今週、シリーズでお送りしていた
「萩の郷 福寿苑/福祉工場」から見る「八木山南団地」編
今回は「貴重写真編」でお送りします。
このシリーズについては、
昭和55年に発行されていた上記の「萩の郷史」を参考に、
記事を書きました。
昭和40年代前半頃に、
障害者の働く場所、そして生活する場所を構築させるという
英断をした「社会福祉法人 共生福祉会」
「萩の郷 福寿苑/福祉工場」
この決定から、視察、建築、稼働などの「あゆみ」が、
この一冊に収められています。
しかし「非売品の1冊」です。
本屋さんには出ていないものです。
このような記録は、非常に大切ですね。
長い年月を経過すればするほど、貴重になっていきます。
当時、多少のお金がかかったとしても、
将来のための、大切な財産になります。
この本に掲載されている数枚の写真をご紹介します。

「萩の郷 福寿苑/福祉工場」の建設が着手されたのは、
昭和49年のこと。
しかし建設に着手する前には「計画段階」というものが
必ず存在します。
「どこの場所に建設するか」というものは、
昭和44年頃から始まっています。
現在の「萩の郷 福寿苑/福祉工場」がある場所は、
八木山南団地の最西端である「御堂平エリア」です。
まだ何もない、自然豊かな場所に計画しました。

陸上からの「合わせ写真」です。
このような風景は、日本の様々な場所に見られます。
ひより台方向から八木山エリア方向の、
昭和30年代後半頃の写真ではないかと思われます。
この写真は、大変貴重です。
現在、八木山エリア住む皆さんの場所は、
「このような現状から造成されている」ということが分かる、
貴重なものです。
一般の人は、あまりこのような写真を撮影しませんね。
しかし法人さんが「計画段階」に入った時、
当然ですが「プレゼン」などをする必要があるので
資料として写真を撮ります。
現在でも同様ですね。
このような写真が残っていることは、幸せなことです。

御堂平エリアの昭和48年頃の写真です。
説得力がありますね。
「道」が見えますが、
仮設道路なのか元々の道なのかは不明です。
しかし、このような場所から地域は造られていっています。

造成前の「御堂平エリア」です。
ひより台側からの1カットです。
昭和46年の後半から造成を開始した
「八木山南団地」の風景が、わずかに見えています。
昭和48年頃の写真です。

造成を開始した昭和49年の写真です。
向こうに見える山のような盛り上がりは、
現在でも残っています。
現在の風景からは、想像しにくいでしょうか。
見えている重機も、
当時は八木山南団地方向から持ってくることは
出来なかったため、
仙台西高校の方向から数日かけて持ってきたそうです。

昭和50年。
「萩の郷 福寿苑/福祉工場」の第一期工事が終了し、
運営をスタートした頃のものです。
写真は51年頃かも知れませんが、
昭和52年に開校した「八木山南小学校」の建設が
行われているのが分かります。
以前の記事でも記載した通り、
八木山南小学校の一部の土地は、
元々「萩の郷」さんが取得していた土地でした。
建設から、間もなく40年が経とうとしている
「萩の郷 福寿苑/福祉工場」。
八木山南団地を含めた、
「萩の郷 福寿苑/福祉工場」の歴史の流れが、
この写真たちで、十分伝わります。
貴重な資料ですね。
★★★