2012年12月04日

八木山エリア 貴重マップ 〜国土地理院・国土交通省〜

★★★



八木山1968_5_1.jpg

−2度クリック・拡大−



昭和43年の当時写真。

ネット上にある
国土地理院の「国土変遷アーカイブ空中写真閲覧システム」
のものと同一です。

当時、仙台市内にあった「ダックシティ丸光」で
「地図展 仙台80年のあゆみ」が開催されたそうで、
その時のものです。

この時代の八木山エリアの風景は、
取材班は知りません。 
このように写真などで見て楽しむ趣味です(^^;)


その空撮を「マップ」で表現すると、
下記になります。


集成図仙台1969_10.jpg
1969年マップ−国土地理院−

−2度クリック・拡大−



68〜69年頃の「航空写真」と「マップ」です。
マップに関しては、拡大してご覧ください。

40年以上前の八木山エリアということになりますね。
先日の「バス停」とも、ほぼ同時期に重なります。

八木山エリアのマップをご覧頂くと、
色々な事が分かります。

何度か当サイトでも触れたことがある「亜炭鉱」。

八木山エリアでは活発でしたが、
昭和40年代に入り消滅していきました。

その亜炭だった付近が、マップに掲載されています。
「朝鮮学校付近」などに「あたん」と記載されていますね。

「八木山団地」付近に関しては、
本町2丁目エリアが「造成途中」という状況のため、
道路も現在と違いますね。
八木山中学校のエリアも、
ミスだと思いますがエリアが広くなってしまっています。
「紫色」は教育機関です。

「等高線」もわずかに記載されています。
元々の形状が、少しだけ分かるでしょうか。

「東北工業大学」の後ろに「地震観測所」という
記載がありますね。

西多賀方向に目を向けてみますと、
現在もある「東北大学原子核理学研究施設」があります。

富沢・西多賀エリアは、現在とだいぶ違いますね。

長町モールの場所に存在した「東北特殊鋼」さんが
ありますが、この付近がモール界隈ということです。
田んぼ・畑だらけということが分かるでしょうか。
こういう立地だったんですよね、昔は。
信じられないくらい発展しましたね。

太白団地付近は「造成中」となっていますね。

八木山南エリアは造成中にもなっていない時期です。

「恐竜山」も、今の原型が無い頃です。
造成でたまたま造られてしまった形なんですね。


この地図で、
八木山市民センター付近に「点線・青ライン」
が囲われていますが、
これの内側が「風致地区」です。 

この線引きの基準が、よく分かりません・・。
等高線を見ても、判断が付きません。

当時、このエリアに家を建築する際は、
「建築確認申請」の他に「風致地区内行為許可申請書」の
提出も、住民達に求められたそうです。

誰がどのように決めているのでしょうね・・
ちょっと出て来て頂きたい気分です(^^;)


このようなマップで、色々分かるんですね(^^;)

ぜひ、楽しんでみて下さい。


明日は、本業務の都合で更新をお休み致します。
ご了承ください。


★★★
posted by 八木山取材班 at 21:50| 宮城 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 八木山放送局NET | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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