★★★
先日の駄菓子屋「おひさま」に続き、
八木山エリアに住む取材班から連絡を頂きましたので、
この件を記事に。
−現在の状況−
八木山エリア・大塒町にある「大塒公園」。
この大塒公園内には、なぜか地区の境界線が横切っているそうで、
「大塒エリア」と「芦の口エリア」に跨っています。
仙台空港が名取市と岩沼市に跨っているのと同じですね。
芦口小学校の付近にあるため、
芦小の卒業生にとっては、かなり思い出の場所ではないかと思います。
そして昨年の震災で、八木山エリアにある「公園」では
一番大きな被害があったのが「大塒公園」です。
−八木山信者 様 撮影−
右のメールにて、写真付きで連絡を頂きました。
復旧工事が開始された、大塒公園の状況です。
震災後 6月撮影時
大塒公園では、木々が倒れ、写真ではブルーシートに隠れていますが、
ブロック塀もずれ込んでしまいました。
公園の入り口付近は、陥没も目立っていました。
震災後 6月撮影時
当時は緑が溢れていましたが、今は冬の季節という事もあり、
そして工事が開始された事もあり、
公園の色は「茶色」と化しているのが余計に痛々しいです。
現在では、木々は撤去されたようです。
−現在の状況−
このまま無くなってしまうのでは・・?
という心配も当時していましたが、しっかりと復旧してくれるようです。
地域には公園は必要なものですので、
無邪気に子供たちの声が聞こえてくるまで、もう少しの辛抱です。
地域に住む小さな子供がいる両親たちにとっては、
この1年、苦しい事だったのではと思います。
傾斜がきつい場所が多いという事もあり、
大塒町・恵和町・若葉町では、道路関係等でも大きな被害が出ました。
そして、それ以上の被害が突出して報道された「緑ヶ丘エリア」。
−河北新報より 3/19付−
先日の河北新報さんの記事にも出ていましたが、
「緑ヶ丘4丁目の集団移転検討」。
昭和53年の宮城県沖地震が発生した時、
当時被害があった仙台市内の地域で、
今回も同じような地域で被害が発生してしまいました。
昨年末には、半年以上経った時期でも緑ヶ丘4丁目の地盤が
動き続けているという記事も出ました。
緑ヶ丘4丁目では、約120区画の被災宅地の内、
約80宅地が移転対象となっているそうです。
「震災の爪痕」は、未だに続く現在。
そして未だ続いている「余震の恐怖」。
安らぐ場所が奪われた方々の、続いている苦労。
「まだ、続いています。」
★★★
2012年03月21日
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私も、緑ケ丘4丁目地区に住んでいましたが、全壊、もうそこには住めないとのことで、今は八木山地区のワンルームに家族で間借り状態で住んでいます。両親、祖父母が大切に守ってきた家や土地が、あっけなく、こんな状態になり、いたたまれないです。。自分にできることは本当に限られ、なにもできないことに悲しくなります。。今後も、緑ケ丘4丁目地区の情報がありましたら、ぜひ伝えていただきたいです。よろしくお願いします☆
地域住民の方々で、様々な話が進んでおられるようですね。
これまでの大変な苦労、お察し致します。
「自分には何も出来ないのか・・」
という思いは、この震災でほとんどの方が感じてしまったと
思います。もちろん現在でも同じです。
ただ、時間を戻すことは出来ないので、
前を見て生活していることを両親たちに「見せること」だけでも、
自分に出来ることではないでしょうか。
若手が前を見て走っている事を「見せる」ということが、
ベテラン世代の活力に繋がるものと、
取材班はそう信じています。
後ろ向きの人を見て、喜んでくれる人はいないですし・・。
昨日の選抜高校野球、頑張った石巻の球児たちと、若手世代は、
ジャンルは違えど同じライン上に乗っています。