2011年12月30日

八木山エリア 東日本大震災を通して

★★★




今年もあと2日。

2011年/平成23年は、まさに激動の年でした。


平成23年3月11日14時46分。

東日本大震災が発生。


人によると思いますが、

震災後は1日が長く感じたのではないかと思います。


そして日常を取り戻し始めると、

早く過ぎていったのではないでしょうか。


現在、一部を除く大半の八木山エリアに住む方は、

普段の日常を取り戻し、

年末には忘年会も行ったのではないかと思います。


あの当時、様々なことを諦めたと思います。


しかし、現在の普段の生活を見て、

原発や津波の被害を受けた地域と比べると、

「被災していない。」

そう感じるのではないでしょうか。


それでも、大小はあれど

苦しい思いをしたことは事実でした。



<撮影・八木山放送局Net>


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3月11日。 

取材班は出先で被災し、クルマで八木山に帰宅する途中、

青葉城址の石垣崩落と八木山橋付近の地滑りを目の当たりにしました。


八木山橋を、徒歩で帰宅する人々。


八木山橋を通る車は、1台1台通過するという珍しい光景がありました。

「橋に荷重をかけると、マズいのではないか・・」

そう思っての、人の心が起こした光景でした。


あるゆる場所での公共交通が、全てストップ。


関東地方でピックアップされていた「帰宅困難者・帰宅難民」は、

被災地にも起こっていました。


帰宅途中に分かったことは、停電していることだったでしょうか。

街灯が消え、灯りのない道を怖々と帰宅した方が多かった現実。


「余震が止まることがない日」 そういう日でした。



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帰宅すると、

電気・ガス・水道の全ての「ライフライン」が停止している事を

私たちは目の当たりにしました。


停電世帯は最大で134万戸。

東北電力でも例のない事態に陥りました。


懐中電灯、ロウソク・・・


小さく灯る光。


八木山から見えた、

クルマ等のヘッドライトが中心に光る、異様な光景。


光を失った街。


あの日の夜、人々が感じていた不安感は、

これまで体験したことがないものでした。


いつ、また強い地震が来るか分からない・・。

恐怖に怯えていました。



そして、

「荒浜地区に、遺体が2,300体流れ着いている模様・・」


耳を塞ぎたくなるようなラジオの情報。

知っている場所だけに、息苦しい空気。


そして、止まることのない、余震。



「未来」という言葉が、

途切れたように思えた夜でした。




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夜が明け、明るくなった八木山から見える光景を見渡せば、

これまでと全く異なる風景。


荒浜地区に、遺体が2,300体・・と流れた、その地区の写真。


陸の面積が減り、海の面積が増えたように見えた、海岸線の景色。


「津波」


この自然現象の怖さ、このイメージをしていた人々は

どれだけいたのでしょう。



電気が遮断され、

テレビやパソコンを見ることが出来なかった被災地。


携帯電話も充電が出来ず、回線もつながらず、

「つながりが途絶えた」不安感。


テレビを見ることが出来た被災地以外の話では、

津波被害を受けた地域の情報に比重が置かれ、

内陸部の情報が無いに等しい状況だったそう。


そのため、外の地域でも増長してしまった「不安」。


被災地内でもつながらなかった「情報・連絡網」は、

全国の方々からもつながることが出来ませんでした。



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携帯電話・固定電話が遮断され始めた時、

私たちが求めたのは、減り続けている「公衆電話」。


停電していた期間は約3日あり、

電源・バッテリーで動く機器はすべて全滅。

携帯電話・固定電話なども同様でした。


「連絡がとれない」現実が約3日間ありました。


公衆電話が機能していていたのは、

