2009年08月21日

仙台市民以外から見た「仙台市」

★★★




昔は、仙台市という場所を、客観視して見た事は、あまりなかった。

あったのかも知れないが、深い記憶としては残っていない。


会社を起ち上げてからだろうか、「客観視」を重視して

仙台市という街を「見よう」と感じてきたのは。

会社を起ち上げるという事は、その街に精通できるかという

判断も重要で、そして「その街を良くしたい」と思ってしまうモノ。


仕事上も含めて、そしてプライベートも含め、色々な街にこれまで

行ってきたが、「住みやすい街」としては、

仙台市は個人的にベスト3に入れて良い街だ。


お盆の時期、大阪の方に行ってきた。 これで3回目になる。


大阪という街は、良い意味で「下町情緒」が残っている。


「車・バス社会」の仙台と違い、東京と同じように大阪も

「電車で行動した方が動きやすい街」だ。


電車窓から見た景色も、昭和の時代に戻ったかと思う景色が

多く広がっている。

これは、個人的に感動した点だった。


さらに、「商店街」が多いということ。

人情の街と言われる大阪という街。

その原点を、「商店街」で見た気がした。


そのひとつに、個人的に感じた事は、

個人商店のような「小さな本屋」が多く残っていたという事だ。


仙台市中心街は、デパート内に入っている大手書店に追いやられる

形で、仙台市商店街・アーケードの店舗に残っている本屋は、

片手で数えられるほど激減した。

全盛期は、高山書店や宝文堂、協同書店、アイエ書店、仙台書店など

デパート内も含めれば、数え切れないほど存在した。


今では「デパート内の大手本屋」が中心。

それ以外で残るのは、歴史の長い「金港堂」と「あゆみブックス」

くらいではないだろうか。


郊外でもこの現象があり、太白区では、歴史の長かった

286号線と名取市にあった「協裕堂書店」が今年7月に閉店した。


少なくても、書籍も置く、大手レンタル店・TSUTAYAの

影響も少なからずあるだろう。


しかし、TSUTAYA自体も、

レンタルレコード1店舗と、蔦屋書店という「本屋」からスタート

している経緯がある。


若い人から、

「CD・DVDレンタルのTSUTAYAが、本を置くから

本屋が潰れるんだ」という会話を聞いた事があるが、

それは、実は間違いである。


昨今、インターネット・携帯電話の普及・進歩により、

紙の媒体が急速に落ち込んでいるという事が最大の原因ではあるが、

それにしても、商店街やアーケードから「本屋さん」が消えると

いう事は、寂しい限りである。


その中でも、大阪の街は、「失われた景色」をまだ残している

良い街だった。


その大阪に住む方が言っていたのは、

「仙台という街は、1.2番目くらいに住みやすい」という言葉を

頂いた。


一方で、仙台という街に一度も行った事がない方に、

「仙台と聞くと、何を思い浮かべますか?」

と訊くと、

「 ・・伊達政宗 」

という一言。


住みやすい街だけれど、1番目に思いつくのは「伊達政宗」

という街・仙台市。


これは、良い事なのか、どうなのか・・。






★★★★

posted by 八木山取材班 at 01:15| 宮城 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 仙台市 今昔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月03日

あぁ、昭和の時代・・

★★★




現在、石原裕次郎二十三回忌特別企画「西部警察」傑作選

として、地上波で再放送していますね。


「西部警察」といえば、80年代を代表する刑事ドラマ。


この時代の番組を見ると、当時の時代風景も見ることが出来て、

楽しむことが出来ます。



現在、当時の風景を残している場所を探すことが、都会と言われる

場所では難しくなってきています。


もちろん、良いことでもありますけど、淋しい感じがします。


とは言っても、当社がある仙台市では、

変わったようで変わっていないような・・そんな感じです。


確かにパッと見た目は変わりましたけど、驚くほどは変わっていない。


ただ、細かく見てみると変わっています。

その一つに、「店」が挙げられると思います。


当時にあった店が、今ありません。

建物は変わっていなくとも、店がなくなっている・・、

そんな場所が山ほどあります。


それは、市街地だけではなく、少し外れた地域でも同じではないかと

思います。


比較的、住宅地や市街地から外れている場所は、20年前と

比べれば、驚くほどは変わっていない場所が多くあります。


ただそんな地域も、店は変わっているのではないかと思います。


代表的なのは、駄菓子屋、本屋、肉屋、魚屋・・など。


大型店の進出により、地元住民は「クルマ」を使用してでも

大型店に買い物をするようになってしまいました。


結果、地元店が姿を消してしまいました。


よく、「あの店が潰れたー。ショック。」

という会話を聞きますが、

そういう方ほど、その店で買い物をしていない人だったりします。


本当に潰れて欲しくなかったのなら、買い物をしてあげれば

良かったのにと、そう感じてしまいます。


地元を暮らしやすくしたいのなら、

まずは住民の意識からではないかと思います。


少し高くても、「地元で買えるなら地元で買う」という意識です。


私の地元の本屋さんが姿を消しました。

その本屋さん以外で本を購入したことは多々あります。


本好きの私としては、やはり地元の本屋がなくなったことは

淋しかったですし、不便さも感じます。


少し反省してしまう、今日この頃です・・。




★★★




posted by 八木山取材班 at 21:24| 宮城 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙台市 今昔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月13日

仙台市太白区 「広瀬橋」

☆☆☆



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(撮影・株式会社東北記録映画社)

前プログの「長町商店街」から「河原町」へ向かう途中、

有名な「広瀬川」を渡る必要がある。

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(*長町商店街 撮影・株式会社東北記録映画社)


長町商店街から、河原町方面を行くと、「広瀬橋」がある。

意外に目立たない橋に見えるが、実はかなり有名な橋である。


広瀬川にかかる橋で、若林区河原町と太白区長町を結ぶ広瀬橋。

実は、この橋は「日本初」という偉業を持つ橋。


広瀬橋は、江戸時代初期、寛文8年の1668年に「永町橋」として

架けられましたが、

その後1909年、日本初の鉄筋コンクリート橋として「広瀬橋」と

名称を変更し、橋長126.7メートル、橋幅22メートルの鋼桁橋が

架けられました。

1935年、長町までの仙台市電のために別の橋が架けられ、

1959年・昭和34年に現在の橋が完成しました。

市電はその橋の中央を通り、市電が廃止されると、その部分は

現在の車道になった経緯があります。

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(撮影・株式会社東北記録映画社)


この広瀬橋の下は、広瀬川が流れ、堤防沿いには歩道が存在します。

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(撮影・株式会社東北記録映画社)


この辺りに住む方々の散歩道、ランニングコースにもなっているよう

です。 夏には、花火大会・灯籠流しが行われるのもこの辺りの

場所です。

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(撮影・株式会社東北記録映画社)

この辺りから見る景色は、大変きれいで心が和む。

仙台市中心部からわずかに逸れているものの、中心部とは思えない

景色である。


仙台駅方面に「愛宕大橋」という橋がある。

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(撮影・株式会社東北記録映画社)

昭和50年、仙台市電が廃線になる1年前に完成した。

幅26メートルもある橋は、国道286号のバイパス道路、向山や

八木山、国道4号へ続く幹線道としての主要道路になっている。





この「愛宕大橋」がなかった頃は、長町などへ行く道は、

「河原町」を経由して、「広瀬橋」を通過するのが一番近い道だった。


しかし愛宕大橋が完成した事により、アクセス方法がグンと
良くなった。

ただ、仙台駅方面から「クルマ」で長町商店街方面へ行く場合は、

現在でも河原町経由で行く方が早い。


この広瀬橋からの眺めは、愛宕大橋が隠れている状態になっている。

言い方を変えれば、ここから見る眺めは、

愛宕大橋が完成した時に出来た、「宮沢橋」から「広瀬橋」までの

道が出来てはいるが、

「仙台を、昔とあまり変わらない景色で見る事が出来る場所」

と言えるのではないだろうか。



☆☆☆




posted by 八木山取材班 at 21:43| 宮城 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙台市 今昔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

太白区・長町界隈

☆☆☆



平成18年9月18日、太白区・JR長町駅が、新しい長町駅に

生まれ変わった日。

2001年から2007年度にかけて、「長町駅高架事業」として、

名取川と広瀬川に挟まれた東北本線約2.5kmの区間を高架化し、

新しい長町駅は、高架駅になった。

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(撮影・株式会社東北記録映画社)

写真のように、この場所に存在した旧長町駅は、道路になった。

この先には、仙台市と都市再生機構による駅隣接の市街地

「あすと長町」の区画整理事業が行われている。

長町駅の高架化もこの事業に含まれており、これらが「長町副都心」

と呼ばれている。




長町駅は昔、東北本線と並行に広大な長町操車場という貨車操車場

で、1960年には北日本最大の駅だった。

長町駅は、日清戦争の軍用駅として急造されたと言われている。

1986年に貨物駅としての役割を終え、現在は「宮城野駅」が

その役割を担っている。

「あすと長町」はこの長町操車場の跡地に造られる事になるが、

仙台市立病院がこの場所に移転するなど、副都心としての役割を

担う場所になるはずが、現在では将来ビジョンが見えにくい現状に

なっている。


長町界隈と言えば、昭和51年に廃線になった「仙台市電」も

通っていた地域。 

この長町界隈を盛り上げていた地域は「長町商店街」

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(撮影・株式会社東北記録映画社)

大正14年の「秋保電鉄」、昭和11年「仙台市電・長町線開通」

と、交通網の整備が進んで発展し続けてきた。

道路両岸に商店が軒を並べ、老舗店舗も近代的な経営に乗り出して

きている。


しかし商店街へのダメージが急速に表れてきたのが、

1997年にオープンした、長町駅から西へ数百メートル行った

ところに建設された「ザ・モール仙台長町」の進出。

若者を中心に、モールに客足を奪われている現状があるのだ。



さらに、「あすと長町」の商業施設区域の誕生と、長町商店街には

逆風が吹く状態が続く。


しかし、昔ながらの面影が、現状でも残る貴重な場所である。


逆風が吹いているこういう現状の場所は、全国的に見てもかなりの数

が存在しており、姿を消している場所も少なくない。


よく耳にするのが、「周りに文句ばかり言って、動こうとしない」

「誰かがやってくれる人任せ」という実情も多い。


時代は動いているので、新しいモノを取り入れるなどの工夫がないと

生き残りは難しい。 

失っては欲しくない地域である。


「長町」という地域なのだから、奪い合いなどではなく、

「まとめて活性化させる」工夫が、他地域から見ると望ましい

ように思える。 


人が来なければ地域活性化はない。

エリアに人を集める必要があるように思える。




☆☆☆

posted by 八木山取材班 at 19:59| 宮城 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙台市 今昔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

太白区 太白大橋

☆☆☆



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(撮影・株式会社東北記録映画社)


仙台市太白区にある全長・約625メートルの「太白大橋」

写真は、名取市側から長町方面への一枚。


太白大橋は1994年(平成6年)に、名取川をまたぐ橋として開通。

それまで、両岸の大野田・柳生界隈の、田畑で囲まれた地域を

一気に活気づけた役割を担っている。





太白区・柳生界隈は、太白大橋の開通で活気づいた場所の一つ。

元々農家だった方が多かったせいか、「食」に関わる店が非常に

充実している地域。

JR南仙台駅を含め、ヨークベニマル、ダイシン、みやぎ生協、

各ファミレス、イエローハット、南税務署、七十七銀行、

各小中学校、各種病院など、あらゆる施設・店が充実しており、

住みやすい地域の代表例とも言える地域。


南に行くと隣接している名取市があり、ホーマック、TSUTAYA、

極楽湯、ドラックストア、ダイソーなども近距離に存在する。

この辺りの施設も、「太白大橋」の恩恵がある地域。


この太白大橋が出来るまで、この地域に住む住民が、長町や仙台駅方面

にクルマで向かうには、国道4号線や熊ノ堂方面へ迂回するしか方法が

なく、不便と言えば不便な地域だった。


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(撮影・株式会社東北記録映画社)

写真は、太白大橋を渡りきった後の大野田界隈・長町方面の1枚。


片側2車線の道路だが、朝は通勤ラッシュが出る道でもある。

さらに、2キロ先にあるショッピングモール「ザ・モール仙台長町」

への主要道路になっている事もあり、休日も交通量が多い。


ザ・モール仙台長町は、「東北特殊鋼」の工場だった跡地に、

1997年(平成9年)に完成した。

順次、パート2等を完成させるなど規模を拡大し、

2009年秋には、ザ・モール仙台長町の隣に、地域密着をテーマと

した、三井系の「ララガーデン長町」が完成予定となっている。


この太白大橋の役割は大きい。

600メートル以上もあるので、結構長い事も驚く。


完成してしまうと、「存在するのが当たり前」という感覚を持って

しまう人間の悪い部分?もあり、重要さを感じなくなったりする。


この地域に住んでいない方は、「通過するだけ」の橋だが、

この橋の重要性は、かなり高い。


そして、完成・開通してから、今年で丸15年になった。



☆☆☆
posted by 八木山取材班 at 18:31| 宮城 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙台市 今昔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする