2013年09月05日

昭和50年初頭の仙台駅周辺

★★★


【不審者情報】

昨日、右の掲示板に掲載していますが、
「八木山小学校区」にて不審者出没情報がありました。
「下半身露出」等の行為があったそうです。

当サイトは、警察機関・公的機関からの情報のみしか
この関係の情報は掲載しておりません。
ご注意下さい。



本日は、ちょっと八木山エリアから外れます(^o^)

今週は「貴重写真シリーズ」が連発していますが、
その流れに乗っかります。


お盆前になりますか、
仙台駅のペデストリアンデッキ付近の
昭和53年頃の写真を掲載しました。

取材班、
実はペデストリアンデッキが無い頃の記憶は
「無い」んですね。

その無い頃の写真を提供して頂きました。


仙台駅(1978_3_25)1[1].jpg
提供写真


これが、
ペデストリアンデッキがなかった頃の仙台駅の情景です。

エスパル開業後半年後の写真だそうです。

こう見ると、
「無い風景も、新鮮」と見えるのではないでしょうか。


仙台駅(1978_3_25)2[1].jpg
提供写真



別アングルの写真、「エスパル」の横からですね。

今や無き「道路」もあります。

今の風景を見慣れると、
「仙台駅周辺にさえ、見えない」感じもします。

先日の記事にも書きましたが、
工事などで新しく建造物が出来ると、
同じポイントから見えた風景は2度と見ることが出来ない・・
という典型的な写真ですね。

この場所には「ホテル・メトロポリタン仙台」さんが
立地していますので、無理ですよね(^_^;)


ちなみに、以前ご紹介した「昭和53年の仙台駅」
も掲載しておきますね。


IMG_0006.jpg

IMG_0008.jpg


たった2年で、
仙台駅周辺の風景が変わってきているんですね。

仙台の発展の流れが早かったように感じます。


そしてもう1枚。

青葉通りを写した1枚です。


19760428_1000仙台駅前銀行[1.jpg


1976年4月28日 と記載があります。

よく見ると、
現在と違う所が沢山ありますね。

ダイエーのロゴマークが違う・・・
映画館前にコカコーラの看板がある・・

など、それぞれの方々が楽しんで頂けるのではないかと
思います。

市バスなど、クルマも懐かしいですね。


そして提供者の方が、
この写真に関してはどこから撮影したものか・・
が不明だったそうです。

この時期はペデストリアンデッキが無いのに、
アングルが高い場所から撮影されていますね。

当時、青葉通突き当たりのところに歩道橋が設置されており、
この歩道橋から撮影されたもののようです。

このヒントが、
とても貴重な写真が掲載されている
「灼熱怒風 シーズン4」さまのブログから分かりました。

リンク承諾を頂きましたので、
ぜひ、当時の仙台駅周辺の状況をご覧下さい。
誠にありがとうございました。

「灼熱怒風 シーズン4」さまのブログ 

↑ クリック



IMG_0005.jpg


以前掲載した、昭和53年の青葉通りの写真です。

大げさに変わっている訳ではないですが、
懐かしい感じがしますよね。


IMG_8232.jpg
トラストタワーより


現在の仙台駅周辺です。
撮影は2年前ですが・・。


上記写真から、約35年以上経ちました。
かなり整備されていますよね。

勿論、私たちが気づいていない場所も、
大きく変わっているんですよね。

電柱などが地下に埋まる「共同溝」も
構築されていますし、
細かく上げればキリがありません。


IMG_8227.jpg


ペデストリアンデッキも、
増築されながら建設されてはいますが
35年が経っているんですね。


IMG_7009.jpg


2年前の東日本大震災では、
かなりのダメージを受けた仙台駅ですが、
現在でも「人が消えた仙台駅」のあの頃の記憶は、
今でも残っています。


毎日、この周辺を歩いている方には、
「そういう時代の事も感じながら」歩いて頂くと、
また違った生活を送ることが出来るかも知れません。


時々、昔を振り返るのも必要ですね。


IMG_3576.jpg
5年前の仙台駅周辺





★★★
posted by 八木山取材班 at 23:06| 宮城 ☔| Comment(3) | TrackBack(0) | 仙台市 今昔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月02日

仙台市中心部の変貌

★★★


P1010208.jpg
−ヨドバシカメラ マルチメディア仙台 第2ビル−


今回は、八木山エリアから離れた話題を(^_^;)


先月4月26日に、
これまでの店舗から、道路向かい側の新設ビルに新オープンした
「ヨドバシカメラ マルチメディア仙台」さん。

P1010212.jpg


今までの「旧店舗」は、現在閉まっている状態です。

この旧店舗を解体し、
2014年に「国内最大級の新ヨドバシカメラ店舗」を建設します。

ですので、先月新オープンした店舗は「第2ビル」という名称ですので、
元々の立地に「第1ビル」を建設して、増強するということになります。


P1010201.jpg

P1010204.jpg


取材班、先月に訪れてみたのですが、
ビルの「1〜3階に」集約されているヨドバシカメラ仙台ですが、
まぁ、広いの何の(^_^;)

この段階で、すでに東北では最大級だと思います。

他の家電量販店では手に入らない細かい商品も、
ヨドバシさんでは手に入りますね。

「おもちゃ・玩具」「自転車」「時計」「メガネ」・・

これまでも「ここ、電器屋だよね?」という商品が
並んでいましたが、パワーアップしていました。
「子供にとっても、夢の国」という品揃えでした。

陳列棚の高さも「低く」してありました。

ビルの中に店舗が入ったことで「見にくく」なるかなと
思っていましたが、
人の好みによると思いますが、取材班は、見やすかったです。

ただ広すぎて、最初は迷いますけどね(^_^;)

P1010206.jpg

駐車場も、これまでの駐車場と別に、
新店舗の裏に駐車場ビルが増強されています。
これは、見事です。 さすが民間企業。 

ゴールデンウィークでは、
東北各地からの観光客も訪れていると思いますので、
大盛況になるのではないでしょうか。

人々の「中心部離れ」が加速していますが、
「魅力的な場所」が出来ると、ちゃんと行きますのでね、
このヨドバシカメラ仙台さんの新店舗で、
「仙台駅東口」の魅力は増すと思います。

P1010214.jpg

この写真、どこだと思いますか?

仙台市中心部のクリスロード付近なんですが、
一瞬、仙台市中心部に見えない風景ですね。

最近、市街地を歩いていないな・・という方は、
久し振りに歩いてみると、新たな発見が多いと思います。

クルマ社会から抜けきれない仙台市に住む私たちですが、
そういった意味では、
八木山エリアに来る「地下鉄東西線」が、
中心部に対してどういう効果を生み出すものか、見物ですね。


P1010211.jpg





★★★
posted by 八木山取材班 at 14:10| 宮城 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙台市 今昔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月26日

昔々の「エンドーチェーン」

★★★




P1000957.JPG

−セブンイレブン 八木山南店前−



昨日の夕方に、雪と強風の最大コラボがありましたね。

暴風雪注意報まで出ましたが、出た頃には止むという、

短時間の異常気象がありました。

そういう時に限って、外にいた取材班です(^_^;)


夜には、気持ち悪い感じの地震もありました。

なんだなんだ? と、久しぶりの強めの地震だったでしょうか。



さて今日は、八木山情報をお休みしまして、

昭和の時代に仙台に夢を与えていた「エンドーチェーン」の記事を。



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この写真を見ると「昔の風景とは違う」と、そう思う方も多いでしょう。


