2012年09月13日

八木山の総合病院 「日赤病院」

★★★



今日は・・・暑かったです。
9月13日です、9月も中旬だというのに、
「33.5℃」まで上がった仙台市です。
9月の観測史上のトップらしいですね。

取材班も、こんな時に「外ロケ」だったため、
「ゆでだこ」になってしまいました。

撮影したのが小学校だったのですが、
それなりの数の児童が、
軽い熱中症のような症状になりました。
少し休憩したら復活していましたので大丈夫です。

「昔、こんなに気分悪くなる子供、いたかな・・」
そう思ってしまいました。 
「朝の朝会」で、倒れるパターンはありましたが・・。

よく寝て、朝ご飯も食べているのでしょうか。。

スタッフと話していましたが、
取材班の子供の頃は、野球チームの練習をする時など、
「この練習が終わるまで、水を飲ませて貰えない」
というような感じでした。

これが良い悪いは別として、
それでも倒れる子供はいませんでした。

それに文句を言う親もいませんでしたし、
「普通のこと」でした。 

「昔より暑い」のかと思い、
過去の気象データを見てみましたが、
7.8月の気温は、頻繁に30℃越えを記録していました。
しかも、昔はエアコンさえありませんでしたし(^^;)
「暑さに慣れていない」「過保護」も
あるのかもしれませんね。


P1020211.jpg


この流れで、今日は「仙台赤十字病院」。
八木山にある、唯一の「総合病院」です。

先日、ビダッと健康診断関係を受けた取材班。
久し振りに入った「日赤病院」を見てきました。


昭和57年6月5日。
八木山で日赤病院が診療を開始した日です。

それまでは、現在の仙台市立病院向かい「福祉プラザ」の
場所に立地していました。

正式名称は「仙台赤十字病院」。

皆さんは「日赤病院」と呼ぶと思いますが、
「日本赤十字社」は聞いたことがあると思います。
現在の名誉総裁は、皇后美智子様です。

日本で赤十字活動を行う唯一の団体「認可法人」で、
世界各国にある団体です。

震災でも「募金」なども含めて、
「日本赤十字社」は聞き慣れているのではないでしょうか。

略称は「日赤」(にっせき)です。

この「日本赤十字社」が行う病院施設があります。
これが「赤十字病院」です。

そして、仙台の赤十字病院が、「仙台赤十字病院」。
石巻にもありますね、「石巻赤十字病院」です。

そのため私たちは、
本体の「日本赤十字社」名称を略して、
「日赤病院」と呼んでいるということになります。


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現在の1階の見取り図は、こうなってます。
昔と微妙に変わっているかも知れません。

システム的なものは、確実に変わっています。


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1階・正面ロビーから入った風景です。


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正面入り口方向をを見た、反対側の景色です。

久しく入っていない方、変わって見えますか?


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昔でいう「売店」は、かなりゴージャスになりました。

取材班も、だんだん歳をとっていく訳ですから、
今は大丈夫でも、後々は頻繁にお世話になることが
あるかも知れない「病院」という施設。

日赤病院という総合病院が八木山になければ、
もっと遠い場所に行かなくてはいけないんだナーと、
そう感じながら待っていました。

個人病院と比べると、どうしても「待ち時間」が長く、
これが・・まぁ、「ド暇」なんですよね。
弱点といえば、弱点です。


P1020219.jpg


駐車場は「指定対象者」は「1回100円」ですが、
大半の方は「1時間300円」です。
「お、高いな・・」と思うかも知れません。

日赤病院には「バス」で行く方、
歩いていく方が多いと思いますが、
こう見ると
「3年後の地下鉄東西線が、日赤病院まで延びてくれれば」
と思うでしょう。
ネックは「さかみちの途中」にあるため、
歩くのはキツイ・・ということです。

「動物公園駅」から日赤病院までは、
実は「1キロも離れていない」ので、
この距離を延長するのは、現実的ではないかも知れませんね。

日赤病院のために、地下鉄延長で、
何億もの金が動くということは・・ありませんね。

いくら地元の声があったとしても、
こればかりは難しいと思いますが、
ただ「日赤病院」ではなく「仙台市立病院」だったら・・
可能性はゼロではなかったのかもしれませんね。
地下鉄も市立病院も、仙台市ですので(^^;)


P1020224.jpg


仙台赤十字病院に、八木山の方々などが誘致する際、
色々な方のたくさんの署名がありました。
西多賀エリアなどにも及んでいます。

さらには「緑を残すこと」という条件もありました。

八木山に移転して30年。

この日赤病院ある緑は、今も変わらず残されています。


「病院」ですので、様々な病気で亡くなる方もいます。
逆に「助かった」という方も多いでしょう。

病気などをしなければ、
病院には縁のない方も多いと思いますが、
「存在してくれる安心感」としても、
八木山にあってくれる有り難さを、
改めて感じて頂ければ幸いです。


P1020223.jpg





★★★


posted by 八木山取材班 at 22:27| 宮城 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 八木山の 病院 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようございます。

日赤、懐かしいです。
学生時代、バイクで事故ってムチウチになった時、通いました。
生まれたのも、日赤です。
その当時は五橋に有りました。
移転して30年ですか。
もうそろそろ建替えなのかな?

おかげさまで、父の手術も無事に終わり、その後も順調のようです。
(空きが有って、今週急に手術になりました。)
あと数週間かかると思いますが、無事退院できそうです。
Posted by ビール大好き at 2012年09月15日 09:32
コメントありがとうございます。

お父様、良かったですね。
日赤病院さんは、それぞれの方が色々な評価を
持っていると思いますが、
地元にあるという安心感は、確実に存在します。
急患も受けてくれますし。

建て替え・・確かにそんな時期かも知れませんが、
震災でのダメージは酷くなかったようですし、
宮城県沖地震の後に建築されているので、
まだ大丈夫でしょう(^^)/
Posted by 八木山取材班 at 2012年09月17日 16:17
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