「八木山エリア」。

その中の八木山動物公園、八木山ベニーランドの向かい側。
「八木山本町1丁目」「八木山本町2丁目」のエリア。
動物公園・ベニーランドを含めると、
およそ100万uの区域になっています。
八木山エリアの宅地開発の中では「後半」に造成されており、
昭和40年代に入ってからになります。
現状でのラストの宅地造成は「八木山南エリア」になります。
「八木山本町1丁目」「八木山本町2丁目」は、
『仙台市 八木山土地区画整理組合』が主導していて、
施工は「鹿島建設」「野呂建設」さんで行われました。
ここで、1冊の資料をご紹介します。

この土地に住む取材班が、大切に保管して頂いていました。
記録や資料は、「宝」ですね。

上記で「本町1」「本町2」の宅地開発は「後半」と
記載しましたが、
さらに順をつけると「本町1」が先行して行われました。
2丁目は、所有権等の諸事情が絡んでいたため、
少し遅れました。
写真は、当時はまだ形になっていなかった「恐竜山」から
TBC東北放送方面を写した写真です。
撮影時期は「昭和42〜43年頃」と思われます。

本町2丁目の区画(手前)が、
まだ手付かずであることが分かります。
「元々の地形」が分かる箇所もあります。
八木山小学校・中学校の建設予定地が分かります。
まだ建設されていません。

震災前になりますが、
現在の「八木山小学校通り」の写真です。
これが43年頃にはどうだったのでしょう。

以前あった、コンビニ「サンクス」さん付近から、
登り方面を撮影したアングルです。
当時は「砂利道」だったことが分かるでしょうか。
右にあるのは、恐らく道路標識と思われますが、
かなり低い位置にありますね。
電信柱は、少しだけ存在していますね。
まだ家が多くないためです。

そして、地下鉄東西線工事で、現在はガラッと変わった
ファミレス「COCO’S」さん付近。
動物公園駐車場の入り口が機能していた頃。
この風景は、まだ見覚えがある方も多いですよね。
ここの昭和43年頃の写真です。

何か・・気づくことがありますよね。
当時は、「3車線」しかなかったんですね。
取材班も初めて知りました。
この当時、まだ本町2丁目方向・フレッシュフード・アダチさん
のある交差点付近は「工事中」で、
写真のように舗装されていなかった時期です。
この道幅を、
どうやって今の「4車線」にしたのか不明です。。
拡幅して広げたのでしょうか・・。
それとも、ただ車線を増やしたのでしょうか・・。
比べてみると、車線を増やしただけのような気がします。
当時も、道路が傾斜していますね。
この傾斜地点で、現在「工事」を行っていますので、
ある意味では約45年ぶりに工事を行っているという
ことなんですね。

以前、別の取材班が所有・提供して頂いた写真を
紹介しましたが、
ほぼ同時期の頃の「COCO’S」さん付近です。
昭和43年と記録されています。
昭和の八木山エリアと、平成の八木山エリア。
この頃の八木山エリアを知っている世代と、知らない世代。
昨日記事にした緑ヶ丘エリアと同様に、
昨年の震災での「地滑り被害」が、
この本町エリアでも起きており、
公共事業として一部区画で対策工事が入ることに
なっています。
歴史を辿ると、いろいろと分かることも多いですが、
特に震災を堺に、
興味を持って昔を調べる若い方も多いそうですね。
それと同時に、地域に興味を持って頂ければ、
八木山エリアも上手に後世に残すことが出来ると思います。
歴史の上に、私たちは住んでいます。
★★★