2013年09月11日

八木山エリア 東日本大震災から2年半 「心構え」

★★★




東日本大震災から、今日で2年半が経ちました。

2年半前の14時46分。

あの時から、
大きく人生が変わってしまった方が多かった大震災。

皆さんにとっては、早かったでしょうか?
それとも、長かったでしょうか?

その感覚はそれぞれだと思いますが、
取材班は、これまで早かったと感じている反面、
震災から数ヶ月は「かなり長い」と感じていました。


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「帰宅難民」という言葉が多く使われた震災。

関東地方を中心に報道されていましたが、
こればかりは東北地方も同様でした。

「どこから帰るのか」によりますが、
仙台市中心部からは「1時間〜2時間」で
八木山の自宅へ帰ることが出来る立地にあります。

体力がない方、足の悪い方などには辛いと思いますが、
「歩く」という手法が一番の方法になったのが震災でした。

震災の日は、車の大渋滞が幹線道路を中心に発生し、
大混乱が起きました。

しかしながら、八木山エリアに入ると
286号線方向からはスムーズだったと言います。


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致命的だったのが、「停電」。

これにより、インターネットは勿論のこと、
携帯電話、固定電話等の連絡網も断絶。

夜には光を失った町並み。

特に暗闇は「不安を誘発する」という気分の中、
追い打ちをかけるように続く「余震」。

あの震災の日の夜は、
皆さんが誰と居たのかによりますが、
「1人で過ごした」方も多くいるはずです。


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夜が明けた3月12日。

徐々に被害状況などが見え始めた日。

続いている電気・ガス・水道の断絶。

頼りになるのは「人と人と情報伝達」。


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電気を失ったこと、スタッフが回せない事などの理由で、
補給出来ないガソリン・灯油の燃料。

心の中で、
様々な事に対して「ダメか・・」と感じた日。

様々なことに対して「重大さ」に気づいた日。


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そして、また暗闇の時間が訪れる。

しかし、
1日目の夜と2日目の夜を比べると、
少し状況を把握したことでの、
「明日からの生き方・過ごし方」を
考え始めた夜だったのではないでしょうか。


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八木山エリアでも、他の地域でも、
地域内の人々等が協力して「避難所」が
機能しました。

年配の方はもちろん、
若い1人暮らしをしている方も多く集った避難所。

携帯電話などになれていた若い方などにとっては、
友人や家族など、
これまで近い距離にいた人たちとの連絡がつかないことで、
どうしてよいか分からないという不安が
大きくなったのではないかと思います。


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八木山エリアは、
沿岸沿いの大津波被害と比べれば完全に軽いです。

比べることすら出来ない被害がありました。

そして、「命の危険」もあったこと。



2年半が経ち、
私たちは、あの時のことを、どれだけ覚えているでしょうか。

余震は、これまで減少し続けていますが、
2年半の間で「1万回を突破」している状態です。

震災に関係があるのかは不明ですが、
「蔵王」に火山性微動が出ているなど、
自然の恐怖は、今後も色々と起きてくるのが「自然のこと」
なのだと思います。

色々なことに対して
「イメージ」することが大切です。

夏に猛威を振るっていた「竜巻」もそうですが、
「もし何かが起きたら、こう対応する」
というイメージを持ち続けて頂ければと思います。


これが「心構え」というものなのでしょう。



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★★★

posted by 八木山取材班 at 13:32| 宮城 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 八木山放送局NET | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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