1963年・昭和38年 5月12日。
その日に撮影された、ご提供して頂いた1枚の写真。

1963年・昭和38年 5月12日

2013年・平成25年 5月12日
50年前の仙台城趾の石垣と、現在の状況です。
この本丸の石垣は、
1998年〜2003年の期間で全面修理が実施されています。
この時に石垣修復をしていなかったら、
2年前の大震災の時、間違いなく「崩落していた」と
言われており、様々な面から見ても「大成功の修復」と
言えるのではないでしょうか。
この時の調査で、3期にわたる石垣の存在が確認されおり、
過去に数回の修復が行われていたことが分かっています。
50年前の石垣を見ると、
わずかに石垣が膨れているようにも見えます。
そしてこの50年前の1963年。
天守台ルートの道路が「初めて舗装された」という
記念すべき年になっています。
何故だか、お分かりでしょうか?
この昭和38年。
昭和天皇が仙台にお立ち寄りになったそうです。
昭和38年5月18日、
青森県で開催される植樹祭へ行かれる途中、
仙台城址と青葉山植物園にお立ち寄りになっているそうです。

ご提供写真 昭和38年5月 青葉山植物園
少しブレていますが、植物園に入られる
昭和天皇・皇后両陛下を撮影した写真です。
仙台で1泊され、翌日に青森に向かわれたそうです。
貴重な写真ですね。
当時まで、
仙台城趾の天守台ルートは舗装されていませんでした。
さらに当時は、舗装するタイヤローラの建設機械がなく、
鉄輪のロードローラで押し固める時代。
鉄輪ローラでは天守台ルート急坂に対応できなかったようで、
大型トラックとワイヤーで結び、
トラックの牽引力で鉄輪ローラを引き上げていたそうです。
確かに、鉄のローラでは急坂を登れませんね・・。
ゴム製のタイヤでなければ・・。
そう考えると、時代は進化しているんですね。

天守閣がない山城として有名な仙台城趾。
仙台空襲で焼失してしまった
隅櫓の場所にあった「大手門」。
上記の貴重写真の1963年の翌年である64年。
民間の寄付を募って現在の「大手門脇櫓」が復元されています。
これが唯一、江戸時代の姿を示す建物です。
現在、震災でダメージがあり修復されている向かい側の石垣が
ありますが、脇櫓と石垣の距離を見て、
当時の大手門の大きさを想像できるのではないかと思います。
隅櫓は「期成会」という団体が
民間の寄付を募って復元し、その後に仙台市に寄付しました。
この流れで、「大手門の復元」も計画されましたが、
資金と用地問題で果たされませんでした。
しかし、
平成27年度開通予定の「仙台市地下鉄東西線竣工」を目処に、
大手門の復元が開始される予定になっています。
現在、石垣修復で通行止めになっている天守台ルートですが、
大手門の工事が、もし実施されると・・
「また通行止め?」という危惧もありますが・・。
もし大手門の復元が確定事項なら、
天守台ルートが通行止めになっている今のうちに実施して
頂けると「良いタイミング」だと思いますが・・。

天守台から 1963年 5月12日

天守台から 2013年 5月12日
同じく、天守台からの50年前と現在の写真です。
これもご提供写真です。
同じ位置からの写真ですが、
50年前違い「木」がありませんね。
下には「追廻住宅」の違いが一目瞭然です。
ここも、地下鉄東西線工事の地域づくりに伴い、
「公園」に姿を変える予定になっています。
街の風景も違いますね。
高いビルがありません。
当時の仙台市中心部で空を見ると、
「空が広く見えた」でしょう。
地下鉄東西線の流れで、
「西側の見所である歴史・文化・遊園」エリアでは、
様々な変貌があります。

約400年前。
現在の仙台市の礎を築いた伊達政宗は、
どのように見えているのでしょう。
現在の世にタイムスリップしてくれたのならば、
取材班は、一緒にお酒を飲んでみたいと思っています。

★★★
題名はすっかり忘れてしまいましたが、スカパーでやってました。