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今月の2月12日の日曜日。
当サイト「八木山放送局Net」が2周年を迎えていました。
カレンダーにメモしていたのにも関わらず、
当日はお葬式の撮影業務等をしてバタバタしていて更新できず・・。
運営管理の当社が昨日「設立32歳の誕生日」でして、
翌日の今日、お知らせ更新してみようかなと(^^)/
昨年の1周年の時、当サイトの「未来像」を、
「型を作らないで、楽しく造っていきたい」と記載しました。
しかし一方で、このサイトの役割は、
「広報」としての「脇役」的な存在ではあり続けたいとも書きました。
あくまで主役は、八木山に住む住民です。
「八木山エリアの活性化」であり、
「住みやすい・楽しい」というような「まちづくり」にあると思っています。
そういう方向性で掲げた1ヶ月後、東日本大震災が発生。
「型を作らないで、楽しく造っていきたい」という目標は、
どこかに飛んでいった瞬間でもありました。
当社としての本業はもちろん、
当サイトのことも「どうしようか」と悩んだ、震災当日の夜。
ライフラインが全停止している中、携帯電話も使えず、
八木山情報の1つも出すことが出来ません。
しかし当社の存在意義でもありますが、
「この未曾有の大震災は、記録には残さなければならない」という
使命感のようなものだった気がします。
震災翌日の早朝から、カメラを持ち出し外に出ました。
一応、サイト管理の当社は映像・写真の会社、
バッテリー等は万全でしたので、発信が出来なくとも撮影は出来ました。
ラジオでの「大津波」という情報から、
八木山から太平洋を望んだ1カット。
これが震災翌日に初めて撮影した写真でした。
至る所から上がる煙。 そして大半が消えた沿岸の防砂林。
陸の面積が減り、海の面積が増えているように見えた景色。
住宅地を回ると、壁などが倒壊した家屋などが多く見られた現実。
緑ヶ丘などの被害が突出していたのを目の当たりにしたのも、
この時でした。
そして電気が復旧し、当サイトも復活してから、
「アクセス数」が急増したきっかけの更新が「八木山橋の状況」でした。
取材班は震災の日、この道路を帰ってきていたので状況は把握して
いましたが、通っていない方にとっては「通行止め」だけの状況で
「どうなってるの?」という感情が出たのでしょう。
そして、その先の「天守台・青葉城址の石垣崩落」。
現在は通行止めですが、当初はバリケードがなかったので、
ここまで近づいて撮影できました。
そして八木山エリアから仙台市街地への「主要道」が、
決定的にダメージを負っていることを実感させられたのが
「鹿落旅館」さんの被災。
現在でもホームページは生きており、リンクし続けています。
「営業再開の目途はたっておりません。」という文字があり、
取材班は「前進」という意味にとらえています。
当時の記録という意味合いで、
時間が経って当サイトの写真がお役に立てた事案が数件ありました。
「水道の断水」により、八木山小学校に大きく行列を作った写真。
この写真のアングルは、ある意味「八木小ならではの立地」によって
撮影できたものでした。 提供させて頂いた1枚です。
そして「ローソン 大塒店」の公衆電話に並ぶ列。
携帯電話・固定電話が使用できなかったことでの風景でした。
四国地方のテレビ局から依頼があり提供しました。
すべて無償提供ですが、
「八木山放送局Net」の名前表示をお願いしました。
そして先日、
「ツルハドラック」さんのリンク許可を頂くきっかけになった
「食糧不足」によって行列を作った風景。
撮影しておいて良かった・・と正直感じました。
「何に使うか分からないから」という業務的な撮影方法がありますが、
こういう情報サイトでは、特に色々な目線で撮影する必要があります。
「それぞれ」な訳です。
電気・水・ガス・食料・ガソリン・・様々な困難があった3月でした。
愛煙家にとっては、タバコも手に入らない状況だったことが
思い出されます。
4月に入ると、本業の仕事の関係もあり様々な現場に
行くことになりました。
この時期から八木山情報の他に、被災地の状況も更新しました。
この仕事をしていなかったら、行くことがあっただろうか・・。
被災地に赴いて、そんなことも感じました。
最初に津波被害を受けた地域に訪れた時は、
全く言葉が出ませんでした。
4月中旬、八木山ベニーランドが先陣を切って再開。
そして困難を乗り越え、八木山動物公園も再開。
八木山エリアがこの頃に入り「通常」というものに
だんだんと近づいてきたと実感しました。
いつものように賑わった風景を見た時は、
何とも言えない感動がありました。
それだけ、普通の状態ではなかったと感じた時でもありました。
サイトを開設して、現在で丸2年。3年目へ突入。
2年目に入った矢先に、予想外の事態が起きたことで、
違う意味では経験を積ませて頂くことにもなりました。
情報を配信することの重要性、
そして誤った情報を出すことの危険性。
今後、「コミュニケーション」という部分も重要視していきたいと
思っています。
人間関係の構築も、コミュニケーションです。
会話がある、意見が飛び交う、そんな地域になれば良いですね。
震災が起きて注目された「絆」という言葉。
地域を築くのは、住民の私たちです。
そのツールの1つが、会話だと感じている
3年目突入の八木山放送局Netです。
この1年で、多くの施設・お店等のリンク・取材許可を頂きました。
これからも引き続き、様々な場所をご紹介できればと思っています。
当サイトを支えて頂いた方々、そしてご協力を頂いた方々には、
この場を借りて御礼を申し上げます。
今後とも宜しくお願い致します。
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2012年02月21日
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こちらのサイトは
八木山住民の大切なものとなっていますよ。
持続させられるかということは大きな壁の1つでした。
八木山エリアのお店・企業様のご協力が、
前進させて頂くきっかけにもなっています。
今後とも宜しくお願い致します!
毎日訪問するのが日課になってます。
これからも有益な情報を宜しくお願い致します。
(⌒0⌒)ゞ
私も、以前取材して頂いてサイトを知りました。それ以来訪問させていただいてます。
八木山で育った私にとっては懐かしい写真や、気になってたのに知らなかった情報などでとても興味深いです。
これからも、色々教えてください。いつもありがとうございます!
今月は繁忙期のため更新がバラバラになっていますが、
温かく見守って下さいませm(_ _)m
開設してから2年、とても早かったです。
予想外の震災があり色々と困難もありましたが、
このような災害があった時の体制づくりも、
今後は必要と感じています。
今後とも宜しくお願い致しますm(_ _)m