2013年06月13日

「萩の郷 福寿苑/福祉工場」から見る「八木山南団地」 貴重写真

★★★



今週、シリーズでお送りしていた
「萩の郷 福寿苑/福祉工場」から見る「八木山南団地」編

今回は「貴重写真編」でお送りします。


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このシリーズについては、
昭和55年に発行されていた上記の「萩の郷史」を参考に、
記事を書きました。

昭和40年代前半頃に、
障害者の働く場所、そして生活する場所を構築させるという
英断をした「社会福祉法人 共生福祉会」
「萩の郷  福寿苑/福祉工場」

この決定から、視察、建築、稼働などの「あゆみ」が、
この一冊に収められています。

しかし「非売品の1冊」です。
本屋さんには出ていないものです。

このような記録は、非常に大切ですね。
長い年月を経過すればするほど、貴重になっていきます。
当時、多少のお金がかかったとしても、
将来のための、大切な財産になります。

この本に掲載されている数枚の写真をご紹介します。


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「萩の郷 福寿苑/福祉工場」の建設が着手されたのは、
昭和49年のこと。

しかし建設に着手する前には「計画段階」というものが
必ず存在します。

「どこの場所に建設するか」というものは、
昭和44年頃から始まっています。

現在の「萩の郷 福寿苑/福祉工場」がある場所は、
八木山南団地の最西端である「御堂平エリア」です。

まだ何もない、自然豊かな場所に計画しました。


IMG_0002.jpg


陸上からの「合わせ写真」です。

このような風景は、日本の様々な場所に見られます。

ひより台方向から八木山エリア方向の、
昭和30年代後半頃の写真ではないかと思われます。

この写真は、大変貴重です。

現在、八木山エリア住む皆さんの場所は、
「このような現状から造成されている」ということが分かる、
貴重なものです。

一般の人は、あまりこのような写真を撮影しませんね。

しかし法人さんが「計画段階」に入った時、
当然ですが「プレゼン」などをする必要があるので
資料として写真を撮ります。
現在でも同様ですね。

このような写真が残っていることは、幸せなことです。


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御堂平エリアの昭和48年頃の写真です。

説得力がありますね。

「道」が見えますが、
仮設道路なのか元々の道なのかは不明です。

しかし、このような場所から地域は造られていっています。


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造成前の「御堂平エリア」です。

ひより台側からの1カットです。

昭和46年の後半から造成を開始した
「八木山南団地」の風景が、わずかに見えています。

昭和48年頃の写真です。


IMG_0004.jpg



造成を開始した昭和49年の写真です。

向こうに見える山のような盛り上がりは、
現在でも残っています。

現在の風景からは、想像しにくいでしょうか。

見えている重機も、
当時は八木山南団地方向から持ってくることは
出来なかったため、
仙台西高校の方向から数日かけて持ってきたそうです。


IMG_0003.jpg



昭和50年。

「萩の郷 福寿苑/福祉工場」の第一期工事が終了し、
運営をスタートした頃のものです。

写真は51年頃かも知れませんが、
昭和52年に開校した「八木山南小学校」の建設が
行われているのが分かります。

以前の記事でも記載した通り、
八木山南小学校の一部の土地は、
元々「萩の郷」さんが取得していた土地でした。



建設から、間もなく40年が経とうとしている
「萩の郷 福寿苑/福祉工場」。


八木山南団地を含めた、
「萩の郷 福寿苑/福祉工場」の歴史の流れが、
この写真たちで、十分伝わります。

貴重な資料ですね。



★★★
posted by 八木山取材班 at 21:34| 宮城 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 八木山放送局NET | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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