交換機バッテリーが機能していた1、2日でした。

それでも「あって良かった」と感じた公衆電話。


全国の方々と繋いだ「安心」。



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八木山付近の被害が徐々に分かり始めた震災翌日。

八木山橋ルートの寸断。

地盤が地滑りを起こし、八木山橋の境目に出来た大きな段差。



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仙台城・石垣の崩落。


この段階で、八木山から仙台市街地を結ぶ最短ルートが寸断。



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さらに追い打ちをかけるように、「鹿落旅館」の被害。


向山・鹿落坂ルートも寸断され、

向山・愛宕橋ルートの1本だけが残った現実。


西多賀・鈎取・緑ヶ丘ルートは残っていたものの、

八木山地域によっては「陸の孤島」と化していました。



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住宅・商店なども、大きな被害を受けた場所も多く、

震災後に閉店したお店の数も、多い現実があります。



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全国に広がった「ガソリン不足」。


八木山エリアに残っている2店のガソリンスタンドも、

当初は全く機能できず、

道路に並ぶ車列が次々に増えていった光景。



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生きる上で必要だった「水」。

各学校で設置された「給水所」には、

住民の長い列が広がりました。


七ヶ宿ダム・南部山浄水場を経由する八木山エリアは、

約2週間「水汲み」の生活がありました。


一方では長町付近などの釜房ダム・茂庭浄水場を経由する

エリアでは、断水が発生していない状態も多くあり、

限られたガソリンを使って汲みに行く方も多かったようです。



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震災当時は冬。

避難所に指定されていた場所に必要だった暖房機、燃料。


震災翌日から見えていた地域のつながりは、

顔が見えないデジタルの付き合いから、

人と人とが話すアナログへ、原点回帰した現実がありました。



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地域内で広がっていた「食糧不足」は、

一時期、全国に及びました。


店が開かない、数量制限、在庫不足、物流の停止・・・

様々な場所で見られた人々の列。


「秩序・マナー」で世界で賞賛された事は、

私たちの生活では「普通の事」としての認識が

強かったのではないでしょうか。



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皮肉にも、幅広い年齢層で利用離れが続く「地域商店街」。


その商店街には、地域を歩く人々が続出。

公衆電話の「あってよかった」が、

地域商店街に対しても、

同様に感じた方も多かったのではないでしょうか。


地域のお店の常連客が、

常連のお店で優先的に購入できた事例も、多くあったと聞きます。


これは「当然のこと」ではないかと思います。


地域商店が、これまで続けられてきたのは、

「常連客」がいてくれたからこそなのですから。



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3月16〜17日。 仙台では雪が降りました。


トイレの水などに使用するため、この雪を溶かし利用した

方々も多かったのではないかと思います。


今考えれば、福島原発の放射線が降り続いていた時期でした。


それでも、

そんな事を考えている余裕は無かったように思えます。



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この震災で、「絆」を感じられた出来事は多くあったと思います。

