本日の河北新報さんの夕刊を見まして、
「お・・、出遅れた(^^;)」と感じてしまいました。
今日予定した記事をすっ飛ばしまして、
急遽でお送り致します。
本日付 河北新報・夕刊
今年3月で閉館になった「宮城県中央児童館」
その解体については、
本館である建物、サーキット遊具園、遊戯館がある一帯。
「モデル遊園」については「仙台市」に譲渡されており、
現在でも憩いの場として楽しむことが出来ます。
宮城県中央児童館 「本館」
この「本館」が落成したのは、
昭和40年6月17日。
正面ばかりが注目されてしまいますが、
この本館の裏側に回ってみると、
「財産」ともいえるものが存在していることに、
今の若い方などは気づかなかったかも知れません。
「なかよしの大時計」
宮城県中央児童館の裏側に設置されている
この「大時計」。
本館が落成したのは昭和40年ですが、
この大時計が設置されたのは
「昭和48年1月10日」のことです。
昭和50年代
宮城県中央児童館の大時計は「なかよしの大時計」と
名付けられており、
様々な子供たち、大人たちに見守られながら、
時を刻み続けていました。
閉館した現在でも、時を刻み続けています。
現在の児童館の本館側では、
誰もいない、寂しい情景の中で、
時計の動く音だけが聞こえてくる状況があり、
切なさも感じてしまいます。
この「なかよしの大時計」は、
1949年から72年まで、
仙台駅の「旧・駅舎正面玄関」に設置されていた
「仙台駅・大時計」です。
若い方は、知らないですよね。
当時の大時計は、
仙台鉄道局(現・JR東日本仙台支社)から、
宮城県中央児童館に昭和48年1月、寄贈されました。
当時の仙台駅にあった大時計は、
東北新幹線の仙台駅建築工事で撤去が決まり、
それまでは
「仙台駅のシンボル」的な存在でした。
その仙台駅の大時計が、
宮城県中央児童館に寄贈されることになり、
この向山エリアで
昭和48年〜平成25年の現在に至るまでの約40年間、
私たちに時間を示してくれています。
仙台駅の時代から数えると、
「64年間」ということになります。
撤去されてからの仙台駅は、
「大時計が存在しない」状態で時代が流れていましたが、
中央改札口に2008年、大時計が復活しています。
中央児童館の解体が決定してから、
この「大時計の行き先」が不明な状態でした。
色々な噂もあったのも事実です。
しかし、大きな時計で重さもあり、
移転費用などもあるのだと思いますが、
「本館・解体と同時に、大時計も解体」
という事になってしまったそうです。
恐らく、夏以降の本年度中だと思われます。
時代の流れと、言葉で言ってしまうのは簡単ですが、
人それぞれの「思い出」がありますね。
上記写真は「本館」から撮影した仙台市中心部の写真ですが、
本館が解体されると、
このアングルからも撮影できなくなるな・・と思いながら
撮影した取材班です。
サーキット遊具園や、体育館的存在の「遊戯館」にも、
様々な思い出を持つ方も多いでしょう。
昭和40年代〜平成初めが「ピーク」と思いますが、
この場所は子供たちの声が響き渡る
大変賑やかな場所でした。
そして現在。
この大時計の下で耳を澄ますと、
時計のモーター音だけが聞こえてきます。
現在でも、時を刻み続けている
「なかよしの大時計」。
この時を刻み続ける情景と、時計の音。
64年間の動きが、間もなく止まろうとしています。
★★★



中央児童館では文字通り毎日遊んでいました。
サーキット遊園をかけまわったり、秋には芋煮会をしたり。
子ども図書館であるおてんとさん文庫ではたくさん本も借りました。
当時の学童保育「松かさ学級」で行った大時計の前での運動会、まだよく覚えています。
取り壊されるのは非常に残念ですが、モデル遊園は残るとのことなので、今度は子どもを連れてまた遊びに行きたいと思います。
その翌日にお別れのニュース。悲しすぎです。
保存先、なんとかならないのでしょうか。誰か名乗り出てくれないかな。
解体されるのは取材班も予想外でした。
博物館や2年後に開通する地下鉄東西線等で様々な街づくりが
行われるので、色々と使い道はある気がするのですが・・。
解体せずに「どこかに保管」して使い道が決まったらGO!
ということも出来る気がしますが、予算もあるのでしょうか。
中央児童館も含め「思い出の場所が消える」ということは、
非常に寂しいことですね。
かなりきちょうなので当時にこの記事を見つけてたなら絶対引き取ってましたよ
なんで今見つかるんだ...