ご無沙汰しております。
数年前からになりますが、
5月以降から月数回しか更新できない状態です。
当サイト開設時と違い、
八木山の中で仕事をしていないため、
情報取得も取材も思うようにいきません。
見る方がいなくなっても、
当サイトが継続していることがすべてと思っておりますので、
月1回のペースでもご覧いただければ幸いです。


さて、前回の更新がゴールデンウィークでした。
最近では、
写真のように八木山橋ルートが大きく渋滞するのは、
1年に数回でしょうか。
昭和の時代・・
「八木山の住人数がピーク」だった頃。
その時代の「土日祝日の夕方は、毎週のように渋滞する」
という時代がありました。
「八木山橋から渋滞したら、動物公園まで15分〜20分待ち」
という「人間の感覚時計」も、
40代以降の八木山住人は持ち合わせているでしょうか。
昭和の時代、現在のように「家族で遊ぶ場所・買い物する場所」
が多いわけではありませんでした。
特に「買い物は仙台市中心部に集中」していたこと、
「マイカーは家庭に1台」という時代で、
通勤に車を使うお父さんの、家族サービスのマイカー利用は、
「週末の休みに集中しやすい」こと、
そして何より「八木山の人口がピークにあったこと」等が理由で、
八木山付近の渋滞は、あちこちで存在していました。
人が多い地域に、渋滞はつきものなのです。

昭和の時代、八木山に地下鉄が出来ていれば、
現在とは比べ物にならない乗客者数になっていたでしょう。
バブル期に開業した南北線と、現在の東西線が
「逆の時期の開業」だったならば・・と妄想すると、
今とは違う仙台市の街づくりが空想できて面白いかもしれません。
そのバブル期前からの八木山エリアの交通網は、路線バスです。

「定時には来ない・・5分は遅れる」
というお約束もある八木山の路線バス。
昭和の時代は「エアコンが無い」「黒煙吐きまくり」
という状態で向山高校の坂を登る路線バス。
満員ギュウギュウの場合、バスのマニュアルギアは、
「2速で登れる」はずが、「1速」まで落とす・・
という必死さで登っていました。
エアコンが付く時代になっても、パワーが落ちるので、
向山の坂はエアコンを切る・・という風物詩もありました。

昭和の時代・・人口が多いという事は「商売が成立する」
ということでもあり、
「様々なお店が軒を並べる」という風景が広がります。
地下鉄南北線の終点「富沢エリア」は、
県内有数の「人口増加エリア」ということもあり、
ヨークベニマル仙台富沢西店などのオープンを控えた
「富沢ウエストタウン」の開発が進んでいます。
とはいえ「田んぼだった平らなエリアを開拓」、
つまり「開拓しやすいエリア」になっていることもあり、
完成してみると「全国どこにでもある発展した街の景色」
になることは間違いないでしょうか。
TSUTAYA、本屋さんなども出来るようですね。
今年の年末あたりに完成予定です。

八木山エリアも、一時期はTSUTAYAさんがありましたね。
動物公園前「サンチェーン」から始まり、
記念すべき初のレンタルCDビデオ店「Mrチャップリン」。
以降「トキメキ」になり、香澄町エリアでTSUTAYA
になりました。
今考えれば、駐車場も無い場所に、
よくレンタル屋を出店したなと思うところですが(^^;)
上記写真は、今は存在していませんが、
その後に出来たバイク屋さんの頃のものです。
松が丘エリアにも「ランボー」というレンタルビデオ屋さんも
あったでしょうか。

車社会が本格化した昭和の八木山では、
現在の「コンビニ並み」に存在した代表例が
「ガソリンスタンド」でした。
「エッソ 2店舗/長町越路・八木山香澄町」
「昭和シェル/八木山本町」
「エネオス・旧JOMO/八木山本町」
「日石/八木山南」
「出光/西の平」
今後、現在より増えることは無い施設の
代表店ジャンルでしょうか。

香澄町エリアを代表として、
カラオケ店などもあり、現在とは違う飲み屋さん、
スーパーなどが軒を連ねた時代。
30年前に存在していたお店は、数は少ないです。
こればかりは、個人経営である店主の都合もありますし、
30年以上同じ場所で続ける「むずかしさ」もあるのは、
八木山に限らず、全国で言えることでしょうか。


以前掲載させて頂きましたが、
「写真アルバム 仙台市の昭和」にある
「昭和32年の八木山交番から向山高校の方向」
はこんな感じであり、
こういう場所から現在の風景があるわけです。
人それぞれの目線があり、
この時代の方々でも「発展は望んでいない」
という方は、多くいたはずです。
「鳥や動物が多くいた自然を残せ」と。
上記に書いた「富沢エリアの区画整理事業」についても、
田んぼがある風景を残してもらいたい・・
静かな地域のまま残してほしかったという方もいるはずです。
人の感情が入り乱れる「欲」は、
今も昔も変わりません。
全日本・全世界で放映されてしまった
八木山動物公園から逃走した「チンパンジー脱走劇」
がありましたが、
ある意味では「チンパンジーのチャチャの欲」でしょうか(^^;)
あの時の人々の反応も様々で、
「しっかり管理しろよ」という方々もいましたが、
「小さい檻の中にいるから、動物も逃げたいよねー」
という考えの方もいましたし、
「八木山に住んでるとおもしろい(笑)」
という方々もいました。
取材班的に一番しっくり来たのは、
「動物公園のある地域に自ら住んでいるから、
リスクは承知の上だ」
だったでしょうか。
八木山動物公園が、住宅地よりも先に出来ている訳で、
その後に住宅地が出来て「後発の住人」なのですから、
動物に襲われたくなかったら、八木山に住まない事・・
これが正解のような気がします。
全国各地で騒ぎになっている「クマさん出没」もそうですね。
林道に入ってクマに襲われたら「自己責任」でしょうし、
こればかりはクマさんが悪いわけではないと思うのです。
八木山はクマやカモシカなどが出るリスクはありますし、
若い方、クマが怖いなら引っ越してこない方が良いでしょう。
最近少なくなっている「地震」も、
長町利府断層帯があると分かっていながら断層上に家を建て、
もし明日・・断層帯を震源にして大きな被害が出たとして、
ほかの地域よりも、断層上で大きく揺れて被害が出たら、
これも自己責任でしょうか。
取材班の友人が最近八木山に越してきましたが、
理由を聞くと「水没したくないから」という理由でした。
水辺に近いところ、平らな場所は水没リスクがある。
だから八木山を選んだのだそうです。
生活に不便じゃないの?と聞きましたが、
水没しない地域であるから、これ以上は特に求めない
そんな考え方もある・・人それぞれの思いです。
★★★
ボランティアサイトとはいえ、
繁忙期になると更新を止めざる得ないので、
心苦しい限りでございます。
会社が残る限り継続は致しますので、
温かい目で見守って頂けると幸いです。
ありがとうございます。
チャップリン、ランボー、懐かしいです。
ネットがなかった時代、中央とは大きな情報の格差がありましたから、
当時の若者にとっては、大事なインフラ?でした。
今回の写真の新聞屋さんのところには、当時は大きく感じられた本屋さんがあって、会社や学校帰りに立ち寄る人たちが多かった。
小学校にも近かった駄菓子屋さん、ピノキオ、雑誌やマンガが揃っていた菅田書房、
緑が丘方面の学校帰り組がよく寄っていた佐藤文具、今はもう全部無いですね。
随分と、時代が変わってしまったんだなあ。
今の子どもたちが、後々八木山を思い出す時、どんな所を思い浮かべるのかな。
更新を楽しみにさせていただきます。