★★★
先日の雪は大丈夫でしたでしょうか?
八木山地区では、1〜2センチほど積雪しました。
仙台市街地は積もるほどではなかったので、
恒例の「八木山雪」でした。
取材班、積雪した土曜日は朝6時出勤でして、
思い切りアイスバーンの中でした。
前日と言いますか・・、
夜中2時に帰宅し、そのまま朝6時に出勤という
スタイルだったために、
今回の雪の降り方は見守らせて頂いてましたが、
更新するパワーが残っておらず申し訳ありませんでした。
さて、今週は「八木山本町地区」です。
八木山エリアの宅地開発では「後発」になるでしょう。
「八木山本町地区」。
1丁目と2丁目に分かれており、
広い八木山エリアでは、標高の「てっぺん付近」に位置しています。
取材班は、実家も、居住地も、会社も「本町地区」ですが、
意外と見たことがないのが「本町地区の昔」です。
今回、当サイトを見て頂いている常連様から、
凄い「量と質」の「昔の写真」を提供して頂きました。
今回は、この写真のご紹介です。
「恐竜山」より
平成27年度<平成28年3月まで>に完成予定の地下鉄東西線、
動物公園駅<仮>が出来る場所は「八木山本町1地区」です。
今後、地下鉄が出来ることで、
見栄えも含めた動きが見られる地域です。
上記写真は恐竜山がある「本町2丁目」から「本町1丁目方向」
の撮影になりますが、
「勾配」が全体的にキツイ地域になっており、
「山」だった頃は、断崖絶壁アリ、沢がアリという
ハードな地形から現在の地形が造成されています。
本町1丁目と本町2丁目の宅地造成の大半は、
スーパーゼネコンの「鹿島建設」さんでした。
ゼネコン大手5社といわれる
鹿島建設、竹中工務店、清水建設、大林組、大成建設の一つで、
国内最大手の会社が施主で造成されました。
では、ご提供して頂いた写真です。
昭和41年11月の本町1丁目からの写真です。
奥の方には、本町2の恐竜山も確認できます。
看板に「鹿島建設」とある貴重写真です。
地面はアスファルトではなく、
家もないので、当然「電信柱」もありません。
電気さえ来ていない時期の写真ですね。
この昭和41年は八木山ベニーランドも無く、
大きいもので八木山動物公園、東北工業大学がありました、
という時期です。
「昔は、砂漠みたいだった」
というお話しを様々な八木山住民の方からお聞きしていましたが、
実際の「砂漠みたいだった」をご紹介できました。
この貴重写真のご提供、誠にありがとうございました。
上記でも紹介した通り、もっとあるんです(^^)/
後日、ビシッと。
白黒写真なので「かなり昔」に見えると思いますが、
私たちの目が「カラー」に見えているので、
当時と現在の宅地造成をしている場所、
イメージでは大差はないと思います。
ただ、今ある本町エリアの宅地が広がっている現状を見ると、
この写真の秘める説得力は、かなりのモノです。
恐竜山からの眺望でも、
当時はこんなに家が建ち並んではいなかったでしょう。
東日本震災で津波被害を受けた地域の写真に、
ひょっとすると見えてしまうかも知れません。
写真・映像の記録は、その時の状況を映しだしています。
そして、その記録というものは、
人の感情が加わると「思い出」という名前に変化します。
この八木山本町の場所が、ゼロからスタートしたのなら、
津波被害を受けた地域も、
「なんとかなる、大丈夫」と勝手ながら思えてしまいました。
★★★
2011年12月18日
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