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東日本大震災から、今日で2年半が経ちました。
2年半前の14時46分。
あの時から、
大きく人生が変わってしまった方が多かった大震災。
皆さんにとっては、早かったでしょうか?
それとも、長かったでしょうか?
その感覚はそれぞれだと思いますが、
取材班は、これまで早かったと感じている反面、
震災から数ヶ月は「かなり長い」と感じていました。
「帰宅難民」という言葉が多く使われた震災。
関東地方を中心に報道されていましたが、
こればかりは東北地方も同様でした。
「どこから帰るのか」によりますが、
仙台市中心部からは「1時間〜2時間」で
八木山の自宅へ帰ることが出来る立地にあります。
体力がない方、足の悪い方などには辛いと思いますが、
「歩く」という手法が一番の方法になったのが震災でした。
震災の日は、車の大渋滞が幹線道路を中心に発生し、
大混乱が起きました。
しかしながら、八木山エリアに入ると
286号線方向からはスムーズだったと言います。
致命的だったのが、「停電」。
これにより、インターネットは勿論のこと、
携帯電話、固定電話等の連絡網も断絶。
夜には光を失った町並み。
特に暗闇は「不安を誘発する」という気分の中、
追い打ちをかけるように続く「余震」。
あの震災の日の夜は、
皆さんが誰と居たのかによりますが、
「1人で過ごした」方も多くいるはずです。
夜が明けた3月12日。
徐々に被害状況などが見え始めた日。
続いている電気・ガス・水道の断絶。
頼りになるのは「人と人と情報伝達」。
電気を失ったこと、スタッフが回せない事などの理由で、
補給出来ないガソリン・灯油の燃料。
心の中で、
様々な事に対して「ダメか・・」と感じた日。
様々なことに対して「重大さ」に気づいた日。
そして、また暗闇の時間が訪れる。
しかし、
1日目の夜と2日目の夜を比べると、
少し状況を把握したことでの、
「明日からの生き方・過ごし方」を
考え始めた夜だったのではないでしょうか。
八木山エリアでも、他の地域でも、
地域内の人々等が協力して「避難所」が
機能しました。
年配の方はもちろん、
若い1人暮らしをしている方も多く集った避難所。
携帯電話などになれていた若い方などにとっては、
友人や家族など、
これまで近い距離にいた人たちとの連絡がつかないことで、
どうしてよいか分からないという不安が
大きくなったのではないかと思います。
八木山エリアは、
沿岸沿いの大津波被害と比べれば完全に軽いです。
比べることすら出来ない被害がありました。
そして、「命の危険」もあったこと。
2年半が経ち、
私たちは、あの時のことを、どれだけ覚えているでしょうか。
余震は、これまで減少し続けていますが、
2年半の間で「1万回を突破」している状態です。
震災に関係があるのかは不明ですが、
「蔵王」に火山性微動が出ているなど、
自然の恐怖は、今後も色々と起きてくるのが「自然のこと」
なのだと思います。
色々なことに対して
「イメージ」することが大切です。
夏に猛威を振るっていた「竜巻」もそうですが、
「もし何かが起きたら、こう対応する」
というイメージを持ち続けて頂ければと思います。
これが「心構え」というものなのでしょう。
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2013年09月11日
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