2012年12月06日

八木山本町エリアの「等高線」

★★★



業務等で慌ただしい状態になっており、
更新でご迷惑をお掛けしております。

P1030058.jpg



現在、通行止めになっている仙台城趾エリア。
昨日の夜間帯に、徒歩で通過してみました。
写真は、少々暗いですが・・。

工事は順調に進んでいるように見えます。


P1030057.jpg


「車道を歩いて通り放題」だったこれまでと違い、
工事車両が行き来する状態になりました。

車道は歩いて通過できますが、
脇を歩かなくてはなりません。

夜間帯は、いつも通りに「ど真ん中」を歩けます(^^;)


P1030059.jpg


「S字カーブ」のポイントにある石垣など、
ブルーシートが掛かってよく分かりませんが、
内陸部の「震災の爪痕」です。

最近、日中の取材等が出来ませんが、
芦口小学校前の交差点では「信号機」が稼働していたり、
いろいろなモノが動いています。

後日、一気に取材しますのでお待ちください。


1971-八木山広域.jpg
【1949年 八木山エリア】
1971-2八木山広域.jpg
【1971年 八木山エリア】



今から40年ほど前の1971年。

そして、その頃からさらに20年ほど前の
1949年。

4代目・5代目と、八木久兵衛氏が導いた
八木山エリアの原点が、
当時の49年にはまだ残っています。

この八木山エリアに住んでいる私たちは、
森林を切り崩し、
いわゆる「破壊した自然」の爪痕の場所に住んでいます。

それでも、49年に見ることが出来る風景の場所が、
しっかり残っている「手付かず」の場所も多いです。


自然を残すべきなのか、残さないべきなのか、
それはそれぞれの人が感じることではあると思いますが、
「山あり谷あり」の地形を崩し造成された代償は、
住宅の建設状態・年月等もあるため
一概には言えないまでも、昨年の東日本大震災では、
元々の地形が影響している事が少なからずあります。


1964八木山本町.jpg


以前も掲載したことがありますが、
地下鉄東西線付近を含む「等高線」を記載したマップです。

「1964年」のマップデータを参考に記載されています。

動物公園付近を「てっぺん付近」として見た場合、
芦の口エリア方向に向けて「下る地形」になっていることは、
現在の造成された地形と同様です。

しかし「断崖絶壁」と言える地形になっている場所が、
かなり多いのも現状です。
「埋土・盛土造成」と言われる地形が多く、
切り土地盤もあります。

このマップだけでも「2本の沢」があり、
ここも造成の際に埋土されています。
沢だった場所については、
当時の地形で見れば「海抜が一番低い地点」とも
言えるので、造成した場所については
「盛土をした量が多く、深さがある」という事になります。

マップを見ると、八木山本町エリアの地域は
「越路」「長町」と記載されていることが分かります。


「長町越路」「越路」という住所は
現在でも残る地名ですが、
八木山という名前が付く前は「越路山」という山でした。

「八木山」という名前が、
これから何百年先も残って行くことと思いますが、
「越路山」という原型の名前があったことから、
「越路」という名前も、
何かでずっと残した方がよい名前なのかも知れませんね。




★★★
posted by 八木山取材班 at 22:19| 宮城 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 八木山放送局NET | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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