★★★
−セブンイレブン 八木山南店前−
昨日の夕方に、雪と強風の最大コラボがありましたね。
暴風雪注意報まで出ましたが、出た頃には止むという、
短時間の異常気象がありました。
そういう時に限って、外にいた取材班です(^_^;)
夜には、気持ち悪い感じの地震もありました。
なんだなんだ? と、久しぶりの強めの地震だったでしょうか。
さて今日は、八木山情報をお休みしまして、
昭和の時代に仙台に夢を与えていた「エンドーチェーン」の記事を。
この写真を見ると「昔の風景とは違う」と、そう思う方も多いでしょう。
昨年の東日本大震災で、大打撃を受けていた
「エンドーチェーン・イービーンズ」。
大通り沿い側の、4階より上の建物を解体、
建物全体の耐震補強を行い「部分営業」を開始したのが
震災から半年以上経過した平成23年11月18日。
旧館と言われる解体した部分の4階は空中庭園とし、
新館と言われる解体されなかった裏側部分の建物には、
ジュンク堂書店、丸善、紀伊國屋書店など、
「書店を中心」とした状態でリニューアルされていました。
そして先日3月24日。
大部分で営業されていなかった1階2階のテナントに店が入るなどし、
全館グランドオープンしました。
「杜のサテスタ広場」という、
懐かしの「サテライトスタジオ」のような広場も復活しています。
現在の「イービーンズ」、昔からの宮城県出身ならば
「エンドーチェーン」の名前の方が馴染みがあるでしょうか。
現在の場所に、昭和39年1964年3月20日にオープンしました。
創業者は「遠藤養吉」氏。 宮城県黒川郡出身の立派な「地元企業」です。
ちなみに現在の「イービーンズ」の名称は、
創業者の遠藤氏から、『遠藤チェーン』の「エンドーチェーン」。
『エンドウ豆』から、『E(エンドウ) - Beans(豆)』という流れで
「イービーンズ」という名前の由来を持っています。
当時は、八木山エリア付近・西多賀エリアの大型家具店「ニトリ」の立地に、
エンドーチェーンがあった事が記憶にある方も多いでしょう。
地元企業の「エンドーチェーン」は、昭和時代に全盛期を迎えていますが、
他県資本の大手チェーンの攻勢、
郊外のヨークベニマルなどの駐車場を備えた店舗に対し、
仙台駅前立地で無料駐車場が無いエンドーチェーンは対抗出来ず、
年々衰退していきます。
そこで1991年に現在の「ザ・モール仙台長町」などを展開する
「西友」と業務提携。
「エンドーチェーン」から「SEIYO(セイヨー)」と名称が変わります。
「西友」といえば西武/セゾングループです。
当時は現在のロフト店舗に「アムス西武」もありました。
エンドーチェーンが「SEIYO」となってから、
プロ野球「西武ライオンズ」が優勝すると「ラララ・ライオーン♪♪」と
店内に流れていたのは、西武グループと業務提携をしたためです。
当時では「2年の夢」で撤退した大型電気量販店「さくらや」も
入店していた時期もありました。
今や撤退した仙台駅東口「ラオックス」の出店で大ダメージを受けた形です。
「SEIYO」になってからは、仙台市民・宮城県で親しまれた
エンドーチェーンのロゴマークは次々に消えていきましたが、
「SEIYO」になってからも事業が回復せず、
結局1997年7月31日、「西友」が手を引く形になり、営業終了してしまいます。
そして現在の「イービーンズ」がオープンし、現在に至ります。
イービーンズになってからも、
「西友」がエンドーチェーンの自社株16%を保有していましたが、
5年ほど前に全てを買い戻し、西友との関係は完全に解消されています。
取材班は、「エンドーチェーン」のストライクど真ん中の世代です。
当時の仙台市中心部のデパートは、子供たちの「夢の国」であり、
特にエンドーチェーンは勿論、「藤崎デパート」「ダックシティ丸光」などに
「屋上遊園地」が存在するなど、「良い時代」がありました。
そんな中心部で、群を抜いていたのは「エンドーチェーン」でした。
昭和から活躍し続けている「八木山ベニーランド」も勿論ですが、
キャラクターショー等も多く開催され、
あの石原裕次郎や石原プロの西武警察、民放テレビ放送、ラジオでも
番組が提供されていました。
昔を振り返れば「良い時代だな」と思ってしまいますね。
当時のサテライトスタジオやCMは懐かしい・・。
現在では、『仙台駅前エンドーチェーン・イービーンズ』と、
エンドーチェーンの名前も完全復活し、
取材班としても懐かしい雰囲気が戻って嬉しく思います。
今は『イービーンズ/イービン』等の呼び名が「通り名」と思いますが、
現在では「エンドーチェーン」と呼んでも正解です。
昔と違い、今はモノが多く飽和状態。
気を惹くモノが沢山あるので、昔と同じような方法ではダメだと思いますが、
「良いものは残す」という事は、取材班は大賛成です。
かつての催事・イベント等を活発に行なっていますので、
この勢い、続いて欲しいですね。
イービーンズが全館オープンした24日、取材班が個人的にファンな、
キャッツアイ・シティーハンター・エンジェル・ハートの作者、
「北条司先生」来店・サイン会を開いていたようで、
ショックを受けています・・(^_^;)
このようにですね、取材班がショックを受けるくらいのイベントや
色々な催し物を含めて、
あの時代の活性していた仙台市中心部を、復活してもらいたいですね。
仙台市に住む方でも、「エンドーチェーン」が地元企業という事を
知らない方も多くいるようで、
途中に「SEIYO」が挟まっていた事も大きいと思いますが、
いつまでも前進して頂きたいです。
若い方、他県から来ている方などはピンと来ない記事かも知れませんが、
八木山にある「八木山ベニーランド」も含めて、
「地元企業」が頑張る姿は、応援したいですね(^^)/
★★★
2012年03月26日
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春になると、テレビで「エンドーチェーン春一番情報♪」というCMが
流れ、春の到来にわくわくした頃のことを思い出しました。仙台に、
また平和な春が訪れる日が来ることを祈っています。
ところで、アップしていただいたエンドーチェーンのCMでひとつ
気になったのですが、学生服の青年はなぜ西新宿を走っているの
でしょう?個人的には、仙台の街を走り抜けてほしかった気がします。
また、CMの気仙沼市と岩沼市の素敵な家は、どうなったのでしょうね。幸せそうな家族の今が気になります。
このCMのエンドーチェーンについては詳細が不明ですが、
合成で新宿の町並みが使われているのは、
恐らくですが「予算の関係上」ではないかと・・。
当時はまだ、仙台市でCMを撮影できる会社は多くない状態で、
東京から業者を呼ぶ必要があったと思います。
そのため、東京で制作していたのではと予想できます。
そういった意味では、積水ハウスのCMは画期的ですね。
エンドーチェーンはどストライク世代です。
デモヤンスタンプラリーは燃えました。
西部警察PARTVにもちょこっと写っていますね。
俺の友達はぬいぐるみを蹴ってヨースケ君にあの声で怒られたそうです。
SEIYOになってから8階から上に行けなくなって
俺の生きがいがなくなった!と本当に落ち込んだものです。
だからイービーンズになって本当に良かったです。
取材班もストライク世代です。
様々な思い出が沢山あるので、
取材班としてもイービンが残って嬉しく思います。
40年近く前からの数年間 仙台住民でした
単身学生で入居していたAPの管理人さんから昔話を色々と聞かせていただきまして、
その一つにエンドー駅前店開店当時の話題もありました
1964年3月というのは当時の全館オープンで、4カ月前の1963年11月23日(祝日)に、地階・1F・2Fの3フロアが先行オープンしたそうです
エンドーチェーンのWikipediaには載っていない件ですし、聞いた話に過ぎませんので真偽保留?です
祝日が重なり凄い人出で、当時住んでいた学生さんがアルバイトで行列誘導員をしていたとも…
エンドーチェーン関連wiki掲載無しの件で更に1つ気付いたのは、かつて営業し閉店した店舗リスト
この頁の話題とはエリア違いの蛇足になりますが、
私の記憶では荒巻神明町にも食品スーパーを出していたように思います
近くの荒巻セントラルプラザ店では雑貨のみで食品を扱えなかったのでが(センプラの食品はヨークベニマルが担当)、
1985年4月頃?に新築3階建マンションの1F部分1フロアで深夜まで営業する「エンドー荒巻神明店」?として出店していたはず
(場所は現在「アズ薬局 荒巻店」などが入居している建物)
…なのですが、こちらも一般で触れられていない店舗になりますし、加齢から来るまだらボケを疑い始めた今日この頃です