それぞれの人の心の中に、思い出されるでしょう。


地域で見えた絆の1つ、

「県外ナンバーの救援車」が多く存在していたこと。


当サイトの記録では、3月20日に発信しています。

この頃からすでに、救援部隊に来て頂いていました。


給水車では、

名古屋市、岡山市、新潟市、北海道札幌市、旭川市、千歳市などが

次々と八木山入りしてくれていました。


「いつか、この恩は必ず返します」


そう思って、水を頂いたことを思い出されます。




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−仙台空港−



取材班は、この頃から他のエリアの記録撮影・業務を開始。

道路は至る所で寸断され、1時間で行ける場所が、

2倍3倍とかかることは普通のことでした。



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−陸前高田・奇跡の1本松−



被災地に初めて赴いた時、声が出ませんでした。


同時に「自分の住む八木山は、被災地か?」と

感じた事も、事実でした。


街が丸ごと消滅している現実。

何人もの命が失われた現実。


震災から1ヶ月も経過していない頃、

観光目的でピースサインをして写真を撮影する者、

挙動不審で被災地に入ってくる者が多数いました。


命が失われた、その場所で。


興味本位で被災地に入ってくるには、

まだ早い時期でした。

これにより道路渋滞を増加させていた現実もありました。



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八木山地域を含む仙台市では、都市ガス機能がストップ。


八木山地域の復旧に当たってくれていたのは、

中部地方の「東邦ガス」さんでした。


都市ガスが一部を除き、八木山地域で復旧したのが4月16日。

残念なことに、仙台市でラストの地域になってしまいました。



・電気復旧 平成23年3月13日夜間〜14日にかけて

・水道復旧 平成23年3月25日 <早期復旧エリア>

・ガス復旧 平成23年4月16日 <主工事・東邦ガス>




このガスが復旧した頃から、

八木山地域でも明るい話題が増えてきました。


桜が咲き始める頃でした。



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4月16日(土)から八木山ベニーランドがプレオープン。

4月23日(土)から八木山動物公園が再開。


文章で書くのは簡単ですが、

このオープンに辿り着くまで、地獄のような苦労がありました。

特に八木山動物公園では、

電気・ガス・水道のライフラインが、一般住宅と同じように停止。

エサ不足も発生し、動物も犠牲になりました。


そんな中でのオープンでした。



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震災後の再開、ゴールデンウィークには大勢のお客様が

八木山エリアに集結。

様々なイベントが行われました。



5月7日。

東北工業大学高校吹奏楽部の先生からの依頼で実現した、

「八木山ベニーランド 吹奏楽コンサート」。


震災前、各学校では吹奏楽コンサートを企画されており、

この東日本大震災で開催することが出来なくなってしまいました。


さらに「演奏する場所」までも被災する被害が出たため、

せっかく今の年代にしか、そして今の仲間達としか演奏出来ない

学生さん達の「貴重な時期」が失われてしまう形になっていました。


そんな中で行われた、八木山ベニーランドでのコンサート。



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青空が広がる八木山ベニーランドで行われた吹奏楽


・仙台市立八木山中学校吹奏楽部

・宮城県仙台南高等学校音楽部吹奏楽団

・聖和学園高等学校吹奏楽部・チアリーディング部
       
・東北工業大学高等学校吹奏楽部


の各学校が参加。

震災以降初めて、八木山の空に大きく流れた音楽。



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そして子供たちの笑顔。

笑う事を特権として持つ「人間の長所」。


当たり前のことが出来なくなった長所が、

この頃になって地域に広がっていきました。



夏、七夕祭りなどの「祭り」も行われ、

「出来ない」と思っていたものが、

人の力で、次々に行われていきました。



冬の、仙台光のページェントに至っては、

蒲生に保管されていた電球全てが流され、

不可能と思われていたイベントが

全国からの「絆」で実行できた事。



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裏側にいる方々の努力も含め、

かなり凄いことだったのではないかと思います。


電球の色が違う箇所があったりと、

良い意味で例年とは違うページェントを見せて頂きました。





テレビでも新聞でも、

様々な場面で取り上げられたのは「人」だったのではないかと

思います。


震災直後、状況を伝えていった時期を過ぎると、

「人」に比重が置かれていきました。


伝える仕事に携わると、

自然と行き着いていくのが「人」です。



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八木山地域には、八木山ベニーランドと八木山動物公園という

2大観光スポットがあるため、

「笑いが こだまする地域」です。



11月3日に行われた、秋の八木山フェスタでも、

大勢の笑顔が八木山エリアで見ることが出来ました。



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今年の震災では、辛いことがたくさんありました。


時が過ぎ、普段の生活が戻った時、

知らないうちに、小さくとも被災した私たちでさえ、

気持ちの風化を起こしているのではないかと思います。


津波被災地・原発地域・内陸部被害のエリアと比べれば、

被災しているうちに入らない・・

そう感じている方も多いと思います。



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たとえ、どんなに辛い思いをしても、

少しでも、一歩一歩、前進する必要があるのは

生きていく上で必要なことです。


「笑う」ということ。


これが生きていく上で、どれだけ必要だったのか、

震災で実感したのではないでしょうか。



現在でも大きな傷を残している方も大勢いますが、

自然と笑うことが出来るまで、

みんなは待っていると思います。



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今年・最後の大きな記事は、

やはりこの内容になってしまいましたが、

最後は「笑顔」で締めくくりたいと思います。



皆さんの笑顔が、来年に大きく響いてきますように。


この時の笑顔が、来年もずっと続きますように。




本年も、当サイトをご愛読して頂きまして

誠にありがとうございました。


明日も年末更新する予定ですが、

ご挨拶させて頂きました。



来年も、前進する八木山地域でありますように。


皆さまも、年末年始の体調に気をつけて頂き、

楽しいひとときをお過ごし下さい。




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posted by 八木山取材班 at 10:47| 宮城 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 八木山放送局NET | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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