寄って見ると「緑ヶ丘3丁目・4丁目の傾斜地」、

「青山エリアの傾斜地」が写っていることが分かります。


宅地になっている場所も多いですが、

「ただの傾斜地」の部分も多く見えます。

特に3.4丁目の緑ヶ丘エリアです。


今回の震災で被害が集中した4丁目傾斜地。


上記の写真に、

取材班が震災直後、写真を撮影したポイントに、

ピンクのマーカーを付けてあります。


その場所が、下記の写真です。



IMG_5914.jpg




上の方に、東北工業大学が見えているのが分かるでしょう。

昭和44年貴重写真の「逆アングル」からの写真です。


宅地が傾くなどの被害が多く出た地区です。



IMG_5916.jpg




同じ場所から「大年寺山の方向」は、こんな感じです。

立ち位置が何となく分かるでしょうか。



取材班がいる会社は、様々なものを映像や写真で「記録」する

業務ですが、

当時の資料、写真、映像などは、「本当に貴重なモノ」です。


何気なく撮影された写真でさえ、

数10年後には「貴重な記録」として変化するものです。



緑ヶ丘地区を取材するにあたり

同じく緑ヶ丘エリアの「YOU SHOPあんどう」さんに

「昭和50年代の電話帳」を見せて頂きました。


本来、捨てて普通の電話帳が保管されていたことで、

当時存在した「店の名前」などを確認できました。


現在、私たちが住む八木山エリアを見ていても分かる通り、

土地の雰囲気は変わらなくとも、

「店が大幅に変化している」パターンが多いです。


今年の震災で、10軒近くの企業・商店が消え、

新しくできた店もありました。


数10年後、今ある電話帳でさえ「貴重な資料」になります。


「後世に残す」


出来れば、そう意識しつつ「八木山を残していきましょう。」







*明日・明後日、本業多忙に付き当サイトはお休みさせて頂きます。



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posted by 八木山取材班 at 22:56| 宮城 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 太白区八木山界隈 今昔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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