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昭和57年6月5日。
現在の仙台福祉プラザの場所から、
八木山エリアに移転・開院した総合病院。
「仙台赤十字病院」
日本赤十字社宮城県支部設置の病院で、
私たちは「日赤病院」と呼ぶことが多いでしょう。
母体・胎児集中治療室が6、産科後方病床39、
新生児集中治療室が9、強化治療室・回復期治療室24、
母児同室病床2、院内出生軽度異常新生児病床5・・・
赤ちゃん、ママさんに心強い医療を持っています。
他には、
総合内科、腎臓内科、血液内科、呼吸器内科、消化器内科、循環器内科、
糖尿病代謝科、禁煙外来、神経内科、外科、整形外科、歯科口腔外科、
産科・婦人科、小児科、小児外科、泌尿器科、皮膚科、耳鼻咽喉科、
眼科、リハビリテーション科、放射線科、麻酔科と、
これだけの各科が備えられています。
八木山エリアにある心強い総合病院。
高齢化が進んでいることもあり、
なおさら強くなっているのではないでしょうか。
そんな日本赤十字社宮城県支部が設置している赤十字病院が、
東日本大震災において大活躍し注目を浴びた
宮城県内のもうひとつの「日赤病院」、
それが「石巻赤十字病院」でした。
では八木山の「仙台赤十字病院」は、
震災の時はどうだったのでしょう?
気になっていた方も多いと思います。
震災直後、仙台市内はもちろんのこと、
宮城県内の全てが停電しました。
それは、私たちも体験した通りです。
八木山にある「仙台赤十字病院」も停電しました。
しかし日赤病院は「自家発電」を持っているため、
震災直後に非常用発電機に切替わったそうです。
しかし自家発電は「重油」を使って動いており、
日赤病院の地下に重油タンクが設置されています。
タンク容量は「2万リットルが2基」です。
合計で4万リットルです。
しかし、震災直後の重油残量は
「約1万3千リットル」しか残っていなかったそうです。
非常用発電機の燃料消費は、
24時間運転で4800リットルを消費するとのこと。
震災直後の備蓄量では
「3月14日」までしか、自家発電は持たない状況にあったそうです。
3月13日、秋田から重油1万4千リットルが到着。
3月14日には電気が復旧し、胸を撫で下ろす状態にあったとのこと。
ガスに至っては、日赤病院も「都市ガス」を使用しているそうです。
ガス式ボイラーを使用しているため、
震災後は「重油燃料ボイラー」に切り替えたそう。
そして「水道」にも問題が出ていました。
八木山エリアの水道復旧は、3月25日。2週間を要しています。
日赤病院には「水道備蓄タンク」を持っているそうですが、
通常の1日分の使用量を計算すると、
震災翌日の3月12日までしか持たなかったそうです。
日赤病院の1日の使用平均は「約180トン」。
3月13日から山口、新潟、愛知、北海道等から給水車が応援に入り、
ピストン輸送で、多い日には1日50トン近く給水され続けたそうです。
節水をしながら、凌ぐ日々が続きます。
七ヶ宿ダムからの水道が供給されている八木山エリアですが、
本体水道である「県広域送水管」が停止した理由は、
白石川橋下の直径2.6m配管が破断したことでした。
しかし日赤病院では、敷地内の水道管も破損していたため、
福島県から作業員が応援に駆けつけて頂き、
3月29日に完了したそうです。
誰しもがそうでしたが、
日赤病院にも、様々な苦労がありました。
取材班がなぜ、この内容の記事を書けているかというと、
八木山の日赤病院での「東日本大震災震災記録」が、
現在ホームページで公開されています。
【クリック】
八木山動物公園から、
太平洋岸を襲った大津波が見えたと記事にした事がありましたが、
日赤病院からも見えたようです。 写真記録に掲載されています。
震災後、郵政研修所のグラウンドに、ヘリが下りたのを確認して
いましたが、「ドクターヘリ」かと思っていたのですが、
「自衛隊のヘリ」だったようですね。 その写真もありました。
「地域医療」を目指す仙台赤十字病院ですが、
私たちも関心を持ってこそ、
本当の「地域医療」というものが成り立つのではないかと思います。
ぜひ、皆さんもご覧下さい。
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2012年04月13日
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八木山からは海が見えるので、誰か撮っているのではないかと
思っていましたが、ありましたね。
取材班も街中にいましたし、海を見たのは翌日でした。
あの時の風景は、一生忘れることはないと思います。