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昭和43年の当時写真。
ネット上にある
国土地理院の「国土変遷アーカイブ空中写真閲覧システム」
のものと同一です。
当時、仙台市内にあった「ダックシティ丸光」で
「地図展 仙台80年のあゆみ」が開催されたそうで、
その時のものです。
この時代の八木山エリアの風景は、
取材班は知りません。
このように写真などで見て楽しむ趣味です(^^;)
その空撮を「マップ」で表現すると、
下記になります。

1969年マップ−国土地理院−
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68〜69年頃の「航空写真」と「マップ」です。
マップに関しては、拡大してご覧ください。
40年以上前の八木山エリアということになりますね。
先日の「バス停」とも、ほぼ同時期に重なります。
八木山エリアのマップをご覧頂くと、
色々な事が分かります。
何度か当サイトでも触れたことがある「亜炭鉱」。
八木山エリアでは活発でしたが、
昭和40年代に入り消滅していきました。
その亜炭だった付近が、マップに掲載されています。
「朝鮮学校付近」などに「あたん」と記載されていますね。
「八木山団地」付近に関しては、
本町2丁目エリアが「造成途中」という状況のため、
道路も現在と違いますね。
八木山中学校のエリアも、
ミスだと思いますがエリアが広くなってしまっています。
「紫色」は教育機関です。
「等高線」もわずかに記載されています。
元々の形状が、少しだけ分かるでしょうか。
「東北工業大学」の後ろに「地震観測所」という
記載がありますね。
西多賀方向に目を向けてみますと、
現在もある「東北大学原子核理学研究施設」があります。
富沢・西多賀エリアは、現在とだいぶ違いますね。
長町モールの場所に存在した「東北特殊鋼」さんが
ありますが、この付近がモール界隈ということです。
田んぼ・畑だらけということが分かるでしょうか。
こういう立地だったんですよね、昔は。
信じられないくらい発展しましたね。
太白団地付近は「造成中」となっていますね。
八木山南エリアは造成中にもなっていない時期です。
「恐竜山」も、今の原型が無い頃です。
造成でたまたま造られてしまった形なんですね。
この地図で、
八木山市民センター付近に「点線・青ライン」
が囲われていますが、
これの内側が「風致地区」です。
この線引きの基準が、よく分かりません・・。
等高線を見ても、判断が付きません。
当時、このエリアに家を建築する際は、
「建築確認申請」の他に「風致地区内行為許可申請書」の
提出も、住民達に求められたそうです。
誰がどのように決めているのでしょうね・・
ちょっと出て来て頂きたい気分です(^^;)
このようなマップで、色々分かるんですね(^^;)
ぜひ、楽しんでみて下さい。
明日は、本業務の都合で更新をお休み致します。
ご了承ください。
★★★