緑ヶ丘エリアを取り上げた今週、
最後は「緑ヶ丘エリアの貴重写真」をお送りしましょう。
当サイト、「昔の八木山エリアの貴重写真」を
依然、ずっと、探しています!
ぜひ、宜しくお願いいたします。
当サイトに、
お名前は伏せていますが「かなりの貴重写真」を
続々と提供して頂いている方がいらっしゃいます。
本当にありがとうございます。
今回ご紹介するのも、その方からの1枚です。
<東北工業大学より緑ヶ丘方面 昭和44年10月撮影>
今週、東日本大震災の緑ヶ丘エリアの現状を出しました。
1丁目地区の昭和32年付近を皮切りに、
昭和40年代にかけて開拓されていった緑ヶ丘地区。
その昭和44年10月、東北工業大学から撮影された1枚。
「桜木町」「青山」「緑ヶ丘」の地区が写っています。
左には大年寺山の「仙台放送テレビ塔」も、わずかに見えます。
そして少し寄って見ると「緑ヶ丘3丁目・4丁目の傾斜地」、
「青山エリアの傾斜地」が写っていることが分かります。
宅地になっている場所も多いですが、
「ただの傾斜地」の部分も多く見えます。
特に3.4丁目の緑ヶ丘エリアです。
今回の震災で被害が集中した4丁目傾斜地。
上記の写真に、
取材班が震災直後、写真を撮影したポイントに、
ピンクのマーカーを付けてあります。
その場所が、下記の写真です。
上の方に、東北工業大学が見えているのが分かるでしょう。
昭和44年貴重写真の「逆アングル」からの写真です。
宅地が傾くなどの被害が多く出た地区です。
同じ場所から「大年寺山の方向」は、こんな感じです。
立ち位置が何となく分かるでしょうか。
取材班がいる会社は、様々なものを映像や写真で「記録」する
業務ですが、
当時の資料、写真、映像などは、「本当に貴重なモノ」です。
何気なく撮影された写真でさえ、
数10年後には「貴重な記録」として変化するものです。
緑ヶ丘地区を取材するにあたり
同じく緑ヶ丘エリアの「YOU SHOPあんどう」さんに
「昭和50年代の電話帳」を見せて頂きました。
本来、捨てて普通の電話帳が保管されていたことで、
当時存在した「店の名前」などを確認できました。
現在、私たちが住む八木山エリアを見ていても分かる通り、
土地の雰囲気は変わらなくとも、
「店が大幅に変化している」パターンが多いです。
今年の震災で、10軒近くの企業・商店が消え、
新しくできた店もありました。
数10年後、今ある電話帳でさえ「貴重な資料」になります。
「後世に残す」
出来れば、そう意識しつつ「八木山を残していきましょう。」
*明日・明後日、本業多忙に付き当サイトはお休みさせて頂きます。
★★★