★★★
昭和6年、
軍用道路の吊り橋として開通した「八木山橋」。
八木山エリア付近に住む住人にとっては、
必要不可欠な「橋」です。
(株)東北記録映画社 貯蔵
当初は、「吊り橋」です。
長さ106.7メートル。
幅3.7メートルでした。
取材班は当時の橋を通ったことがありませんが、
「ゆらゆら揺れる吊り橋」だったそうです。
橋の隙間からは、
竜ノ口渓谷が見えるという恐ろしさだったと。
取材班K 提供
当時は一種の「観光スポット」でもあった訳ですね。
そして現在のコンクリート橋の八木山橋は、
昭和40年4月に完成しました。
全長177メートル、幅8.5メートル。
当時の吊り橋から比べると、
全長が70メートル伸び、幅5メートル広くなっています。
八木山ベニーランド貯蔵 昭和48年当時
「三輪以上 8時〜18時 駐車禁止」の標識が、
特に印象的です。
現在でも「八木山橋」のバス停もあることから、
「観光地」として機能していたことが分かります。
八木山橋に駐車して、風景や下を眺めるといった方々が
多くいたことを意味しています。
いつから、変わってしまったのでしょう。
建設当時の八木山橋は、
防護柵は高く設置されていませんでした。
ご存じの通り、自殺の名所としても広まっており、
現在でも騒ぎがあるほどです。
ヘリが飛んだり、消防車が出場したりと、
年に1度はあります。
観光地としても機能している、
そして住宅地としての「八木山エリア」としても、
結構厄介な問題です。
何とかしないといけませんよね。
現在はネット社会でもあるので、
昔と比べ、デマも含めて情報も早いです。
八木山ベニーランド貯蔵 昭和48年当時
昨年の震災で、ダメージが出た同じ付近を、
昭和48年当時、ビシッと工事している状況が見て取れます。
宮城県沖地震でも、
橋脚付近に軽くダメージが出ましたが、
通行止めなどの処置、交通規制が敷かれると、
かなり不便になるのが、この八木山橋でしょう。
八木山ベニーランド貯蔵 昭和48年当時
橋を渡って、八木山方向の道、
現在とだいぶ違うことが分かるでしょうか?
「どこの山に向かうのサ?」
という感じの道に見えますね。
道路上の景観・・大事ですね。
こんなに違うんです。
「道の景観」は変われど、
40年以上、変わっていない八木山橋ルート。
観光シーズンなどでキャパをオーバーすると、
すぐ渋滞してしまう特徴も、現在でもあります。
朝の渋滞は、昔ほどではなくなりましたが、
よくぞ40年以上も、同じ状態を続けられたものです。
新しい道、必要だと思うのですが、
地下鉄東西線が開通した後、
もしくは「パンダ」が本当に来るのなら、
都市計画道路を本当に20年近く放置したままに
するのでしょうか。
お金はかかるでしょうけど、昭和50年近くからずっと、
八木山の町内会から陳情書が出ていたんですから、
何とかならないものでしょうか・・。
必要じゃないと思うものが造られ、
必要と思うものが造られないこと。
これは、誰が決めているのでしょうか?
★★★
2012年07月13日
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今後とも宜しくお願い致しますm(_ _)m
まだ柵も無くて下を覗き見た時に下の方にカラスが飛んでたりして底も見える事もなく怖い風景に見えました。どこか別世界に繋がっているんじゃないかと感じる事もありました。ふと数十年ぶりに思い出しグーグル地図とかで見ると記憶している景色と違い高い柵が出来ていたと知りびっくりしました。