★★★
今年だけでも何回雪が降ったのでしょう。。
もう勘弁して欲しいですね。
平成24年3月13日 午前7時30分
またバタバタして「サクッと」が出来ませんでしたが、
10センチくらいなのでしょうか。
どうやら石巻市や気仙沼市などは「ピーカン」だったようですが、
仙台市は積雪量の違いはありますが、降りましたね。
あと何回か降りそうですね、特に今年みたいな流れは・・。
平成24年3月13日 午前7時40分頃 −八木山橋−
さて2日前の震災から1年は、至る所で色々なことが行われ、
テレビは震災特番だらけという状態だったでしょうか。
特にテレビは、やるなら毎年同じ規模の特番をしてほしいですね。
風化という言葉が騒がれている中、
2年3年経って特番の規模が減れば、
報道側が風化の流れを誘ってしまうことになる気がします。
【仙台空港の連携】
1年前の震災。
取材班が業務で津波被災地に入り始めた中で、早い段階で赴いたのが
仙台空港でした。 震災から6日後だったでしょうか。
3月13日の夕刻に、
「仙台空港で1300人が孤立」という情報が入りました。
後にニュース映像などで見た方も多いと思いますが、
空港1階部分は完全に津波により浸水、孤立しました。
幸いにも、空港売店などに土産品などの食料や水が大量にありましたが、
体調不良で若干名の方が亡くなったそうです。
現在の仙台空港は、津波が来たことさえ忘れてしまうほど、
見事に復旧しています。
昨年の震災で、宮城県内のトップスピードと言われたほど
復旧が早かった場所が仙台空港でした。
4月13日に再開するという、完全ではないにせよ1ヶ月での復旧です。
震災直後と現在
震災直後、空港付近だけでも、
目を塞ぎたくなるような光景がいくつもありました。
家屋やクルマなどが、無惨な姿で置かれていました。
この仙台空港の復旧スピードを、猛烈に早めたのが、
「トモダチ作戦」として復旧に入って頂いた米軍、そして自衛隊です。
米軍精鋭部隊が、上空からパラシュートで隊員と装甲車を空中投下させ、
仙台空港に降り立ったのは3月16日の事。
その日のうち自衛隊とがれきの撤去に取りかかり、
スタートから3時間後には大型輸送機C130が着陸できる長さ、
1500メートルの滑走路が完成・復旧。
20日には大型輸送機C17が離着陸できるようになりました。
震災直後と現在
直後には、様々な瓦礫が散乱している状態だったのに関わらず、
3月下旬には「何も無くなっている」という猛スピードでした。
それには理由がいくつもあり、
震災の地震、そして津波により「陸路」が寸断され、
さらには津波により「海路」も寸断。
人や救援物資を運ぶためには「空」が一番の方法でした。
しかし、宮城県の主要空港である仙台空港が被災。
使用できなくなることは、かなりのダメージがありました。
この仙台空港の被災で、
赤字が続く地方空港の重要性も再認識されるかのように、
隣の「山形空港」の需要が急上昇。
仙台空港の被災により「東北のメイン空港」に変わったかのような
ポジションになったのが「山形空港」でした。
米軍も当然使用し、山形空港を米軍が使用することは
初めてのことだったそうです。
現在では元通りになった仙台空港ですが、
周辺地域にあった住宅地のほぼ全てが全壊しています。
さらには「防風林」が津波で倒されたことで、
現在の海岸線は「かなり風が強い」という悪条件もあります。
昨年の今の時期も、寒い季節でした。
そんな中のたった1ヶ月で、
宮城県の空の玄関口・仙台空港の復旧をして頂いた
米軍や自衛隊の方々には、感謝の言葉しか出てきません。
★★★
2012年03月13日
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