2016年03月24日

八木山 長町越路の由来 パート2

★★★



前回の続きの記事になりますが、
「長町越路」関連を書いていきたいと思います。

正確に言いますと「長町字越路」になります。

そして、結論から言いますと・・
なぜ「長町字越路」という名前になったのか・・
これは様々な資料などを調べても、、
確実なところは、分かりませんでした(>_<)

ただ、推測は出来ましたので、
今回はこの件をご紹介します。



IMG_1102-1.JPG



以前も何度か書いていますが、
「越路山」から「八木山」に変わった変貌を、
少し書かせて頂きます。

明治時代から大正時代にかけて、
当時は荒廃し続けていた「越路山」と呼ばれた山・・
現在の八木山エリア一帯を、
4代目〜5代目の八木久兵衛氏の活躍で買い取ったところから、
現在の八木山ストーリーが始まりました。

大正13年、当時の価格で17万円であったようで、
その面積は100万〜150万坪と呼ばれています。

この時、地元民は「越路山」から「紅久山」と
呼んでいたそうです。

仙台城の南側一帯、長徳寺から動物公園までの一帯とその裏側、
さらに西多賀付近に至る広範囲になります。

大正14年から、現在の長徳寺前に開発工事事務所を建設し
人力だけで向山〜動物公園〜恐竜山〜多賀神社までの
約7キロの路線を作り上げます。

そしてもう1つは八木山球場、八木山遊園地、八木山橋の
3大プロジェクト。

元は亜炭鉱採掘者の野菜畑だった場所に野球場を造ります。
一方で、同じ場所に当時の東北大が運動場を設けようと
試みたようですが、維持が大変だと分かり断念したそうです。

国も断念した事業を、
八木家の私財を投じて作ったのが、八木山球場で、
昭和4年に完成しています。

さらに隣接地には、第1.2遊園地、テニスコート等も
同年に完成しています。

これが現在のベニーランドの基礎と言われていますが、
昭和8年に野球場は廃止されています。

八木山橋は昭和2年に着工し、鉄骨を加工して持ち込み、
現場で組み立てる方式を採用しています。

昭和6年の夏、3人乗った工事用ケーブルカーが突然傾斜し、
1名が谷底に落ち死亡、2人は橋げたに捕まり一命を取止めた・・
という事故がありました。

昭和6年、完成した野球場や八木山橋を宮城県に寄付しましたが、
宮城県側が維持が困難となり昭和7年に返却、
その後昭和9年に仙台市に寄付されて今に至ります。

当時まで「越路山」「紅久山」と色々な呼び方があったようですが、
丁度、上記のものを仙台市に寄付した昭和9年頃から、
八木家の功績が一世を風靡し
「八木山」と呼ばれることになったそうです。

昭和37年に「仙台新産業都市総合公園構想」から、
吊り橋だった八木山橋を永久橋に架け替えられることになり、
現在に至っています。



IMG_1692.jpg



そして八木山開発が波に乗っている昭和41年頃、
「新住居表示制」が設定されました。

この頃から、
現在の八木山エリアの「町名」が決まってきています。

まず、向山エリアから見てみます。

↑ クリック

向山という名称は、
仙台市中心部から見て、広瀬川の南向かい側に横たわる
「愛宕山一帯の山々を呼んできた通称名」です。

上記の「新住居表示制」の以前、
この向山地区は広瀬川の回り一帯の丘陵地帯全域を指しています。



IMG_2356.jpg

IMG_2375.jpg

IMG_2370.jpg

IMG_2390.jpg



「向山地区」として「新住居表示制」が施行されてからは、
越路・大窪谷地・長町越路・長町茂ヶ崎・宮沢・
八木山香澄町・緑町・松並町・弥生町・萩ヶ丘などの
11の新町が町割されました。



IMG_0958-c275d.jpg



そして、現在ある広瀬川付近の「越路」という地名。

先日、愛宕大橋の道路通行の「改変」が行われましたが、
上記写真の左側・広瀬川の脇にあたる地域です。


仙台開府当初まで、東北地方の幹線道路は「東海道」で、
東京から仙台に入る人たちは、
熊野堂〜根岸、愛宕山南麓の七曲坂を登り、
現在の越路を越して鹿落坂を下り・・仙台に入っていました。

この登り下りの道があるエリアから「越路」と名付けられていた
という説が有力ですが、鹿落坂付近に鹿が多く、
その鹿が恋をし、恋路とも書いて「越路」となったという説も
あります。



IMG_1974.jpg

IMG_2684.jpg

IMG_0897.jpg



そして、現在の八木山エリア付近。


長町北(昭48)  

長町・越路(昭57) 

仙台市の住居表示実施状況

↑ 各クリック


「新住居表示制」が入る前は、
東北工大が「長町字越路19番地」でした。

その後、八木山香澄町に変わりました。

「松が丘」のほとんどのエリアは
昔は「長町字根岸」 という名前でした。

恵和町などは「長町字芦の口」ですし、
現在の「大塒」も「長町字大塒」になっています。

桜木町は「長町字越路」ですね。


タイトルにもある「長町越路の由来」ですが、
これは推測のようで、この理由が濃厚だろう・・
という部分が1つあります。

そのヒントが、やはり現在の長町エリアです。

現在の長町地区にあたる「根岸町」。
根岸交差点がある根岸です。

昔はこの付近は「根岸村」と呼ばれていて、
宮沢・木場・新屋敷・鹿除土手・北町などの地域に渡り、
かなり古い村名のひとつが「根岸村」です。

根岸村のもっと昔は「名取郡」に属していた村落で、
経ヶ峰や越路山・愛宕山・大年寺山等の山麓をめぐる地域でした。

根岸村は、山々の根岸地帯を占めていた地方でしたが、
明治22年の町村制実施の際に「茂ヶ崎村」と改称しています。

さらに大正4年に町制を実施して
「茂ヶ崎村」から「長町」と改称されていますが、
その頃はまだ「名取郡」に属していました。

そして昭和3年、長町は仙台市に合併されて
今日に至っています。


これらをまとめてみると・・

やはり「長町越路」の長町は、
前身であった根岸村の中にあった「越路山」ですので、
「長町越路」と付いているのではないかとイメージできます。


昔から「山を越えて下る」という土地柄は
「越路」という名前が付くことが多かったので、
八木山の前が「越路山」と命名されていた由来は、
恐らくここからだと思います。


様々な書物等を確認すると、
広瀬側付近にある「越路」と「長町越路」のつながりは、
あまり関係ないと推測できますが、
正確なところは不明です。

広瀬川の方の「越路」は、
上記に記した「東街道」の時についた名称です。

そして八木山エリアについては、
広瀬川付近の「越路」という地名が付く前に
「越路山」という名前は付いていたようですので、
八木山エリアは、
根岸村からの「長町」が関係し、
さらに越路山からの「長町越路」と推測できます。



IMG_1975.jpg




そして・・
最後に、現在でも不明な・・前回書いた「越路公園」

青葉台より八木山側にある小さな公園です。



1.jpg
越路公園



この青葉台側に「越路公園」という公園があります。

なんで、ここが越路??という疑問です。

さらにもうひとつ・・



3.jpg



地下鉄東西線駅の上にあるマンション「コープ野村」。

この前にある公園が
「越路二号公園」という名前なんですね。

この第2公園の「越路」は、意味が分かります。
地域名は「越路」ですので。

ただ、この一号公園の越路が、
なぜか青葉台がある「荒巻地区」側にあるんです。

これは推測ですが・・後から造ったコープ野村の公園名を
「越路公園」と申請したときに、すでに存在していて、
思い切りはじかれたために「越路二号公園」としたのでは
と思います。


問題は、なぜ・・越路という名称になったのか・・。

恐らくですが・・
命名した時に、歴史に強い方がいたのでしょう。

この青葉台側も、当時は「越路山」だったはずです。


今回のタイトルで紐解いた「地名の由来」で考えると、
お・・??と思うのですが、
「越路山」から命名されると納得がいきます。

その昔、コープ野村付近に存在した「越路山神社」が
ありますが、
その神社は八木山開発にあたった大正14年に
建造されています。

場所も近いですし、それを考えると・・おかしくはないのでしょうが、
もしそこから取ったのであれば、、
「越路山公園」として頂きたかった気もします・・。

これの真相は、どこにあるのでしょうか・・。



★★★

posted by 八木山取材班 at 03:33| 宮城 ☁| Comment(9) | TrackBack(0) | 八木山放送局NET | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは !長町越路といえば、東北放送の脇道を下った一帯の民家も長町越路ですよね。ベニーランドの関係者の方々が住んでいたという話を聞いたことがありますが、今でも人が住んでいるのでしょうか(^^;
一度下ろうとしたところ、途中、前掛沢町内会と書いてある看板を見ました。熊が出るような気がして、それ以上奥まではすすみませんでしたが(^^;
長町越路より、はじめて聞いた町内会名です。学区は八木小?向山?
何だか謎だらけで、非常に興味深いですね(^-^)/
Posted by ネギィおじさん at 2016年03月25日 17:23
コメントへの返信は一切不要でご参考まで...

いつも楽しく拝見しております.

青葉台の公園の辺りにある当方の勤務先は,
今でこそ「青葉区荒巻字青葉519-1399」ですが,
だいぶ前は「太白区長町字越路19-1399」でした.
今でも当時の住所の名刺や封筒を持っているのですが,
90年代中〜後半に変更されたような記憶があります.

青葉山グラウンドに降りる坂のあたり,早坂アパートのあたりが太白区との境界だったようで,
昔は区の境の白い標識があったのを覚えています.

この時,半導体研究所(現在の東北大西澤センター),理化学研究所と,まるひろさんなど古くからある家一帯が,青葉区に編入されたと思います.

太白区役所まで行ってられないという地元の要請のほか,研究機関からも色々要請があったようです.

失礼いたします.
Posted by えらいねこ at 2016年04月01日 00:18
こちらもコメントの返信不要です.

昨日書いたことが気になって,職場の資料など調べてみました.

1996-2001年頃までは,公園の近所の当方の職場は,
「青葉区」長町字越路19-1399...という珍妙な住居表示になっています.
ちなみに,郵便番号は当時の仙台南郵便局管轄で982-XXXXです.

2004年以降は現在の住居表示である,
青葉区荒巻字青葉519-1399になっております.
また郵便番号も中央郵便局管轄で980-XXXXに変わっています.

1996年以前が探せなく申し訳ないです.

それでは,今後とも楽しみにしております.
Posted by えらいねこ at 2016年04月01日 19:18
こんばんは☆

いつも記事が更新されるのを楽しみにして拝見しております。

越路!
何だか自分としては、久々に聞いた感じがしました・・。

地下鉄開業前まであった、八木山市民センターのバス停ですが、昭和63年か平成元年頃までは、八木山越路って名前のバス停だったんですよ!
って、覚えてる人居ませんよね〜?


Posted by 市営バス at 2016年04月01日 23:21
おそらく、元々は竜ノ口沢の谷が区境になっていたんでしょうね。
地形図の等高線を見てみると、2つ上のえらいねこさんの書き込みにある区の境界付近まで、谷が届いているっぽいですし。
Posted by 元八木山南住人 at 2016年04月05日 22:41


>市営バスさん
>
>こんばんは☆
>
>いつも記事が更新されるのを楽しみにして拝見しております。
>
>越路!
>何だか自分としては、久々に聞いた感じがしました・・。
>
>地下鉄開業前まであった、八木山市民センターのバス停ですが、昭和63年か平成元年頃までは、八木山越路って名前のバス停だったんですよ!
>って、覚えてる人居ませんよね〜?
>
>
>
「八木山越路」 懐かしいですね♪
覚えています♪ 
40歳以上のこの付近の住民ならば、
覚えていると思うのですが・・(^^;)
Posted by 八木山取材班 at 2016年04月07日 23:20


>元八木山南住人さん
>
>おそらく、元々は竜ノ口沢の谷が区境になっていたんでしょうね。
>地形図の等高線を見てみると、2つ上のえらいねこさんの書き込みにある区の境界付近まで、谷が届いているっぽいですし。

コメントありがとうございます。

沢が区堺であることは間違いないと思いますね。

昔は、朝鮮学校の脇を通って
「青葉山ジャルダン」のアスレチックに
子供会などでよく行き来していたものです。

当時は、もっと身近な地域だったので、
さらに昔は、もっと近い存在だったのではと
想像しています。
Posted by 八木山取材班 at 2016年04月07日 23:24


>えらいねこさん
>
>こちらもコメントの返信不要です.
>
>昨日書いたことが気になって,職場の資料など調べてみました.
>
>1996-2001年頃までは,公園の近所の当方の職場は,
>「青葉区」長町字越路19-1399...という珍妙な住居表示になっています.
>ちなみに,郵便番号は当時の仙台南郵便局管轄で982-XXXXです.
>
>2004年以降は現在の住居表示である,
>青葉区荒巻字青葉519-1399になっております.
>また郵便番号も中央郵便局管轄で980-XXXXに変わっています.
>
>1996年以前が探せなく申し訳ないです.
>
>それでは,今後とも楽しみにしております.

コメント・情報、大変ありがとうございます。
大変参考にさせて頂きました。

地下鉄が出来て、
もっと身近なつながりになっても良いと、
感じています。

都市計画の道路計画にもありますが、
自然保護は維持したうえで、
もっと通りやすい道になれば良いなと感じますが、
おそらく「郡山折立線」とまとめて実施する
気がしています。

・・20年くらい先の事とは思いますが(>_<)
Posted by 八木山取材班 at 2016年04月07日 23:29
ふと気がついたのですが,郵便番号を紐解くのも,地理の解決になるかもしれませんね.
今後の取材で少しでもお役立てますように.

先般,青葉台の越路公園は昔は982-XXXXとカキコミしましたが,当時の仙台南郵便局管轄なので,明らかに昔は太白区だったんでしょうね.

ところで,住居表示にあたっては,こちらのサイトにもリンクしている住居表示変更のURLにもないのが不思議です.
当方も市役所のURLで調べましたが,どうも住居表示の区の変更や区が変わった場合ば記載されていないようで,謎です...
見た感じ,区内の変更しかないんですよね...

>元八木山南住人さん
>
>おそらく、元々は竜ノ口沢の谷が区境になっていたんでしょうね。

震災の時,青葉台の職場に避難してきた近隣住民さんから聞いた感じですが,正しいとも信ぴょう性もわかりません.
ただ,青葉台団地でゴルフ場の谷側だけ家が数件潰れ,年寄りの方に聞いたらこんな話でした.

地元の人から聞いたのは,昔からある打ちっ放し&ハーフコースのゴルフ場の間が谷だったそうです.
そこを埋め立ててゴルフができるように,仙台駅近辺のいろんな有名なビルや地下鉄の地下を掘った土で埋め戻されたとも聞いています.

実際,震災時には,当方の職場の前の道路も半分以上ゴルフ場に流れていきました(復旧まで1年).

元八木山南住人さんがおっしゃる通りで,竜ノ口沢の渓谷や谷が境というのは当方も同感です.

ちなみに,管理人さんなら分かると思いますが,宮教大→青葉台に来て,青葉台バス停過ぎても朝鮮学校方面に2車線のセンターラインの白線ある道路があります.

そこから右に下がると工大のグランドです.
でも,そこで道路真ん中の白線消えて舗装も変??ってお気付きですか?
そこが昔の区の境です.

管理人さんの「青葉山の長町字越路」の謎が解けましたでしょうか.

分かっている結論からすると当方の職場は;
「太白区長町字越路19-XXX(昔)」〜「青葉区長町字越路19-XXX(1996-2001年は確実)」〜「青葉区荒巻字青葉519-XXXX(2004年以降は確実)」です.

少なくとも15年前は長町字越路だったんですね.

あまりにも小さいエリアで,町内会(青葉台旧太白)だと住民推定30人,研究機関の定住していない事業系200人という場所なので,こんなん管理人さんでも分からないですよね.
Posted by えらいねこ at 2016年04月13日 04:47
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック