2013年05月14日
仙台城趾 石垣崩落現場のいま パート2
以前お伝えしていますが、
「4月20日〜6月2日」の期間、
震災で石垣崩落した天守台ルートが、
観光バスや実車のタクシーが通行可能になっています。
【撮影・取材 取材班K】
下の隅櫓の入り口と、上の工学部への三叉路交差点で
警備員が常駐していますが、
ここの関所で連絡を取り合いながらバスなどを誘導しています。
崩落現場になっている箇所は、
徒歩はダメだと伺っていたのですが・・
何故か歩けるようです(^^;)
震災前、ここを歩く人はほとんどいませんでした。
狭い上にクルマが多く通りますので危険ですね。
しかし現在は、普通のクルマは走れませんので
危険もなく見やすいですね。
出っ張った石垣の部分です。
同じ箇所の、震災2日後の状況です。
出っ張った石垣の下の方は崩落していなかったので、
そのままの状態で残っているようです。
出っ張った石垣の部分は、
わずかに道幅が広がっています。
電柱は「斜め」になっていますが、
これは震災で少し傾きました。
そのままになっているという状況です。
震災直後
平成25年5月現在
震災前まで、電柱がガードレールの後ろにありましたが、
現在は電柱と同じラインにありますので、
この部分の道幅を広げたんですね。
道路もクラックが入ってしまっているので、
アスファルト舗装をしてあります。
出っ張った石垣の崖側の写真です。
この擁壁がのり面で、斜めに設置されていますが、
「垂直」に造れなかった理由があるのでしょうか・・?
これが垂直に造られていれば、
道路も広く造れると思うのですが・・。
仙台市は以前、この場所の拡幅を計画しており、
数回ボーリング調査を行っています。
地震等で地盤の変化があると、
石垣側から押される形になってしまい、
道路が落ちるのを考慮して斜めに擁壁を造ったのでしょうか。
垂直にしてくれれば・・道路が広がりますね・・。
出っ張った石垣から、先の道路です。
懐かしいでしょう。
震災後、左側の森林の木々が倒れるなどしましたが、
それも撤去されています。
長い期間放置されていたので、
枯葉などで荒れ果てた状態になっていました。
使われなくなった道路は、
こうなるんだなと感じました。
震災後、
仙台城趾の付近でカモシカが目撃されていましたが、
おそらくこの道路も、サラッと歩いていたのだろうと、
そんな事を想像してしまいます。
震災から2年2ヶ月が経過しました。
震災から1ヶ月半で開通しましたが、
鹿落坂が通行止めになり、不自由な生活がありました。
そしてこの天守台ルート。
震災直後は、
鹿落ルートと天守台ルートが通行止めになり、
短い期間ではありましたが「八木山橋」も
通行止めになりました。
その期間、
向山ルート〜愛宕大橋ルートが仙台市街地までの最短ルート
になりました。
あとは国道286号線を使用するコースだけでした。
朝などはかなりの渋滞が発生していましたね。
「八木山は、陸の孤島になったみたいだ・・」
そんなことを感じたモノでした。
沿岸部と比べると全く大した事ではありませんが、
いつも使用していた道路が使えないということは、
こんなに不便なんだと、痛感しました。
太白区の「柳生エリア付近」や、
現在人口が最大級に増えている「栗生エリア付近」。
あれらの地域は、柳生ですと「太白大橋」。
栗生などは「仙台西道路のトンネル」が
必要不可欠な生活道路になっています。
それらの道路に何かがあると、
一気に不便な生活を送ることになってしまいます。
地域に住むということは、
「アクセス道路」が非常に大切なことが分かりますね。
八木山エリアですと、
震災で「愛宕大橋が通れなくなった」場合、
さらに厳しい状態になったということです。
もうひとつ付け加えるならば、
八木山付近は大きい川で「広瀬川」「名取川」、
小さい川も、かなり多く存在します。
大きくは、
「八木山橋」「愛宕大橋」「霊屋橋」「大橋」があります。
気づかぬうちに多くの「橋」を利用していますので、
「橋」も非常に大事なんですね・・。
日本の技術は凄いなと思いますが、
仙台市内の多くの橋は、無事でした。
大丈夫だったのでピックアップされませんが、
震災で多くの橋に被害があったら、
パニックになるほど大変なことになったと思います。
忘れてはいけない「橋のこと」ですね。
震災後
6月中旬頃から、石垣積みの工事がスタートします。
完成は平成27年の3月頃。
待ち遠しいですね。
★★★
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