昨年の東日本大震災で、大打撃を受けていた

「エンドーチェーン・イービーンズ」。


大通り沿い側の、4階より上の建物を解体、

建物全体の耐震補強を行い「部分営業」を開始したのが

震災から半年以上経過した平成23年11月18日。


旧館と言われる解体した部分の4階は空中庭園とし、

新館と言われる解体されなかった裏側部分の建物には、

ジュンク堂書店、丸善、紀伊國屋書店など、

「書店を中心」とした状態でリニューアルされていました。


そして先日3月24日。

大部分で営業されていなかった1階2階のテナントに店が入るなどし、

全館グランドオープンしました。


「杜のサテスタ広場」という、

懐かしの「サテライトスタジオ」のような広場も復活しています。




現在の「イービーンズ」、昔からの宮城県出身ならば

「エンドーチェーン」の名前の方が馴染みがあるでしょうか。

現在の場所に、昭和39年1964年3月20日にオープンしました。


創業者は「遠藤養吉」氏。 宮城県黒川郡出身の立派な「地元企業」です。

ちなみに現在の「イービーンズ」の名称は、

創業者の遠藤氏から、『遠藤チェーン』の「エンドーチェーン」。

『エンドウ豆』から、『E(エンドウ) - Beans(豆)』という流れで

「イービーンズ」という名前の由来を持っています。


当時は、八木山エリア付近・西多賀エリアの大型家具店「ニトリ」の立地に、

エンドーチェーンがあった事が記憶にある方も多いでしょう。


地元企業の「エンドーチェーン」は、昭和時代に全盛期を迎えていますが、

他県資本の大手チェーンの攻勢、

郊外のヨークベニマルなどの駐車場を備えた店舗に対し、

仙台駅前立地で無料駐車場が無いエンドーチェーンは対抗出来ず、

年々衰退していきます。


そこで1991年に現在の「ザ・モール仙台長町」などを展開する

「西友」と業務提携。

「エンドーチェーン」から「SEIYO(セイヨー)」と名称が変わります。


「西友」といえば西武/セゾングループです。 

当時は現在のロフト店舗に「アムス西武」もありました。


エンドーチェーンが「SEIYO」となってから、

プロ野球「西武ライオンズ」が優勝すると「ラララ・ライオーン♪♪」と

店内に流れていたのは、西武グループと業務提携をしたためです。


当時では「2年の夢」で撤退した大型電気量販店「さくらや」も

入店していた時期もありました。

今や撤退した仙台駅東口「ラオックス」の出店で大ダメージを受けた形です。


「SEIYO」になってからは、仙台市民・宮城県で親しまれた

エンドーチェーンのロゴマークは次々に消えていきましたが、

「SEIYO」になってからも事業が回復せず、

結局1997年7月31日、「西友」が手を引く形になり、営業終了してしまいます。


そして現在の「イービーンズ」がオープンし、現在に至ります。


イービーンズになってからも、

「西友」がエンドーチェーンの自社株16%を保有していましたが、

5年ほど前に全てを買い戻し、西友との関係は完全に解消されています。



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取材班は、「エンドーチェーン」のストライクど真ん中の世代です。


当時の仙台市中心部のデパートは、子供たちの「夢の国」であり、

特にエンドーチェーンは勿論、「藤崎デパート」「ダックシティ丸光」などに

「屋上遊園地」が存在するなど、「良い時代」がありました。


そんな中心部で、群を抜いていたのは「エンドーチェーン」でした。


昭和から活躍し続けている「八木山ベニーランド」も勿論ですが、

キャラクターショー等も多く開催され、

あの石原裕次郎や石原プロの西武警察、民放テレビ放送、ラジオでも

番組が提供されていました。




 




昔を振り返れば「良い時代だな」と思ってしまいますね。

当時のサテライトスタジオやCMは懐かしい・・。



現在では、『仙台駅前エンドーチェーン・イービーンズ』と、

エンドーチェーンの名前も完全復活し、

取材班としても懐かしい雰囲気が戻って嬉しく思います。


今は『イービーンズ/イービン』等の呼び名が「通り名」と思いますが、

現在では「エンドーチェーン」と呼んでも正解です。



昔と違い、今はモノが多く飽和状態。

気を惹くモノが沢山あるので、昔と同じような方法ではダメだと思いますが、

「良いものは残す」という事は、取材班は大賛成です。


かつての催事・イベント等を活発に行なっていますので、

この勢い、続いて欲しいですね。


イービーンズが全館オープンした24日、取材班が個人的にファンな、

キャッツアイ・シティーハンター・エンジェル・ハートの作者、

「北条司先生」来店・サイン会を開いていたようで、

ショックを受けています・・(^_^;)



このようにですね、取材班がショックを受けるくらいのイベントや

色々な催し物を含めて、

あの時代の活性していた仙台市中心部を、復活してもらいたいですね。


仙台市に住む方でも、「エンドーチェーン」が地元企業という事を

知らない方も多くいるようで、

途中に「SEIYO」が挟まっていた事も大きいと思いますが、

いつまでも前進して頂きたいです。



若い方、他県から来ている方などはピンと来ない記事かも知れませんが、

八木山にある「八木山ベニーランド」も含めて、

「地元企業」が頑張る姿は、応援したいですね(^^)/





★★★

posted by 八木山取材班 at 02:50| 宮城 ☀| Comment(5) | TrackBack(0) | 仙台市 今昔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月03日

八木山橋の昔

★★★




八木山橋.jpg

<昭和20年代前半「八木山橋」 仙台市より>



昭和6年に完成した「八木山橋」。


この八木山付近や八木山橋付近がこうなる前の話。


いわゆる「街づくり案」と言えば分かりやすいでしょうか、

今回の震災の津波で大きな被害を出した「六郷・七郷」地区が

当時「干ばつ地帯」となっていたようで、

『干ばつ対策で、竜ノ口渓谷の一部をダムにして、

 水路を引っ張ったらどうだろう』

という意見まで出ていたと言います。


今となっては、当時の貴重な提言案ですね。



当時の八木山橋とその道路は、

「軍用道路」で「仙台市の維持管理」の条件で、

「建設許可」が出ていたそうです。


当時の八木山橋は、ゆらゆら揺れる「つり橋」。

八木家が出資、後に市に寄付されています。

昭和6年2月に工事を着工、同年8月に完成・竣工しました。



仙台市街地からわずか数キロで、

景色が一変し始めるこのエリアは、

真夏の炎天下では「冷涼エリア」にもなる場所です。


ビル群が建ち並ぶ仙台市街地で仕事を終え帰路に着く途中、

青葉城址から続くこのルートを走ると、

「自然の中に入っていく幸せ感」を感じる時があります。


自然は、最近では当たり前のようで、当たり前ではない

ようになってきましたので、

八木山エリアに住む方々には、もっと味わっていただきたい気もします。



ただ昭和6年に竣工したこの八木山橋も、

当初から「自殺の名所」という、

喜ばしくないレッテルを貼られていたのも事実です。


八木山エリア全体のイメージダウンになっていることも、

確かなことでもあります。


ここを何とかイメージアップに繋げたいモノです。



八木山橋2.jpg

<観覧者提供写真>




以前より「告知」している、

「昔の八木山エリアの写真を探しています」の件。


みなさま、ぜひ宜しくお願い致します。



この1枚は、このサイトの観覧者の方からの

ご提供写真の1枚です。

「八木山橋上」での1カットは、非常に貴重です。



本当に貴重な1カットです。

コピー防止を、念のためさせていただきます。



当時は、多くの観光客がいたと言いますが、

最近では「観光で八木山橋に行こう」という話は、

ほとんど聞いたことがありません。


当時の写真からも、観光客の方がいるのも

お分かりになるかと思います。


普通に考えると、大変勿体ないことなんですね。

観光スポットとなるべきはずの場所が、

そうなっていない現実がある訳ですので。



東京のベイブリッジじゃないですけど、観光目的として

今月、順次工事が再開すると決定している「地下鉄東西線」より、

この「八木山橋」をどうにかする必要がある気がします。


現に、「学徒の街」と位置付けているこのエリアに対して、

「橋を渡るのが怖い」という理由で、

八木山に居住することを避けている学生さんも多い現実も

少なからずあります。


どうにかしたいですね。




現在の八木山橋は昭和40年に完成しています。


宮城県沖地震の時は、今回の東日本大震災と違い、

橋脚にダメージがあり破損しています。

修復工事のために時期をおいて1か月くらい通行止めに

なったそうで、今回の震災でもあったように、

向山ルートが大渋滞になったそうです。
 

八木山エリアは、市街地へ抜ける本道が少ない弱点がありますので、

通行止めになってしまうと、かなり厳しい思いをする現実はあります。

現状でも青葉城址ルートが通行止めになっていますので、

だいぶ不便ではあります。




古い写真1枚で、様々な思い出話を語れる貴重な資料。


お茶の間で、この八木山橋の話題が出ると幸せですね。


皆さまの押し入れの中やアルバムに、

懐かしい写真があれば、ぜひお願い致します。





★★★

posted by 八木山取材班 at 20:24| 宮城 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 仙台市 今昔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月12日

家電量販店「さくらや 仙台店」

★★★


家電量販店の「さくらや」が、今年2月末で全店舗で

閉店するそうですね。


さくらやと言えば、仙台に出店の経歴があります。

1997年の11月28日に、現在のE-Beans、当時「SEIYO」からの

移り変わりの時にオープンしました。


しかし、当時すでにオープンしていた「ヨドバシカメラ」の勢力は

予想以上に強く、さらに翌年の1998年に「ラオックス」が

オープンして大打撃を受け、

営業開始から2年持たず、1999年9月20日で閉店した

経緯をもっている。


個人的にも結構足を運んだが、

どうも暗いイメージがあった気がする。

大きな金額を出して買った家電は、なかった記憶がある。。


けれども、デパート内に、家電量販店が入る「感じ」は、

当時は他になかったために、悪くなかったです♪



テナントとして入っていた「さくらや」の建物は、

「エンドーチェーン」から「SEIYO」、そして現在の「E-Beans」と

名称を変更して現在に至っているが、

E-Beansは、『遠藤チェーン』『エンドウ豆』から、

『E(エンドウ)-Beans(豆)』という由来を持っている。



一方、1998年にオープンしたラオックスも、

2003年9月30日に閉店という状態となっている。


仙台駅近郊で、未だに勢力が最大級なのが、

駅東口に隣接されている「ヨドバシカメラ」だ。


仙台では、最初1991年4月に、現在の「E-Beans」隣に開店。

この段階では、首都圏のみにあったヨドバシカメラの、

初の全国進出となっている。


その翌年には、東口のソニービルの隣に開店し、2店体制で

営業、この状態のまま1997年まで進む。


そして当時の東口店を閉店して、1997年3月に、

現在のヨドバシカメラがオープンしている。

西口店は、しばらく携帯電話を販売する店舗で動いていたが、

現在は閉めている。


将来は、現店舗は移転・解体の予定で進んでおり、

隣の「平面駐車」に来年の完成で「仮店舗」が建設される予定。

道路を挟んだ区画に、「ヨドバシカメラビル」の建設を予定して

いるようだ。


駅から少し離れることで、売り上げに少し影響しそうな気配も

あるが、それ以上に厳しそうなのは、十字屋跡地に入店した

ヤマダ電機「LABI仙台」の気もする。


ヨドバシカメラの影響もあるが、

どうも仙台市民は、「平面に広い家電量販店」の方を

好んでいるような気がする。

「2階建てが限界です」

「エスカレーターで上ると、どこに何があるか分かりづらい」

という声が、結構聞こえてくる。


郊外に集中する「ケーズデンキ」が良い例だ。

あんな感じが好まれるようだ。


平面の方が、「見やすくて良い」のだろう。


現に、「さくらや」「ラオックス」の閉店が、

そういうものを表している気がする。


もちろん、安さや品揃え、ポイント、接客というものも大きいが、

広大な敷地面積とフロア雰囲気が、隠れたヒット理由の

気がする。




★★★




posted by 八木山取材班 at 19:21| 宮城 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙台市 今昔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする