2017年06月21日

八木山ストーリー

★★★


ご無沙汰しております。

数年前からになりますが、
5月以降から月数回しか更新できない状態です。
当サイト開設時と違い、
八木山の中で仕事をしていないため、
情報取得も取材も思うようにいきません。

見る方がいなくなっても、
当サイトが継続していることがすべてと思っておりますので、
月1回のペースでもご覧いただければ幸いです。



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さて、前回の更新がゴールデンウィークでした。

最近では、
写真のように八木山橋ルートが大きく渋滞するのは、
1年に数回でしょうか。

昭和の時代・・
「八木山の住人数がピーク」だった頃。
その時代の「土日祝日の夕方は、毎週のように渋滞する」
という時代がありました。

「八木山橋から渋滞したら、動物公園まで15分〜20分待ち」
という「人間の感覚時計」も、
40代以降の八木山住人は持ち合わせているでしょうか。

昭和の時代、現在のように「家族で遊ぶ場所・買い物する場所」
が多いわけではありませんでした。
特に「買い物は仙台市中心部に集中」していたこと、
「マイカーは家庭に1台」という時代で、
通勤に車を使うお父さんの、家族サービスのマイカー利用は、
「週末の休みに集中しやすい」こと、
そして何より「八木山の人口がピークにあったこと」等が理由で、
八木山付近の渋滞は、あちこちで存在していました。

人が多い地域に、渋滞はつきものなのです。



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昭和の時代、八木山に地下鉄が出来ていれば、
現在とは比べ物にならない乗客者数になっていたでしょう。

バブル期に開業した南北線と、現在の東西線が
「逆の時期の開業」だったならば・・と妄想すると、
今とは違う仙台市の街づくりが空想できて面白いかもしれません。


そのバブル期前からの八木山エリアの交通網は、路線バスです。


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「定時には来ない・・5分は遅れる」
というお約束もある八木山の路線バス。

昭和の時代は「エアコンが無い」「黒煙吐きまくり」
という状態で向山高校の坂を登る路線バス。
満員ギュウギュウの場合、バスのマニュアルギアは、
「2速で登れる」はずが、「1速」まで落とす・・
という必死さで登っていました。

エアコンが付く時代になっても、パワーが落ちるので、
向山の坂はエアコンを切る・・という風物詩もありました。



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昭和の時代・・人口が多いという事は「商売が成立する」
ということでもあり、
「様々なお店が軒を並べる」という風景が広がります。

地下鉄南北線の終点「富沢エリア」は、
県内有数の「人口増加エリア」ということもあり、
ヨークベニマル仙台富沢西店などのオープンを控えた
「富沢ウエストタウン」の開発が進んでいます。

とはいえ「田んぼだった平らなエリアを開拓」、
つまり「開拓しやすいエリア」になっていることもあり、
完成してみると「全国どこにでもある発展した街の景色」
になることは間違いないでしょうか。

TSUTAYA、本屋さんなども出来るようですね。
今年の年末あたりに完成予定です。



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八木山エリアも、一時期はTSUTAYAさんがありましたね。

動物公園前「サンチェーン」から始まり、
記念すべき初のレンタルCDビデオ店「Mrチャップリン」。
以降「トキメキ」になり、香澄町エリアでTSUTAYA
になりました。
今考えれば、駐車場も無い場所に、
よくレンタル屋を出店したなと思うところですが(^^;)

上記写真は、今は存在していませんが、
その後に出来たバイク屋さんの頃のものです。

松が丘エリアにも「ランボー」というレンタルビデオ屋さんも
あったでしょうか。



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車社会が本格化した昭和の八木山では、
現在の「コンビニ並み」に存在した代表例が
「ガソリンスタンド」でした。

「エッソ 2店舗/長町越路・八木山香澄町」
「昭和シェル/八木山本町」
「エネオス・旧JOMO/八木山本町」
「日石/八木山南」
「出光/西の平」

今後、現在より増えることは無い施設の
代表店ジャンルでしょうか。



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香澄町エリアを代表として、
カラオケ店などもあり、現在とは違う飲み屋さん、
スーパーなどが軒を連ねた時代。

30年前に存在していたお店は、数は少ないです。

こればかりは、個人経営である店主の都合もありますし、
30年以上同じ場所で続ける「むずかしさ」もあるのは、
八木山に限らず、全国で言えることでしょうか。


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以前掲載させて頂きましたが、
「写真アルバム 仙台市の昭和」にある
「昭和32年の八木山交番から向山高校の方向」
はこんな感じであり、
こういう場所から現在の風景があるわけです。


人それぞれの目線があり、
この時代の方々でも「発展は望んでいない」
という方は、多くいたはずです。
「鳥や動物が多くいた自然を残せ」と。

上記に書いた「富沢エリアの区画整理事業」についても、
田んぼがある風景を残してもらいたい・・
静かな地域のまま残してほしかったという方もいるはずです。

人の感情が入り乱れる「欲」は、
今も昔も変わりません。


全日本・全世界で放映されてしまった
八木山動物公園から逃走した「チンパンジー脱走劇」
がありましたが、
ある意味では「チンパンジーのチャチャの欲」でしょうか(^^;)

あの時の人々の反応も様々で、
「しっかり管理しろよ」という方々もいましたが、
「小さい檻の中にいるから、動物も逃げたいよねー」
という考えの方もいましたし、
「八木山に住んでるとおもしろい(笑)」
という方々もいました。

取材班的に一番しっくり来たのは、
「動物公園のある地域に自ら住んでいるから、
 リスクは承知の上だ」
だったでしょうか。

八木山動物公園が、住宅地よりも先に出来ている訳で、
その後に住宅地が出来て「後発の住人」なのですから、
動物に襲われたくなかったら、八木山に住まない事・・
これが正解のような気がします。


全国各地で騒ぎになっている「クマさん出没」もそうですね。

林道に入ってクマに襲われたら「自己責任」でしょうし、
こればかりはクマさんが悪いわけではないと思うのです。

八木山はクマやカモシカなどが出るリスクはありますし、
若い方、クマが怖いなら引っ越してこない方が良いでしょう。

最近少なくなっている「地震」も、
長町利府断層帯があると分かっていながら断層上に家を建て、
もし明日・・断層帯を震源にして大きな被害が出たとして、
ほかの地域よりも、断層上で大きく揺れて被害が出たら、
これも自己責任でしょうか。


取材班の友人が最近八木山に越してきましたが、
理由を聞くと「水没したくないから」という理由でした。

水辺に近いところ、平らな場所は水没リスクがある。
だから八木山を選んだのだそうです。

生活に不便じゃないの?と聞きましたが、
水没しない地域であるから、これ以上は特に求めない
そんな考え方もある・・人それぞれの思いです。




★★★
posted by 八木山取材班 at 06:09| 宮城 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 八木山放送局NET | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
久しぶりに八木山に帰ってきて、八木山放送局が続いていて、感銘を受けました。これからも楽しい記事を期待しております。
Posted by たけさん at 2017年06月22日 12:13
コメントありがとうございます。
ボランティアサイトとはいえ、
繁忙期になると更新を止めざる得ないので、
心苦しい限りでございます。
会社が残る限り継続は致しますので、
温かい目で見守って頂けると幸いです。
ありがとうございます。
Posted by 八木山取材班 at 2017年06月23日 02:46
今は八木山から離れておられるのですね。
チャップリン、ランボー、懐かしいです。
ネットがなかった時代、中央とは大きな情報の格差がありましたから、
当時の若者にとっては、大事なインフラ?でした。
今回の写真の新聞屋さんのところには、当時は大きく感じられた本屋さんがあって、会社や学校帰りに立ち寄る人たちが多かった。
小学校にも近かった駄菓子屋さん、ピノキオ、雑誌やマンガが揃っていた菅田書房、
緑が丘方面の学校帰り組がよく寄っていた佐藤文具、今はもう全部無いですね。
随分と、時代が変わってしまったんだなあ。
今の子どもたちが、後々八木山を思い出す時、どんな所を思い浮かべるのかな。
更新を楽しみにさせていただきます。
Posted by 八木山出身 at 2017年07月05日 03:20
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