★★★
クリック拡大
以前、出した事がある資料です。
「八木山公園」の見取り図、
昭和30年代まで存在していました。
八木山の歴史を、
今回は違う目線で紐解いていきます。
昭和初期、八木氏が財を投じて
「八木山球場」や「八木山橋」を建設したのは、
皆さんもご存じの通りだと思います。
しかしながら、ベイブルースが来た後、
戦前・戦後、この八木山付近がどうなっていったのか
という資料が、あまり多くない現状があります。
当サイトの記憶でも、あまり記載した事がありません。
昭和31年の、仙台市の資料がありますので、
ここで、触れていきたいと思います。
ここからの文章は、
「昭和31年に見る、八木山」という目線でご覧下さい。
青葉城天守台の西南から、
竜ノ口渓谷に架せられた八木山橋を渡ると、
右手に渓谷の絶景を眺めつつ、丘陵の頂点に達する。
これが、八木山公園の中心部である。
この時期、八木山橋から動物公園に向かうと、
「右手に渓谷の絶景」という記載がある事から、
今のように、木々があまり無いという事が想像できます。
「八木山公園」とは、現在で言えば、
以前向山にあった「中央児童館」のようなイメージです。
アスレチックや弓道場などもありました。
続きます。
公園の面積「32.411坪、海抜167m」の高台で、
天然の森林を取り入れた仙台市随一の自然公園である。
この山林一帯は、越路山という藩士の共有財産で、
後に国有になったものが、
大正時代に八木氏久兵衛氏の所有となった。
八木氏がここを「遊園地」として市民のレクリエーションの
ために開放しようとしたのは、
仙台市が杜の都と呼ばれ、快適な健康地のように見られながら、
死亡率が高い事に鑑み、市民の健康増進に寄与しようと
したのが始まりと言われる。
この準備計画として、昭和3年に天守台方向から新道を開削、
途中の渓谷には「吊り橋」を架する事を企画し、
これを軍用道路として存置し、仙台市が維持にあたるという条件で、
第2師団当局の承認を得た。
同時に運動場施設をもなすこととなり、
昭和5年1月に道路を、ついで6年に橋を竣工。
そこで遊園地としての施設を挙げて、
宮城県に管理を移したが、翌7年に八木氏の手に返還され、
同9年4月1日、これを仙台市に改めて寄付された。
仙台市からの目線で見ると、
こういう書き方になるのが、興味深いでしょうか。
続きます。
総面積は「10万坪」と言われるが、
公園としては3万2千坪。
この内には野球場(7.755坪)、遊園地(13.225坪)、
桜ヶ岡(6.108坪)、紅葉ヶ丘(5.333坪)が含まれる。
市は、各運動用具、動物舎の外、桜・楓などの樹木植栽、
散策路、掲示板、制札を立て、常時の管理人他、
季節的に人夫を増派して、維持管理に努めた。
仙台市の維持管理が記載されています。
「動物舎」という記載がありますが、
どこにあったのかは不明です。
単純に八木山公園全体をつくったのが八木氏、
その後の維持管理は仙台市ということが分かります。
続きます。
この八木山公園は、杜の都仙台市にとって、
とても特異なる環境とされ、
特に竜ノ口渓谷に架けられた吊り橋の奇観は名所となり、
野球場での数々の大競技は昭和初期の和やかな世相と共に、
市民の快い感銘を残している。
しかるにその後、支那事変の勃発以来の非常事態の激化は、
この施設の多い公園の維持管理を困難にし、
さらに山手に立地している事もあって訪れる人も稀になり、
年と共に多くの施設も腐朽してしまい、
戦後もにわかにこれを改善する事も出来ず、
荒廃の一途を辿った。
この部分、
当サイトでもあまり触れていない部分だったでしょうか。
この時期の情勢が影響し、
今で言えば税金が八木山公園に投入できなくなっていた、
そういう事になります。
現在のようにクルマ社会でもありませんので、
道も今のように舗装されていない中、
仙台市中心部から山登りして1時間・・
人が訪れる事も少なくなります。
しかし戦後の混乱も時が経つに連れて安定し始め、
公園美化の問題が市民の間に意識されるようになり、
仙台市内の公園の復旧工事に努めるようになった。
更に昭和26年3月
再び八木氏より隣接地12.131坪の果樹園の寄付を受けたが、
これらは総合的に「一大遊園地計画」として
保存する事となった。
最後を締めくくる一文、
「一大遊園地計画」は、現在のベニーランドの事を
いうのだと思います。
ベニーランドが開園したのは昭和43年。
軽く15年以上前から、計画上にあったようです。
昭和43年 ベニーランド秘蔵写真
八木山のスタートの後、
10年も経たないうちに情勢不穏に陥り、
荒廃の一途を辿った、当時の八木山エリア。
山あり谷あり・・
そんな言葉がありますが、
ベニーランドや動物公園が出来、宅地開発された八木山は、
再び上昇気流に乗りましたが、
ピークを越えると、また谷の方へ下りる形になりました。
現在は、どこのあたりにいるのでしょう。
★★★
2014年05月27日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック