2011年12月18日

八木山エリア 超・貴重写真 「八木山本町エリア」

★★★




先日の雪は大丈夫でしたでしょうか?


八木山地区では、1〜2センチほど積雪しました。

仙台市街地は積もるほどではなかったので、

恒例の「八木山雪」でした。


取材班、積雪した土曜日は朝6時出勤でして、

思い切りアイスバーンの中でした。

前日と言いますか・・、

夜中2時に帰宅し、そのまま朝6時に出勤という

スタイルだったために、

今回の雪の降り方は見守らせて頂いてましたが、

更新するパワーが残っておらず申し訳ありませんでした。



さて、今週は「八木山本町地区」です。


八木山エリアの宅地開発では「後発」になるでしょう。

「八木山本町地区」。


1丁目と2丁目に分かれており、

広い八木山エリアでは、標高の「てっぺん付近」に位置しています。


取材班は、実家も、居住地も、会社も「本町地区」ですが、

意外と見たことがないのが「本町地区の昔」です。


今回、当サイトを見て頂いている常連様から、

凄い「量と質」の「昔の写真」を提供して頂きました。

今回は、この写真のご紹介です。



IMG_5662.jpg

「恐竜山」より 



平成27年度<平成28年3月まで>に完成予定の地下鉄東西線、

動物公園駅<仮>が出来る場所は「八木山本町1地区」です。

今後、地下鉄が出来ることで、

見栄えも含めた動きが見られる地域です。


上記写真は恐竜山がある「本町2丁目」から「本町1丁目方向」

の撮影になりますが、

「勾配」が全体的にキツイ地域になっており、

「山」だった頃は、断崖絶壁アリ、沢がアリという

ハードな地形から現在の地形が造成されています。


本町1丁目と本町2丁目の宅地造成の大半は、

スーパーゼネコンの「鹿島建設」さんでした。

ゼネコン大手5社といわれる

鹿島建設、竹中工務店、清水建設、大林組、大成建設の一つで、

国内最大手の会社が施主で造成されました。


では、ご提供して頂いた写真です。



八木山本町一丁目より(1967_1.jpg




昭和41年11月の本町1丁目からの写真です。

奥の方には、本町2の恐竜山も確認できます。


看板に「鹿島建設」とある貴重写真です。



地面はアスファルトではなく、

家もないので、当然「電信柱」もありません。

電気さえ来ていない時期の写真ですね。


この昭和41年は八木山ベニーランドも無く、

大きいもので八木山動物公園、東北工業大学がありました、

という時期です。


「昔は、砂漠みたいだった」


というお話しを様々な八木山住民の方からお聞きしていましたが、

実際の「砂漠みたいだった」をご紹介できました。

この貴重写真のご提供、誠にありがとうございました。

上記でも紹介した通り、もっとあるんです(^^)/

後日、ビシッと。



白黒写真なので「かなり昔」に見えると思いますが、

私たちの目が「カラー」に見えているので、

当時と現在の宅地造成をしている場所、

イメージでは大差はないと思います。


ただ、今ある本町エリアの宅地が広がっている現状を見ると、

この写真の秘める説得力は、かなりのモノです。



IMG_5646.jpg




恐竜山からの眺望でも、

当時はこんなに家が建ち並んではいなかったでしょう。



八木山本町一丁目より(1967_1.jpg





東日本震災で津波被害を受けた地域の写真に、

ひょっとすると見えてしまうかも知れません。


写真・映像の記録は、その時の状況を映しだしています。


そして、その記録というものは、

人の感情が加わると「思い出」という名前に変化します。



この八木山本町の場所が、ゼロからスタートしたのなら、

津波被害を受けた地域も、

「なんとかなる、大丈夫」と勝手ながら思えてしまいました。




★★★

posted by 八木山取材班 at 20:51| 宮城 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 太白区八木山界隈 今昔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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