★★★
水が早く復旧した地域は、水で苦労したとは思わない。
電気が早く復旧した地域は、電気で苦労したと思わない。
ガスが早く復旧した地域は、ガスで苦労したと思わない。
以前記事にした「宮城県沖地震の時のアンケート」では、
上記のような「人の心に残る印象」が残った。
<3月12日 八木山小学校>
この東日本大震災での八木山エリア、
「電気」は3日ほどで復旧したのに対して、
「水道」の復旧は、一部地域を除いて約2週間を要した。
一部地域や給水施設が倒壊した「マンション」などは、
4月に入ってから、もしくはゴールデンウィーク前まで
水道が出なかった現状もあった。
「水を失った日」
人間は水を失うと、いずれ死に至る。
食事を作るにも、水を使用する。
下水処理が発展した事により、
まだ「汲み取り式」も多かった33年前の宮城県沖地震では、
現在ほど「トイレの水」には苦労しなかったであろう。
しかし「水洗式」になった現在では、
トイレの水さえ確保が難しい現状まで発生した。
避難所にもなった八木山小学校では、
ボランティアの若者が、トイレ用としてプールの水を
ポリバケツに汲み、対応してくれていた。
<平成23年3月13日 みやぎ生協八木山店>
みやぎ生協八木山店では、最初の内は水道から水が出ていた。
配水タンクの水が残っていたのであろう。
このような現象は、地域の公園などでも見られたが、
ずっと出続けてくれる訳ではなかった。
しかし、震災から数日が経過すると、
様々な地域への「救援の手」も届き始めた。
上記の八木山小学校では、
避難所用として「巨大な臨時飲料水」も到着。
各八木山エリアの地域では、
全国から救援に駆けつけてくれた「給水車」も続々到着。
<ローソン 大塒町店>
純粋に「嬉しい」と感じた方が大半であったろう。
当サイトのコメントにも届いていたが、
「全国区のナンバープレートを付けた救援車」を見ると、
無条件で撮影したくなる気持ちになった。
ひたすら流れていた「ACジャパン」のCMじゃないが、
「あがとう」
という感謝の気持ちは、絶えず存在していた時期だったろう。
「水汲みが日課になっていた」
近所の分まで水汲みに。
供給停止していたわずかなガソリンを使い、
水が出た地域に出向いた日々。
3月17日に、雪が降った。
なんてアナログな事をしているんだろう・・
そう思った方も多いと思うが、
「雪解け水を使おう」と、家の軒先にバケツを並べ、
トイレ用の水などに使用した方も多かったであろう。
昭和20〜30年代では、
地域によるが、水道をひねれば水が出た地域ではない
ところも多く、井戸から水を汲み・・というものが
日課だったそうだ。
本格的に開拓される前の八木山だってそうだったと聞く。
この苦労を、少しでも体験した事は、
どうかプラスで考えて頂きたいように思う。
今、各ライフラインを普通に使えている有難みを、
忘れないようにしたい。
そして、「風呂に水を溜める」「水の備蓄」も、
忘れないようにしたい。
★★★
2011年06月24日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック


