2012年02月09日

八木山付近 超・貴重写真  「青葉城址・天守台ルート」

★★★




八木山エリア付近で、

震災の影響が色濃く残る代表的な場所が、

「青葉城址・天守台ルート」です。


よく当サイトでは「青葉城址ルート」と呼んでいる

石垣が崩落して通行止めになっているこの道路。



IMG_0907.jpg

平成21年11月27日 撮影



仙台市道「仙台城跡線」という名称が付いており、

隅櫓の交差点から八木山橋までの1412.2メートルの道を

仙台市では指定しています。



若い方は、「天守台ルート」という呼び方をしていないと思いますが、

ベテラン世代の方は、こう呼んでいる方も多いと思います。


仙台城趾は「天守閣」というものが無いことで有名な山城ですが、

天守閣とは、城の一部分のことを言います。

一定の条件を満たした木造の建造物の事です。

大阪城や、宮城県では白石城などに天守閣がありますね。


そして「天守台」とは、

その天守閣が載っている石垣作りの「台」の事です。


IMG_0906.jpg




仙台城では、以前に修復されたこの石垣になります。



そして、この天守台ルートの貴重写真を提供して頂きました。

誠にありがとうございました。


1963年(昭和38年)・2月9日の写真です。

そうです。 約49年前の、今日の写真です。



天守台道路19630209.jpg

1963年(昭和38年)2月9日 撮影
IMG_0658.jpg

2011年(平成23年)11月28日 撮影




49年前の今日は、積雪があったようですね。

八木山付近・超・貴重写真シリーズでは、

現在の段階では一番古い写真ではないでしょうか。


微妙にアングルは違いますが、

舗装されていない道路、多く残っている木など、

今とは違う風景が多いですね。


昭和初期に八木山橋が完成し、

仙台市街地から現在の八木山動物公園付近・当時の八木山球場が

あった付近までの近道として親しまれていたこの道。


近道感覚は、現在でもそうですね。

この道は当時から、歩く道として親しまれ、

時代が移り変わり車道として機能していた現在。


震災の通行止めにより、昔に戻った風景が今はあります。




★★★
posted by 八木山取材班 at 00:23| 宮城 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 太白区八木山界隈 今昔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは!

昭和38年の写真、凄いですね!
山の中の獣道まで行かないけど、
凄い道だったんですね。

この写真を見て、思い出した事が有ります。
東北放送の裏から、竜の口渓谷の入り口へ行けたと
思ったのですが、その道って今でも有るのかな?
写真の様な道だったなぁと思って。
小学校で化石採りに行った時や、中総体の時使いました。

あれっ、太白山もどうやって行ったのかな?
バスで行ったのは、泉ヶ岳だよなぁ・・・
山道歩いて行かなかったっけ?
鎖をつたって登るのって、太白山?泉ヶ岳?

うーん、30数年前の事は忘れちゃうなぁ。
Posted by ビール大好き at 2012年02月09日 19:44
コメントありがとうございます。

凄いですよね、この写真。
撮影している事と、保管されていたこと、
この2つのファインプレー写真です。

東北放送の裏からの竜の口渓谷へ入り口は、確かに行けます。
学校での化石採りなどが、この道を使いましたが、
今は行けるかは未確認です(>_<) この道は残ってはいますが、
竜の口渓谷が今は立ち入り禁止になっています(^_^;)

太白山、当時の取材班、骨折して登っていません(>_<)
しかも取材班の学年は、泉ヶ岳ではなく蔵王でした(>_<)
Posted by 八木山取材班 at 2012年02月09日 20:43
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック