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さて、第2回です。
SEIYUを通過し、以前「太白山アタック」でも登場した
「太白山第2橋」です。
ここは、ただ見ただけです(^^;)
この先には、今回は行っていませんが、
太白山はここからでも入れます。
車では入れません。
太白山アタックした時は、登頂した後に、
ここから出てきました。
この住所は「太白2丁目」になりますが、
ここから「旗立エリア」の方へ向かいます。
「山田自由が丘」と「旗立」の境界線の道路の前に来ました。
見かけた事がある道路と思いますが、
ちょっと「変な道路だな・・」と思ったことはありませんか?
ここの左車線は「ミヤコーバスの専用道路」です。
この先に、「宮城交通 仙台営業所」があります。
さて、この第2回の本題は、この道路の秘密です。
第1回のラストに
「このエリアには、ある交通機関が通っていた」
と書きましたが、
この交通機関のことについて、お話ししましょう。
【秋保・里センターより】
その昔・・1914年(大正3年)
今から103年前になりますね。
「長町 - 秋保温泉」の間を結ぶ馬車軌道として開業し、
その後「電化」され、
「秋保温泉客の旅客輸送」と「秋保石の貨物輸送」を目的として、
「秋保電気鉄道 通称・秋保電鉄」の存在がありました。
上のマップにあるように、長町から、鈎取を通り、
この「旗立」に駅があり、さらに太白山の横を通り「茂庭エリア」、
そして秋保エリアに抜けていたのが「秋保電鉄」です。
残念ながら1961年(昭和36年)に全線が廃止されましたが、
その「秋保電鉄の軌道跡」が、今でもわずかに残っています。
その代表例の1つが、この「旗立エリア」のこの写真です。
旗立駅は、もう少し鈎取イオン側にありましたが、
なんとなくの「雰囲気が出ている場所」のひとつです。
この道路は、鈎取イオンの前に出る道路と繋がっていて、
その当時の秋保電鉄では、
鈎取駅−月が丘駅−旗立駅−太白山駅と結ばれており、
その内のひとつである鈎取駅は、
鈎取イオンの駐車場入り口に、その面影があります。
これは、このシリーズの後半でもう少し触れます。
そしてその軌道の一部、道路と変化している代表例の1つが、
この旗立エリア付近にある訳です。
【秋保・里センターより 昭和35年頃の状況】
月が丘駅
月が丘駅
この月が丘駅の面影は、現在でも残っています。
鈎取イオンから旗立エリアに向かう道路上です。
さて、秋保電鉄とは、どのような感じだったのでしょう。
【秋保・里センター】に行きますと、
ジオラマや資料が展示されています。
茂庭駅の再現
このジオラマ、よく出来ていますね。
写真は「茂庭駅」が表現されています。
「秋保石」が、有名だったんですね。
旅客目的と、この秋保石を長町へ運ぶのが、
秋保電鉄の目的でした。
そして、太白山、「生出森八幡神社」も再現されています。
太白山アタックの際も寄っていますが、
今回も「生出森八幡神社」は立ち寄っています(^^;)
秋保・里センター
この秋保・里センターに、
秋保電鉄の様々な資料・ジオラマが置いていますので、
ぜひ行ってみてください。
ちなみに「取材班が行く」で歩いて行ってませんので、
あしからず(^^;)
秋保街道に、この電車がありますね。
秋保・里センターの近くですが。
ちなみにこの電車は「仙台市電」です。
しかし、この場所に「秋保電鉄の終点 秋保駅」がありました。
ややこしいですが、電車は仙台市電ですが、
駅は、秋保電鉄の秋保駅・・という混乱バージョンです(^^;)
その当時、この地域の乗り物は、馬車などもあったはずですが、
「秋保電鉄」が、長町までを結んでくれていたため、
かなり重要な交通機関だったでしょう。
現在ほど、住民が住んでいませんでしたが、
この秋保電鉄で「夢」が広がっていた当時の状況が見えます。
2007年に仙台市内で発見された、
「仙山電気鉄道秋保笹谷峠間線路踏査図」によって、
路線を山形県まで延長する計画が判明したり、
青根温泉へと至る路線延長が計画されてみたり、
さらには八木山エリアへの路線も、
計画ではありませんが「話し合いが行われた」こともあったほど、
「夢があった路線」でした。
すべて夢で終わってしまったことが悲しいですが、
もし実現していたら、未来が変わっていたかもしれません。
現在の仙山線じゃないですが、
枯れ葉で動けなくなったり、ちょっとした傾斜が登れなくなり、
乗客たちで押す・・という事も、多くあったようです。
ある意味、良い時代ですね。
経営が順調ではなかったことが原因のひとつでもあり、
戦争もありましたし、時代背景も理由のひとつです。
1959年、
秋保電気鉄道と仙南交通自動車が合併し、仙南交通を設立。
その2年後の1961年・・仙南交通が秋保電鉄を廃止します。
一定の場所しか走れない電車より、
「バス需要」が出たことが、何より大きいでしょうか。
そして1970年、
仙台鉄道・古川交通・塩釜交通が合併した「宮城バス」、
栗原電鉄・陸前乗合自動車が合併した宮城中央交通の
バス部門「宮城中央バス」、
さらに秋保電鉄・仙南交通自動車が合併した「仙南交通」が、
3社新設合併することになり、
ここで登場したのが、「宮城交通株式会社」です。
つまり、ミヤコーバスの前身の一つに、
この秋保電鉄があるという事です。
さて、この写真で位置関係が分かるでしょうか。
星印の位置が、写真の右下・・
高速道路の交差地点になります。
左下に「宮城交通 仙台営業所」があります。
なぜ、この場所に宮城交通さんがあるのか、
分かったでしょうか。
当時このエリアを走っていた秋保電鉄が
関係している訳です。
さて、上からの写真では、右下のあたり。
高速道路の交差ポイントに来ました。
下からの写真では、高架の下をずっと行くと、
宮城交通さんがあります。
そして、左側を見ますと・・
トンネルらしき、入り口がありますね。
これが「太白トンネル」といい、
「秋保電鉄の軌道路線だった頃のトンネル」という訳です。
車両は通れませんが、人は通れます。
このトンネルを説明するには・・
秋保電鉄の前フリが必要なので・・長くなりました(^^;)
その筋では、有名な霊スポットらしいですが、
全く感じません(^^;)
確かに夜に来れば怖いでしょうが、
取材班、霊感はあるほうですが、まったく感じません。
たぶんですが、トンネルで遊ぶと危険ですので、
地域で作り上げた「話」に、尾ひれが沢山ついて、
怖い話が生まれたのでしょう・・と推測しています。
実際、地域にまつわる話は、明治大正昭和と・・
大人たちが、子供たちに近づかないよう伝えた伝来話が、
ほとんどだったりします。
怖い話をして、子供を遠ざけたものです。
ここを抜けますと・・
こうなります。
で・・当時の写真で見てみますと・・
【秋保・里センターより 太白トンネル】
こうなっていました。
この写真は、秋保電鉄が電化する前の、
初期の馬車時代ですね。
現在残る太白トンネルは「高さが低い」ため、
おそらく地面をかさ上げしたか、
改修してトンネルを下げたか・・のどちらかでしょうが、
かさ上げが濃厚かな、と感じます。
現代に戻しまして・・
横方向からの・・別アングルから見てみますと、、
金網がある場所が、トンネル付近です。
トンネルを抜けると、すぐ高速道路の脇に出ます。
実は、このトンネルを出てすぐの付近が
秋保電鉄の「太白山駅」にあたります。
ここは面影がさっぱりですが、
高速道路の建設中に、消し飛んだのではないかと思います。
ちなみにですが、
これらの写真は、、、、
写真に見える橋の、かなり上の方から撮っていますが、
このあたりも、この続きでお話ししたいと思います♪
さて、長くなってしまいましたが第2回は、終了です♪
第3回でお会いしましょう♪
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2017年04月23日
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私が初代ドラクエ(FC版)をプレイしたのは、ちょうどこの八木山に住んでいた時でしたので、なんか感慨深いものがありまして…。
よろしかったら、教えて頂けると嬉しいです。
地図の右側に、見せ方を変えるアイコンがあります♪
マップファンも面白い機能をつけたものですね〜。